4.空っぽについて
翌日。
いつものように屋上までダッシュしてきて、それから、あれ、って思った。
こんなに気分よく晴れているのに、屋上には郁の姿がない。
珍しくあたしが先着かと勘違いしかけてから、「明後日のお昼にお話するよ」って昨日の郁の言葉を思い出した。そっか、あれは「明日はいないよ」って意味でもあったんだ。
不在に納得して腰を下ろして、あたしはパンの袋を破る。半分引っ張り出したパンをもふもふ齧る。
「むむ」
……なんか寂しい。
郁がいないと寂しい。
そもそもお昼だけの付き合いだし、あたしの話はわりと聞き流されてる気がするし、大抵会話せずにお互い好きな事してるだけだったりするのに、でもやっぱり、あの子がここにいないと物足りない感じがする。
この屋上って、こんなに広かったっけ。
そんな考えまで浮かんでしまう。いつもと同じはずのこの場所が、突然空っぽに占領されてしまったみたいだった。
郁の定位置は屋上で、あたしの定位置も同じで、たまたまふたりのそれが被ってるだけ、みたいに思ってたんだけど。
実はあたしにとっては、郁の隣がそうだったのかもしれない。
「あれー?」
小さく口に出して呟いて、それからあたしも昨日の郁の真似して傾いてみる。
あたしは自分の事、デリカシーがなくて悩みがなくてクールで自立した独立独歩の可愛い子って思ってたんだけど、意外や意外、寂しがりでもあったみたいだ。
「ウサギって柄じゃないんですけどー」
一人おどけてみたって、ツッコミが入るわけもない。改めてあの子の不在を噛み締めるばかりだ。
うーん、そうか。今日は郁、いないんだ。
なんだか碇を失くした船みたいだった。気持ちがあっちへこっちへ、うろうろし続けて落ち着かない。
──例えばもし私に恋人が出来て、その人と毎日お昼を食べるようになったら、はりぼーとここでこうしてお喋りはできなくなるよね
唐突に、郁がそんな事を言っていたのを思い出す。
そうだよなー、どれだけ新しい関係が増えたって、一日は二十四時間で、郁は一人きりなのだ。
そーゆー事を深く考えもせずに、あたしははしゃいで男女交際勧めちゃったりしたわけだ。もし郁と手紙君がカップルになったりしたら、郁は小まめだから、彼氏の分もお弁当を作ってあげたりするだろう。
きっとどんどん、屋上より彼氏が優先になってくんだろう。
手紙君に「お昼はこっちが先約だかんね」って直談判してやろうか。でもそれはそれで郁を束縛してるみたいでやだな。郁は押しに弱いとこあるから、そしたらこっちに来てはくれるだろうけど、あたしも郁も、それでいい気がするはずはない。
そしたら郁が交際をオッケーした場合、ここであたしたちが話す機会はなくなって、鳥籠同盟も自然消滅になるのかな。
それはすっごい寂しい事のような気がした。考えなしな昨日のあたしを、無性に蹴っ飛ばしてやりたくなる。
「……むー」
傾けた体を元に戻す。
考えてみるとあたしと郁の接点って、意外にない。
そもそもあたしは郁の携帯番号もメールアドレスも知らない。
ここに来れば会えるし、学校の外で遊びに行くでもないし、特に必要だなんて思ってなかったんだけど。あたしは一々言わなくて、郁も一々訊かなかったんだけど。
このまま会えなくなっちゃったらどうしよう。
このままおしまいになっちゃったらどうしよう。
急に不安ばっかりがぐるぐると回る。あたしは楽観的な馬鹿だから、物事には終わりがあるのを知ってはいたのに、実際終わった時の事なんて少しも考えていなかった。
連絡先の事だってそうだ。
例えばゴールデンウィーク中とか、今までだって郁と全然会わない状況はあった。
そのたびに、これをちょっと郁に話したいなって思う事があった。これを聞かせたらどんな反応するかなって、想像してる事があった。
だけど喉元過ぎちゃえば、やっぱり言わなかったし訊かなかった。
そんなの別に知らなくても平気だって、深い繋がりなんてなくったって大丈夫だって、自分でも気がつかないで強がってカッコつけてた。
でもそれはホントの事じゃない。ただ臆病だっただけだ。
お互いそんなに踏み込まないような立ち居地が気楽で、座り心地のいい今の関係を壊したくなかっただけで、ヘンに近付くような事を言い出したら、何かが変わってしまうかもしれないって怖がってただけなのだ。
「──あ、花瓶か」
そこで思い至った。
郁の言ってた、花瓶を割れない話。それは多分こういう事だったんだ。
物事の後先に不安ばっかり見つけて、やってもみないで結果の事だけ考えて、それに怯えて。挙句自分で自分を縛り付けて、一歩も身動きできなくしてしまう。
やっぱり郁は頭いい子なんだなって、今更ながら感心した。
でもごめん。
郁は多分あたしを褒めてくれてたんだろうけど、ひょっとしたらあたしに期待してくれてたのかもだけど、あたしも花瓶、割れない子だったみたいだ。
しかも郁みたいに向き合って考えて割らないんじゃなくて、そもそも考えもしないで無意識のまま逃げてた。最低だ。
「あー、もー!」
くっそー、もやもやするぞ。
呻きながらまた逆方向に傾いて、それきり戻れなくなって、あたしはごろんと転がった。
どうしよう。すごく寂しい。
「こんちくしょー!」
悔しくて足をばたばたさせてみた。どんなにお行儀悪くしたって、やめなさいと叱る子は今日、ここにはいない。
そのうちにくたびれて、あたしはまた大の字に寝転がる。仰向けに見た空は狭かった。青色は、余計なくらいに丈高い屋上フェンスに切り取られて囲われていた。
こんちくしょーって、もっかい叫んでから、あたしはパックコーヒーのストローを噛む。歯を立てて、力いっぱい中身を吸った。
やがてパックは空っぽになって、降参するみたいな音でぺこぺこ鳴った。




