5.空について
更に翌日。
ちょっとしょぼくれた足取りで屋上に出ると、郁は当たり前の顔で屋上に居た。
あたしの昨日の煩悶なんて知りもしないで、拍子抜けするくらいフツーに居た。
「はーりーぼー!」
珍しく本を読んでなかった郁は、あたしの顔を見るなり声を張り上げる。
「ちょっとここに来なさい。それから正座しなさい」
え、なんでなんで。なんで郁怒ってるの?
そこまで本気でご立腹って様子じゃないけど、でもちゃんとお説教を拝聴した方がいいくらいの雰囲気。
今までもさんざん叱られはしたけど怒らせた事はなかったから、あたしはおろおろ郁の前に正座する。
「今日はスペシャルでサプライズなクエスチョンがあります」
「はにゃ?」
「問題。私の席の一列窓際には誰がいるでしょう?」
違うクラスの座席の事なんか知らないよ。
そう言いかけてから、はっと気づいた。
「あ、ミャーコさん?」
「はい、正解だよ」
正確には京さん。京都の京の字でミヤコさん。なんか読み方が特殊で、ミヤビかつカッコいい感じがする名前だ。
で、カッコいいのは名前だけじゃない。名は体を表してる。
彼女は運動ができて頭も切れる文武両道さん。綺麗な黒髪を長く綺麗に伸ばした窓際の魔女。クラスのみ学年のみならず、校外にもファンがいるとかいないとかの、一種有名人なのだ。
郁が公家ののほほん系お姫様だとしたら、ミャーコさんは武家のきりりとした女当主って感じ。
うちは進学校じゃないんだけど、彼女、試験とか模試とかの成績も凄いらしい。推薦がもう確定してるんだって噂を聞いた事もある。
じゃあなんでそんなパーフェクトな子が、うちみたいなゆるい高校にいるのか。実に素朴なその疑問への回答は「ここが一番家に近いのです」だった。やっぱ頭いい子ってどっかバカなんだと思う。
ちなみにそれをミャーコさんに問うてきたのはあたしである。
後でクラスメイトに「よくそんな事訊きにいけたね」って言われた。「流石はりぼーだよな」とかも言われた。絶対褒められてないって分かったから、言ったヤツは片っ端から蹴っ飛ばしておいた。
皆不思議に思ってるっぽいから代表して質問してきたのにさー、そーゆー扱いはどうなんだよー。
でもまあなんだかんだでそれ以降、クラスは違えど、ミャーコさんとはすれ違えば会釈するくらいの仲だ。というかあっちから結構声をかけてきてくれたりもする。
一種近付きがたい高嶺の花オーラを放ってはいるんだけど、話してみると素朴というか純朴というか、なんかいい子なのだ、ミャーコさん。このあだ名つけた時だって全然怒らなかったし。
あと彼女といると周囲から憧憬の視線が集まるので、あたしはとっても気分がいい。虎の威を借るとか言うな。
「他のクラスの男の子が手紙書くくらいに憧れるなら、私より彼女の方こそだと思わない?」
「えー。うーん、そうかなー?」
郁も確実に可愛い部類だと思うんだけどなー。
「んん? あれ?」
「気がついた?」
「この話の運びって、もしかして?」
「もしかするよ」
「早とちり?」
「いつものね」
ショッキング。要約するならつまりあたしは、ミャーコさん宛のラブレターを強奪して郁に押し付けた凶悪犯って事になる。悪気がなかったじゃすまない。立派な犯罪者で前科者だ。強盗だ押し込みだ火盗改だ。
「そういうわけだから、昨日は私がはりぼーの尻拭いをしてきました。手紙は田淵くんにちゃんと返して、うちの子がご迷惑をおかけましたって、ごめんなさいもしてきたよ」
「誰があんたの子だ!」
「認知してあげていなかったっけ?」
「されてたまるかー! ……って、田淵?」
誰それってあたしの表情を読んで、郁はやれやれと頭を振った。
「手紙の送り主だよ」
「あーあー、ぶっちー!」
そうだそうだそういえば、あの文学眼鏡はそんな名前だったような気がする。昨日の午前中は寝ぼけてて、午後は花瓶の事で頭が一杯だったから、彼についてはすっかりさっぱり忘れてた。
「私やはりぼーが勝手に京さんへ届けるのは、何か違うと思ったからね。田淵くんがもう一度渡しにいくかは分からないけど、今度は見かけても邪魔しちゃ駄目だよ?」
はーい、とあたしは反省のお返事をする。
「それにしても悪い事したなー。後であたしもぶっちーに謝っておこう」
「駄目。ややこしくなるから絶対にやめなさい」
ぐっと拳を握ったら、郁にぺちりと叩かれた。なんでさ。
それからあたしたちは、いつも通りの同盟活動に勤しんだ。有体に言うなら、だらだらお昼休みを過ごした。
