2.二者択一について
「いーくー!」
その日のお昼。購買のパンの袋を片手に声を張り上げると、はいはいと郁は定位置から手を振った。
「またフラれたの?」
機先を制して言い当てられて、あたしはきょとんってなった。
「なんで判んの?」
「なんで判るんだろうねぇ」
ため息っぽく言ってから、ぱたんと郁は本を閉じる。
「はりぼーさ」
別に郁は呪文を唱えたわけじゃない。「はりぼー」はあたしのあだ名だ。
郁曰く「いっつも話がシンショウボウダイだから、針と棒ではりぼー」。よく分からなかったけど悪口っぽかったんで、ていっと蹴っ飛ばしておいた。家に帰ってから意味を調べた。蹴っといて正解だったと思った。
ところがどこからどう広まってどこがどうウケたのか、その後このあだ名は普通に定着してしまった。
高校生活のスタートから半年が経過した今現在、あたしはナチュラルに「ハリコさんって名前だからあだ名はハリ坊さん」みたいに思われてる。一文字も本名かすってないんですけど。
恨み晴らさでおくべきか、ってわけで、あたしもいつか絶対、郁にも変なあだ名つけて流行らせてやろうと決めている。
まあそんな経緯はともかく、こういうところでも郁がいい子なのが分かったりする。
あたしの話を針小棒大なんて言いながら、その針の部分の事は絶対疑わない。あたしがどんな突拍子のない事を言ったって、嘘だって決め付けないで、ちゃんと信じて聞いてくれるのだ。ホント、友達甲斐のある子だ。
「それで? 今回の男の子は何番目だっけ?」
「一番目だよ! あたしにとってその時の相手がいつも一番だよ!」
心の中でちょっと褒めたらこれだった。やっぱりあだ名の件は許さない事にする。
確かにあたしは恋多き乙女だけど、ちょーっと惚れっぽいかもしれないけど、でも惚れてる間はそいつ一筋まっしぐらなのだ。そんな二股三股かけてるような言い方はされたくない。
「ああ、うん、じゃあ今回の男の子で何人目だっけ?」
「えーと」
「高校からでいいよ」
「ええっと」
思い出しながら数えてみる。右手の指が全部折れたところで止められた。
「いのち短し恋せよ乙女、だねぇ」
これ見よがしにため息をつかれた。
「なにそれ」
「今日は再び来ぬものを、って事だよ」
「なんかよく分かんないけど、馬鹿にしたな!」
「いいえいいえ」
しれっと目を逸らしたので、ぺしぺし頭をはたいておく。
「とにかく聞いてよ。あいつひどいんだよー」
「はりぼーの暴力行為の方がひどいと思うよ?」
「郁の言葉の暴力とで相殺だい」
はいはい相殺だね、と気のない返事をして、それから郁は本を閉じた。あたしの頭に手を伸ばしてくしゃくしゃと撫でる。
「よしよし。何がひどかったの?」
「……郁、撫でるの上手だよなー」
「ふふ、うちのねこにも好評です」
ちなみに郁と縁側同盟している猫は、名前をねこというらしい。ネーミングセンス以前のところに重大な問題がある気がするんだけど、「本人が文句を言わないから問題なし」って、郁は素知らぬ顔をする。言ったらびっくりだってば。
「猫扱いか!」
「猫扱いだね。でも私、猫好きだよ?」
「そのわりに今の撫で方、あんまり心が籠もってないぞー」
「だってはりぼーは猫じゃないし」
「むむ」
猫扱いするなと言った手前、ここは黙らざるをえない。なんか悔しい。
「それで? 何がひどかったの?」
脱線はここまでと、郁がもう一度あたしを促す。
「そうだった! いきなり今日さ、別れようって言われた!」
「いきなりはひどいねぇ。びっくりだね」
「だろー! しかも理由訊いたら、性格のwhichだって。どういう意味だよ。あたし英語苦手だよー」
「不一致は国語です」
「マジで!?」
「マジです」
あっという間にそっちの方がショックになった。なんだよ日本語かよー。カタカナっぽい響きのくせに。二重に騙された。
あたしは「だー!」と空に叫んで寝転がる。お行儀が悪いよと郁にたしなめられつつも、そのまましばらくジタバタして、それで気を済ませた。これでよし。これでもう、あたしの中では解決だ。
「まあいいや!」
「はりぼーは本当に切り替え早いねぇ」
全然心配してない感じで郁は言う。あたしの失恋の最初の一、二回にはもっとおろおろしてたから、単純にあたしの取り扱いに慣れたって事か。
「元気で明るいのが取り得だかんね。ところでさ、郁のクラスの大野木ってどう?」
あたしはE組で郁はD組。クラスが違うのは残念だけれど、でもお陰でこーゆー情報交換もできる。
「どうって、お付き合いしたいの?」
「まだそこまでは。でもちょっといいかなーって思ってたり」
肯定六割でお返事すると、本当に元気だねぇと郁は頭を抱えた。
「はりぼーのお付き合いって、一緒に帰るの同義語に思えてきたよ」
「あー、うん、近いかもしんない」
一度想い出すと、「いいな、わー、うわー、いいな!」ってあたしの中で盛り上がるんだけど、でも実際に付き合って親しく話したりし始めると、あれなんか違う、って感じ始める事多数。で、そっから急に冷めちゃったりする。考えてみれば失礼な女だ。
でもでもだけど運命の出会いなんてそうそう転がってないだろうし、一度付き合ったら二度と別れられなくなるわけじゃないし、そしたらちょっとでも「いいな」って気持ちになった相手と、お試しみたいに親密になってみるのはアリなんじゃないかなー、って思う。
