九十八話:シラセ
今朝はどんよりとした曇り空。
今日は昨日よりもさらに早く起きることができた。
空腹により起きてしまったのだ。
喉が乾いていたが、昨日の一件で開き直ったのか、それとも当たり前に飲んでいる周囲に感覚が麻痺したのか、小便を飲むことができるようになった。
飲まなければ生きていけないので仕方がない。
飲むしかないのである。
いずれは飲まざるを得ないのだ。
諦めに近い感覚だろうか。
樽から注がれた液体を飲み干す。
液体は寝起きの乾ききった喉を潤していく。
濾過された大人の小便は少し濁っているが無味無臭だ。
無味無臭だが小便である。
寝起きとしては顔に糞を落とされるより最悪だった。
多くの男たちは起き抜けで顔を洗っている最中だ。一部は既に起きていて、せっせと小舟や大網を降ろしていた。
漁が最初から最後まで見れるいい機会だ。
しっかりと見ておこう。
これから行われようとしているのは“蒔き網漁”という漁だ。日が登る前に、降ろした四隻の小舟と本船を繋ぐ大きな網を投下し、朝間詰め、即ち魚が一番活性化する頃合いで網の中に餌を蒔き、適度に魚が集まったら、網を狭めて逃げ遅れた魚をどんどん捕まえるというもの。
浜から行う“地引き網漁”と同じくらい、原始的な手法の漁だ。現代ならばエンジンを積んでるため、網の引き上げ、船の寄せなどはボタンと手元の操作で簡単にできてしまうが、ガソリンもない文明レベルでは大変なことだ。そう、全ては力仕事。マンパワーによる限界がある以上、当然網の大きさも小さいし、獲れる魚の量も多くはない。
不便で大変。その割に成果が少ない。
文明の発達は偉大なことだな…。
さてと、今の時間、俺にできることは…。魚を入れる空の籠を倉庫から出して、小舟に降ろすことくらいかな。
ところで俺の勤務時間ってどうなっているのだろうか?出勤時間?退勤時間?何ソレおいしいの?
ブラック企業上等である。
投げ入れて数刻が過ぎた。腕の太さが子供の胴ほどもある屈強な男が数人係で網を手繰り寄せる。不安定な足場の小舟で、己が腕力を頼りにガッシガッシと一斉に網を引いていく姿は遠目で見ても迫力そのものだ。
俺が大人になったとしてアレができるかと言えば無理だろう。生まれ持った体格あってこそだ。俺らの中でアレができるのはクヴァくらいじゃないか?
…そう思っていると、バルザ達が起きてきた。
さぁ、1分で支度しな!仕事しようじゃないか!
俺と同じく最悪な気分の中、身支度を整えたバルザ達と合流し、いつもの作業に当たる。
早起きしたからなのか、それとも別の理由かは知らないが、小さいながらも小麦粉を押し固めたクラッカーのような菓子が配られた。お腹を満たすほどではないが、これで空腹で動けなくなることはないだろう。
砂糖が含まれているわけでもない、ただの小麦粉だ。
全く味のない、ただの湿気た小麦粉だったが、それでも美味しく感じた。
体格の大きいクヴァが魚の入った籠を運び、バルザとルザルが選別し、俺が捌く。一通り捌き終えたら俺とルザルでオイルに浸け、バルザとクヴァで干す!
単純作業は速度が重要だ。いかに効率よく、いかに素早く、いかに大量に作業をこなすかが優劣を決める。俺らはまだまだ見習いで、大人には敵わないが、雇われている以上は見習いなりの仕事をして、子供なりに成果を上げなければならない。
皆、それを分かっているのか、それとも空腹でそんな余力は残っていないのか、仕事中に無駄話をする子供はいなかった。
そして今日はかなり大量だ。
効率を上げなければ追い付かない。
どんどんと次の魚がやってくる。
無駄話どころか余計な考え事をする暇すらなかった。
魚の処理が終わったら掃除だ。
甲板や手すりを洗い流し、ブラシで擦り、汚れを拭き取り、籠についた鱗なんかもしっかり掃除して干す!
それが終わったら今日は追加で一仕事。
洗濯だ。
船員の衣類を洗い、ロープを張って干す。
海の水を汲んで、手洗に海水を張り、貰った衣類をゴリゴリと洗濯板に擦り付けながら洗う。
洗剤?ないな、そんなもの!
気合いだ!!
男達が着ていた奴隷装束の白い色は、魚の血やロープ・甲板の汚れ、そして汗が染み込みメチャメチャ汚く、何より臭い!
時に上から踏んで、水を変えながら、余りの臭いに吐きそうになりながらひたすら洗う!
そして絞って干す!
曇り空だが丸一日干せば乾くだろう。
全ての仕事を終え、ヘトヘトになる頃には昼飯だ。
昼飯は正にフィーバー。
豊作祝いの食べ放題!
