第九十九話:嵐と子供
雨の音…。
…………。
《開けてくれ!頼む!急患なんだ!子供が!子供を助けてくれ!》
《妹を見てくれ!頼む!》
《お願い!開けて!》
………。
目を開けると、当たりは真っ暗だった。
真っ暗すぎて目が開いているのかどうか、夢から覚めたのか夢の中のままなのか、混乱する脳を落ち着けるのに暫くかかった。
「…………ちっ。意外と効いてやがる。」
また懐かしい…いや。
忌まわしい夢を見たな…。
「最近は夢なんて見てなかったんだけどな…。」
寝覚めとしては最悪だ。
………。
雨の音は聞こえるけど船はそんなに揺れていない。
皆の寝息が聞こえる…。
外に出てみるか。
目が暗さに慣れるのを待って、皆を起こさないように注意をしながら部屋を出る。
……。
アスキャさんは戻ってないな…。
壁伝いに廊下を歩きながら甲板を目指す。
薄暗い甲板内を辛うじて照らすのは、窓の外から差し込む、松明が雨打つ波間に反射した、微弱な間接照明の揺らめき。
寝室、もとい武器庫を見ると、あるものはハンモックで寝、あるものは積み荷の隙間や武器の隙間に雑魚寝をしている。ハンモックに寝ることができるのは、身分の差か、それとも…。
この船に数人しかいない女性クルーは女性専用の部屋で寝起きしているため、ここには男しかいない。
普段は甲板に寝ている男もいるが、今日は雨のために皆室内に避難している。武器庫と倉庫は酷い人口密度、そして酷い臭いと、雨の消音をかき消す程のイビキの合唱。
……よくこんな中眠れるな。
階段を上がり甲板に出ると、一斉に雨のシャワーを全身に浴びた。土砂降りではないがかなり降っている。まだ風はそんなに強くはないし、波も高くない。
マストは畳まれているな……。
「やぁファロイド。どうした?眠れないのか。」
「アスキャさんこそ、寝てなかったんですか?」
「ああ、嵐の前の点検をしていたところさ。」
「点検?」
「そうとも。まじないみたいなものだけどね。」
「?」
アスキャさんに誘われ、甲板に広げられた天幕の中に入る。雨をしのげるようになっており、数人の男達が嵐に備え待機していた。
「学校では強化魔法は習ったかい?」
「いえ…。まだ最小学年ですので。」
「そうか…。まぁ簡単にいうと、この船を頑丈にした、ってところかな。」
…なるほど。
魔力で肉体を強化できるんだ。
船が強化できたって不思議じゃないわけか。
それに船が強化できるってことは、剣や盾、それに弓も強化できると思われる。案外、有用だな。
「アスキャさんは寝ないんですか?」
「寝れない、に近いかな。寝るとせっかく手間をかけて作った術式が消えてしまうからね。」
「嵐が収まるまで寝ないんですか?」
「そうなるね。まぁ僕の感知では、嵐は明後日の未明までだから、それくらい寝なくて大丈夫さ。」
…となるとこの人は少なくとも36時間くらい起きてなきゃいけないってことか。しかも魔力を注ぎっぱなしで。しかも航海長だから部下に指示を飛ばしつつ。
「…持つんですか?身体も。魔力も。」
「ギリギリだろうね。でもいつもこんな感じだ。」
「例えば一週間嵐が続いたら?」
「その時はその時さ。何とでもなれ、だよ!」
「賭け…ですか。」
「そうとも!“賭け”さ。船旅なんて賭けの連続!“順風満帆”なんてことは滅多にない。”明日は明日の風が吹く!”ってね!」
………。
その言葉が、何故かとても響いた。
説得力があったとか、そういうのじゃない。
何故か、心に残る一言だった。
アスキャさんにまだ寝ているよう諭され、部屋に戻る。
バルザたちは変わらず寝ていた。
初夏とはいえ、濡れた服を着ているのは寒い。
早速使ってみるか。
久々にやるから、感覚を覚えているといいのだけれど。
大きく息を吸って…ゆっくり、ゆっくり息を吐く。
おヘソに意識を集中させて…。
お腹から胸に、胸から腕に…。
脱いだ吹くに翳した掌に…。
手からはうっすらとした白い光が出始めた。
以前より小さいな…。
鈍ってしまっているのだろうか。
そうかもしれない。
学校では週1の土曜日しか魔法学の授業はなく、孤児院でも特別、魔法を必要とする機会はなかった。せっかく覚えた魔法も、はたして今も使えるかどうかわからない。
だが、期せずしてその機会がきてしまった。
魚のトゲで手を怪我したり。
あるいは万が一戦闘に巻き込まれて負傷したり。
腐った保存食を食べて病気になったり。
汚いオシッコを飲まなきゃいけなくなったり。
一概に言えば、危険なのだ。
そして、今すべきことは、少なくとも究極魔法で服を乾かしている場合ではないし、簡単に乾かせるくらい使い慣れていなければならないということはわかる。
もう一度息を整える。
大丈夫。何千人にも使ってきたんだ。
少しして、やっと白い光を安定的に出せるようになった。
かなりの集中を要する。
服は乾き、服の下にあった床の一部分も新品同様、一切の汚れも傷もない。それどころか錆止めのウルシやニスすら剥げてしまっている。
やりすぎたか?
いや、どうせなら…。
このまま白い光を当て続けたらどうなる?
