第三話 使われない言葉
窓の外を見ていた時。
何かの影が、木々の間を横切った。
猫か犬だろうか。
男がチェス盤を持ってきた。
マット仕上げの、白とライトグレーの駒。
「一緒にやりますか」
「……ルール、知りません」
「教えますよ」
遠回しに断ったつもりだったのだけど。
男が駒を並べ始める。
整然と並ぶ駒は、きれいだ。
「この駒――キングを取られたら、負けです」
男から、駒の名称と動き方の説明を受ける。
「では、やってみましょう」
白とグレーの盤面。
男に駒の動かし方を確認しながら、動かす。
すぐに決着がついた。
「……手加減という言葉、知ってますか」
「言葉自体は、知っていますね」
「知っていても、使えないなら意味がないのでは」
男が駒を並べなおす。
私は白で、男はグレー。
「私がそういう性格だと、あなたは知っているはずです」
確かに、知っている。
男に関する記憶は曖昧なのに。
性格は、よく知っている。
「さぁ、先手をどうぞ。先手が、少し有利なゲームです」
「…実力差がなければ、でしょう」
私は顔をしかめながら、ポーンを手に取った。
前に、2マス。
「なぜ、私はあなたに保護されているんですか」
「それが必要だからです」
男もポーンを動かす。
前に2マス。
「あなたが思い出さない間は、その必要があるということです」
私は迷って、ナイトを手に取った。
前へ。
「……わたしが自力で思い出すまで、教える気はないと」
「そうです」
男もナイトを前に出してきた。
カフスの煌めきが、何かを思い出させそうで。
「……もどかしいんですけど」
「諦めてください。あなたのためです」
――あなたのため。
他の人に言われたら、反発しそうな言葉。
なのに、すとんと胸に落ちてしまう。
私と男の関係は。
聞いても教えてくれない、確信がある。
数手後。
「チェックメイトです」
は、と顔を上げる。
私のキングの斜め前に、男のクイーン。
キングの逃げ道を、ルークに塞がれている。
「だから、手加減…」
「しません」
「……ですよね」
駒を片付ける男が、心なし楽しそうに見えた。
ふと、窓の外を見た。
木々の影の中に、黒い影。
黒猫がこちらを、じっと見ていた。