メチャメチャ食べた。
たらふく食べて眠気が出てきた。
特に仕事もないようなので、甲板に横になる。
今日は太陽がない。
だからいつもより風が肌寒く感じる。
だが曇りや雨、そして雪の日というのは、晴れの日と同じくらい昼寝が捗るものかもしれない。目をつぶると自然な暗さとなり、喧騒もどこか静かになる。
疲労困憊の子供たちはすぐ寝てしまった。
俺も少し寝るとしよう…。
仮眠明け。
洗濯物を取り込み、ロープを畳んで、すぐ夕食の準備に取りかかる。男たちがゾロゾロと甲板に上がってきて、いつものようにいくつもの輪を作る。
俺たちはいつものように、コックが作った夕飯を運ぶ。
…あれ?おかしいな。
あれだけ昼は食べれたのに、食材が少ない…?
昼は食べ放題ってくらい食べたのに…?
メニューはバノックにオイルサーディンだ。
男たちは特に文句を言う様子はなく、運ばれてきた夕食を、静かに、そして黙々と食べ始める。
勿論、食べる前に祈りは欠かさない。
運び終わった俺たちも男たちに混じって夕食を食べることにした。そして疑問をぶつけてみる。
「あの…今日の夕食、どうしてこんなに少ないんでしょう?今日は大量だったと思いますけど…。」
「…シラセがあったんだよ。」
「シラセ?」
「ああ。嵐が来る。今日は早く寝ろよ。」
誰となく聞いた俺の質問に答えてくれたのは航海長の“アスキャ”だった。船乗りとは思えないほど細身で、気も強くない男性だ。金髪色白で、ラキほどではないが、かなりイケメンの部類だろう。
肉体労働をすることは滅多になく、甲板の中で海図を見たり、マストの上で物見をしたり、航海指示を出す人で、歓迎会の時も見かけなかった。
「何で嵐が来るって分かったんですか?」
「この雲行き、この風の流れ、湿気、鳥の様子から大体はわかる。あとは自分の感知能力かな!」
「感知能力…? …もしかして魔法ですか?」
「そうとも!僕はこの船では唯一の魔術師だ。魔法が使える人間は何人かいるが、僕ほど魔力がある人は船長を除いて他にいないと自負しているよ!」
少しナルシストかな?
でもここは持ち上げておこう。
「アスキャさんは魔法が使えるんですね…。」
「君も微弱ながら使えるんだろう?魔法を。」
アスキャさんの一言で輪はざわつく。
そして俺も心の中は穏やかではない。あまりに魔法と離れた生活をしていたからすっかり忘れていた。
そしてハッと気がつき、ガックリと肩を落とす。
(…なんだ。俺、もしかしたらションベン水を飲まなくて済んだかもしれないじゃん……。いや…。)
………。
人ならざる俺の能力。『死神の天秤』。
万物に“命”を与え、そして“死”を与える能力。殺した数だけ生き返らせられるチート能力。
生命の傷や病を癒し、時に死人すら生き返らせる。
その代償として生命体から命を奪わなければならない。
命を分け与える能力。
…それは物体も同じ。
壊れた鎧や錆びて朽ちた刀さえも生き返らせる。
だが“尿”は?
水に戻るのだろうか?
未知である。
「君以外の子供も皆、魔力を秘めているね?」
「え…?学校のテストじゃ魔力の適性があるのは俺くらいって話でしたけど…。」
「学校の適性診断なんて大雑把なものさ。確かに魔法を使えるかどうかは、生まれ持ったものが大きいし、使えない人は全く使えないけれど、ごく微弱ながら、発現の可能性を秘めていることもあるんだよ。」
「へぇ~、それは知らなんだ。」
「可能性を秘めているからといって、魔法を使えるほどじゃない。あくまで感覚を鋭くしたりとか、多少筋力を強める程度のものなんだけどね。」
「いえ、アイツらに伝えると喜ぶと思いますよ。」
そんな感じでアスキャさんとの会話は弾んだ。
航海士としての見聞、そして天候・天文の知識。
転生前の自分の知識も、話題が尽きぬよう小出しにしつつだが紹介し、アスキャさんも俺に興味を持ってくれたようだ。
この人とは仲良くしておこう。
今日は皆、不漁だった昨日以上に早く床に着いた。
俺たちも片付けの手伝いをしてすぐ床につく。
アスキャさんの気遣いで、今日は甲板内にあるアスキャさんの私室に入れてもらうこととなった。
すげぇな。航海長ともなると部屋が与えられるのか。
狭いながら子供4人ギリギリ寝れる。
一人は座って寝ざるを得ないけど…。
そこは公平にじゃんけんだ。
じゃん、けん、ポン!
…勿論負けたのは俺である。
くそ…仕方ない。雨を防げるだけ良しとしよう。
アスキャさんは暫く会議に参加するということで、今この部屋には子供だけだ。今日もそれぞれのグループで聞き得たことを共有し合う。皆にアスキャさんの見解を話してあげたところメチャメチャ喜ばれた。
多少力が上がったり感覚が上がる程度でも、魔法は魔法。凡人ではなくなったことに変わりはない。これほどまでに喜んだ顔をしたバルザとルザルを見るのは初めてだった。
床に着いたのが早かったから、その分遅くまでおしゃべりできた。昼間の疲れの残りもあり、誰ともなくお喋りが消えていく。
俺も、明日の嵐に備えて寝ておくとしよう…。
人物紹介
〇アスキャ
船の航海長。細身の金髪色白なイケメン。
穏やかで子供好き。
感知魔法を使える。




