爆走
夜の国道十六号線。街灯が飛び去る光の帯となり、SR400の単気筒エンジンが奏でる重低音が、アスファルトを震わせていた。
白雪はアクセルを限界まで捻り上げ、前傾姿勢で風を切り裂く。その後ろで、イタリア製スーツの裾を無惨に羽ばたかせているのは、秘書の武藤だった。
「おおお! 速い! 速すぎますよスノー様! 風が痛い! 物理的な風圧で私の角質が削げ落ちていく!」
武藤は目を剥き、白雪の細い腰に、まるで命綱を掴むような必死さでしがみついていた。あまりのスピードに、普段の冷静沈着なポーカーフェイスはどこかへ吹き飛んでいる。
「どう!? 鏡の中にはない景色だろ! 左右反転も加工もされてない、本物の夜だよ!」
風の中で叫ぶ白雪の顔には、これまでの人生で一度も見せたことのない、野生的な歓喜が溢れていた。
すると、武藤の喉の奥から、くぐもった笑い声が漏れ出した。それは次第に大きくなり、エンジンの爆音に負けない咆哮へと変わる。
「……なんだか、思い出します! 身体中の血が沸騰するような、この忌々しくも愛おしい感覚! 実に懐かしいですよ!」
「あはは! あんた、このスピードで笑えるの!? 意外といい度胸してんじゃん!」
「当然です! 私がマダムの秘書を務めているのは、単に事務能力が高いからだけではありません! かつて、あの方と共に夜を駆け抜けていた……その縁ですよ!」
白雪は驚きに目を見開いた。
「えっ!? あんた、ママと走ってたの!? あのガチガチの美容マニアと!?」
「ええ! 当時のマダムは、鏡を見る暇があったらアクセルを回せと豪語する、泣く子も黙るレディースの総長でしたからね!」
その二人の背後を、数台のバイクが追走していた。
先頭を走るのは、リーゼントを風に全くなびかせないドクだ。その後ろには、かつて「七人の小人」と呼ばれた猛者たちが、慣れた手つきでハンドルを握っている。
「……フン。あのお嬢ちゃん、母親そっくりの強情な目をしてやがる」
ドクはインカムも使わずに、隣を並走する仲間のに向かって吐き捨てた。
「え? 総長、あのマダム・エリカを知ってるんですか?」
「知ってるも何もねえ。昔、俺の後ろに乗って、横浜の海まで中指立てて笑ってたレディースの総長が、誰だったと思ってやがる」
ドクは、スロットルを回す手に力を込めた。前を行く白雪の背中が、かつての若き日のエリカと重なる。
「……鏡に魂を売って、自分を箱に閉じ込めちまったか、エリカ。だがあの娘は、お前が捨てたはずの『魂』を、その拳の中に隠し持ってるぜ」
国道に、二世代にわたる爆音が共鳴する。
白雪と武藤、そして伝説の老人たち。
歪んだ鏡を壊した先にあるのは、かつての女王が忘れてしまった、熱いオイルの匂いがする真実だった。