郁は本を読みながらお弁当をつまんで、あたしは馬鹿話を垂れ流しつつパンをかじる。パックコーヒーも飲む。
そんなふうにしてると、昨日はくるくるに狂ってた調子を取り戻せてるのを感じる。つまりこれがもう、すっかりあたしの日常になってるんだ。
二人ともが食事を終えて、そこであたしは、気になってる事を訊くなら今がチャンスだって思った。
「なーなー、郁ー」
「んー?」
お弁当箱と一緒に本を包み直す郁ににじり寄る。
「仮の話なんだけどさ。もしあの手紙が、あたしの勘違いじゃなくて郁宛だったとしてさ。本気でぶっちーに付き合ってくださいって言われてたなら、郁、どーしてた?」
どうしてか、郁は物凄く気まずいような、後ろめたいような顔をした。それからふたつ瞬きをして、
「お付き合いは、お断りしてたと思うよ」
きっぱりはっきり、そう言った。
「なんで? 一緒に帰るくらいはいいじゃん」
ホントはほっとしたんだけど、突っついてしまうあたしは天邪鬼だ。
「はりぼーみたいに精気横溢してればそうなのかもだけど。でも始めるパワーが足りない私は、終らせるパワーも足りないのです。だから一度スタートしてしまったら、もし途中で合わないなって思っても、惰性で続けてしまうしかなくなるのです。花瓶、割れない子ですから」
「……そっか」
「それに」
そこで一旦言葉を切って、郁はにこりと微笑んだ。
──今のところはこっちがいいって、私はそう思うんだ。
「それにやっぱり、この二者択一なら、ね」
「国語だな!」
「残念。今のは英語でした」
上手い事はぐらかされたような気がする。英語苦手だって言ってるのに。
不満で口を尖らせたあたしを見て、郁はまた小さく笑う。
「はりぼーって絶対通信簿に、『人の話をよく聞きましょう』って書かれてた子だよね」
「い、一度も書かれた事ないし!」
ああ、でも。
今学期の郁先生には「はりぼーさんはちゃんと花瓶を割れる子でした」って、そう評価してもらえるように。もうちょっと、頑張ってみたりしよっかな。
「郁ー」
「はいはい?」
呼びかけてからごそごそして、あたしは自分の電話を取り出した。
「メアドと携帯の番号、交換しよう」
「ん、いいよ」
交換自体はぴぴっとほんの数秒。実際に動いてみれば、あれこれ思い悩んで気を揉むよりも、全然簡単な事だった。
うんよしよし、これであたしもひと安心。
「悪戯電話かけ放題だな!」
「かけ放題だね。でもはりぼーは番号非通知にするのを忘れて悪戯電話してきそうだよね」
「むむ」
否定できないのがちょっと悔しい。
「もし悪戯してきたら、絶対長電話にするからね。二時間は覚悟しないとだよ?」
「い、悪戯しようなんて思ってなかったし!」
「はいはい。それで?」
「ん?」
「それで私はこのアドレスに、大野木くんの事を送ればいいの?」
また勘違いしてるな、郁め。
「んーん、大野木の事はひとまずいいや。それより郁、今日、一緒に帰ろー」
あたしの唐突な提案に、郁は目をぱちくりさせる。
「どうしたの、急に」
「郁んち行ってみたい。んで、郁んちの猫見たい。デブなんでしょ?」
「いいけど。でもそれ本猫の前で言っちゃ駄目だよ。機嫌悪くなるから」
「大丈夫。任せて。こう見えてもあたしは口の固い女なのだ」
「はいはい」
「む、信じてないなー?」
「信じてるよ。ちゃんと」
最後だけ不意打ちで真面目に言うから、こっちが戸惑ってしまう。
誤魔化し半分でパックコーヒーのストローをくわえると、中身はもう空っぽだった。仕方ないので吸ったり吐いたり、容器にぺこぺこ陽気な歌を歌わせながら、あたしはごろんと寝転がる。
すかさず額をぺちりとやって、お行儀が悪いよと郁は笑う。
「郁ー」
「なぁに?」
「来年はさ、一緒のクラスだといいなー」
修学旅行とかあるし。そしたら仲いい友達と、色んなとこ一緒に回りたいし。
「ん、そうだねぇ」
さっきは注意したくせに、郁もころんとあたしの隣に寝転がる。
そうして二人で仰いだ空は、鳥籠みたいなフェンスなんてお構いなしに、どこまでも青くて高かった。
作中にて言及した二作は、何れも青空文庫にて閲覧可能です。
芥川龍之介『六の宮の姫君』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/130_15275.html
菊池寛『芥川の事ども』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/1340_19832.html