つまりあたしはたまたま上手くいってなくて、たまたま恋多き乙女になっているのだ。うん、あたし悪くない。
「というかさ。郁の方こそそーゆー話、なんかないの?」
自分の中で理屈がついたから、郁に水を向けてみる。すると郁は腕組みして、うーん、と体を傾けた。
「私は、ないかなぁ」
「ないのかー」
残念。でも郁はどっか枯れてるっていうか、ガードの固い感じがするから、さもありなんと納得。無気力ってわけじゃないけど、無推進力って感じはする。
「正直な話をするとね」
珍しく本は開きなおさずに、郁は空を見上げてぽつりと言った。
「私も気持ちの通じ合った恋人というものに、まあ憧れたりもするんだけれど。でもひと向きに徹するにはパワーが足りないのです。心にも慣性の法則があって、停止状態から動き出すには一方ならぬ力が入用なのです。恋愛って人によっては凄い力を生むものなのだろうけれど、でも恋の為に新しく関係を構築して進展させて維持するパワーが、そもそも足りない人もいるのです。六の宮の姫君みたいでしょう」
「誰それ」
「今昔じゃなくて、芥川版ね」
「知らないよ。読まないもん」
白状するならあたし、こないだまでアクタガワじゃなくてチャガワだと思ってたし。
「でも姫君って、つまり自分はお姫様です可愛ですよってい自慢か!」
「どっちかって言うと、自虐かな」
茶化したつもりだったんだけど、郁は静かに目を伏せた。珍しく後ろ向きな空気だった。
「あたしとしてはアレだな!」
それが嫌だったから、あたしはもう一度声を張り上げる。
「お姫様かどうかはともかく、郁は一応育ちのいい箱入りお嬢様っぽいから、悪いのにダマされないように守ってやらないとだな!」
「ん、やらないとだね」
やっと郁がちょっと笑った。それから座りなおして、真っ直ぐにこっちを見た。
「受け売りの例えになるのだけどね。はりぼーってさ、花瓶を割れる子でしょ」
「なんで知ってんの!?」
確かに昨日うちで割って怒られたけど。なんで郁がそんなあたしの家庭内事情にまで精通してるんだ。異常事態だ緊急事態だ。
「知らなかったけど。私が言ってるのははりぼーの実際のお話じゃあなくて、例え話だよ」
「割ってないし。勝手に落っこちたんだし」
「そこから離れなさい」
ぱちんと額を指で弾かれた。
「あのね、さっきの恋愛の件と似てるけど、私は色々と考えすぎちゃう人間なんだよ。だから花瓶を割れないの。癇癪を起こして手近のそれを掴み上げて、床に叩きつけようとして。でもその途中で、後片付けの手間とかそういう事を考え始めて、結局元の場所に戻しちゃう」
「……それ、別に悪い事じゃなくない?」
「うん。そうなんだけどね」
また郁が手を伸ばして、あたしを撫でた。今度のは結構心が籠もってる気がした。
「でもね、割ってみなくちゃ分からない事もあるんだよ。割ってみなくちゃ前に進めない事もあるの。私が六の宮の姫君だって言うのも、はりぼーが花瓶を割れる子だって言うのも、つまりはそういう事」
吐き出すように結んで、郁はふっと息をついた。なんだかいつもと違う。空気がひどく儚くて透明で、あたしは困惑してしまう。
あたしは郁の事、ちょっと誤解してたんだって気がついた。
どこへでも行きたいように行って、何でもやりたいようにしてしまう子だって思ってたけど、そうじゃない。
郁は多分、あたしよりも誰よりもずっと、周りに気を遣ってしまうタイプなのだ。しがらみみたいな縛り付けるものに囚われやすくて、一旦囚われたらもう動き出せなくなってしまう。
だからそーゆーものにできるだけ捕まらないように立ち回ってる。それが自由気ままな猫っぽく見えただけだったんだ。
一度関係が出来上がってしまったらもう壊せないから、極力作らないようにする。心の深いところに柵を作って、誰も踏み込めないようにして、そうやって自衛する。
それはあたしにも分かるくらい不器用な話で、その事は当然郁本人も自覚していて、だからこんなに寂しそうな顔をするのだろう。
でも重い空気は数瞬だった。
「あとね、はりぼーや恋愛を否定するではないのだけど、恋をしたって一日は二十四時間だよね」
「当たり前じゃん」
すぐに郁はいつもの日向のおばあちゃんモードに復帰して、話を変えた。あたしもほっとして軽く応じる。
「そうしたら晴れの日には傘がいらなくなっちゃうみたいに、恋愛をしているその所為で、できなくなる事も出てくるよね? 例えばもし私に恋人が出来て、その人と毎日お昼を食べるようになったら、はりぼーとここでこうしてお喋りはできなくなるよね。その二者択一なら今のところはこっちがいいって、私はそう思うんだ」
何それちょっと嬉しい。
でも素直に喜んでみせるのは癪だったから、あたしはまた大きな声で紛らわす。
「よーし郁。そのうち誰か、あたしの眼鏡に適ったのを紹介してあげよう。花瓶なんて、割ってもぜいぜい怒られるくらいだって。謝っておけばいいんだ。人生なんでも経験だぞー」
「うん、そうかも。経験かも。それじゃあ縁があったよろしくお願いします」
任せときなさいって胸を叩くと、「泥舟に乗った気分だね」なんて憎まれ口が返ってくる。ていっと蹴っ飛ばしておいた。