白い光を当て続ける。
木の床は、みるみる瑞々(みずみず)しさを取り戻し、小さな枝が生え、一枚の葉が生え…。
そして白い小さな卵ができた。
あっ。これ、思い出した。
ヴォルバタとやった、キノコを生やすやつだ。
土や木に照射し続けるとキノコが生えるのか?
何でキノコが生えるのか、キノコが生えるとどうなるのか、これが何を意味するのかわからない。
そのまま照射しつづけるとどうなる?
キノコは成長を続け傘を開いたが、木は大きくならない。
最終的に掌サイズの盆栽が完成した。
まぁ光の照射範囲も狭いし、こんなもんか…っと。
……あれ?
……急に眠気が……。
渾身の力を振り絞り、廊下に出、作り上げたキノコを海に放り投げた。目を覚ましたときにはクヴァがおいしく召し上がりましたとかシャレにならない。
……ダメだ…意識が…。
…キノコを投げ捨てた俺は転がるように部屋に戻り、ドアの閉まる音を確認して、そして意識を手放した……。
◇◇◇
次に目覚めたとき、自分はゆりかごの中だった。
大きく上下に揺られ、左右に揺られ……
「は?!」
状況を把握するのに暫くかかった。
風と雨のゴウゴウという物凄い轟音に加え、時折ドーン、バーンという大きな衝撃音がする。
明かりの無い深夜の密室。視界は真っ暗。
どこからかツーンという刺激臭がする。
今得られた情報量はこれだけだ。
「起きたか!ファロイド!」
かなり大きな声でバルザが言っていると思うが、あまりの轟音で聞き取り辛い。叫ぶようにして挨拶を返す。
「おはよう!」
「最悪な寝覚めだろ?!」
馬鹿言うなクヴァ。寝起きに小便飲むよりマシだ。
とはいえコレは……。
揺れは激しく、足場はまるでシーソーだ。
ゲレンデの上級程度の30度くらい傾いている気がする。
いや、実際にはそんなに傾いたら沈没なのだが。
つまるところ立ちあがれない。
それどころか座るのすら難しい。
子供の筋力では“這いつくばる”のがやっとである。
すっかり眠っていた俺はいつの間にか部屋の隅に丸くなって寝ていたようで、転がらないように半裸のバルザに背中で支えられていた。
身体を起こそうとしたが大きな揺れに足元を掬われた。一番楽な姿勢は、うつ伏せに這いつくばる姿勢。今はそれが精一杯だ。頑張っても四つん這いの姿勢だろう。
クラプラさんに言われた言葉が頭を過る。
(「あぁ?非常時?ガキ共にできることなんて何もないよ。甲板内の一番隅っこで丸くなってな!」)
あれは比喩でも皮肉でも何でもなかった。
むしろ今は丸くなることもできない。
本当に、子供の筋力では立つどころか、背中を起こした状態を維持することすら難しい。波は不規則に、縦横無尽に襲いかかり、容赦なく俺たちの身体を弄ぶ。
ある種のアトラクションだ。
だが歓喜する人間は誰一人としていない。
恐怖感が圧倒的に勝っているからだ。
恐怖する理由の1つに“闇”がある。
今、眼前の視界は闇に奪われ、真っ暗だ。
この部屋は密室。明かりは消えている。
もはや平衡感覚なんてとうに失われてしまっていた。
今実感できるのは、お腹に当たる床の冷たさから上下の感覚が分かるのと、利き手が右、その逆が左ということくらいである。
お互い叫ぶようにして会話をしたり、触りあったりしたことで大まかな位置関係は把握した。だがどっちが部屋の出口なのかさっぱり分からない。
意識の覚醒と共に猛烈な吐き気が襲ってきた。
そしてそんな胃袋を叩きつける、下からの衝撃音。
思わず歯を食い縛る。
「バルザ…ちょい気持ち悪い…。」
「大丈夫。俺ら、もう吐いてる。」
なるほど。鼻をつく臭いの原因はこれか。
皆、起きたのは少し前だが、同じように激しい吐き気に襲われた。部屋を出ようとしたが、激しい波に足を取られて思うように動けないまま、ルザルが吐いてしまったのだそうだ。バルザは機転を利かし、汚れたルザルの服をそのまま皆のゲロ袋にして、皆でそこに吐いたのだそうだ。染み出たゲロはバルザの服で拭いて、さらにそこにゲロをする。それをさらにクヴァの服で包んで…という風に。
服は既にゲロまみれだが、どうにか床中ゲロまみれ、俺ら全員がゲロまみれという事態は避けたようだ。
お前もするかとバルザに言われたが、冗談じゃない。
そのゲロ布はとうに飽和状態だ。
俺のゲロを含むだけの空き容量がないじゃないか。
危うく貰いゲロするところだった。
そして、俺の吐瀉物は“危険物”の可能性が高い。
必ず海に吐く必要があった。
最早バルザに返答する余裕はない。
渾身の気合いで這いながら出口のドアを手探りで探して力ずくでドアを明け、這い這いでダッシュして、一番部屋の近くの小さな物見窓から顔を出して吐いた。
膝に力が入らず崩れるように床に転がる。床は何処からともなく入り込んだ海水で濡れていて冷たかった。
後から這い這いでついてきたバルザが心配して声をかけてくれた。
「やるじゃん!ファロイド!」
「バッカ!気合いだよ気合い!」
自然と笑みが込み上げる。
最早笑うしかないのだ。この悲惨な状況を。




