第九十六話:俺たちにできること
昨日のばか騒ぎが嘘のように、男たちは真面目に、そして黙々と働く。二日酔いを起こしてグッタリしている人間は誰一人としておらず、顔つきは真剣そのものだ……。
グッドモーニング、船の上。
俺たちは相変わらず、甲板の角で呉座を布団に朝を迎える。今朝はカモメに起こされた。
糞という空爆を顔に喰らって。
雲間から光芒が指す美しい朝日に対して、最悪の寝起きだ。20メートルはあるであろうマストの支柱からの、ほんの数センチの半固形爆弾は、自由落下によりその威力を増し、とんでもない速度で俺の左ほほに叩きつけられた。
メチャメチャ痛かった。
目に直撃していたらただではすまなかっただろう。
俺の叫び声でバルザ達も起きる。
せっせと作業していたであろう男たちは俺の顔を見るや爆笑した。すぐにワラワラと人だかりが出来、俺を囲んで爆笑した。
何これ、朝から何の罰ゲーム?
男の一人が海の水を汲んできて俺の顔にぶっかけた。眠気が一気に吹き飛び、男たちはまた爆笑した。
しばらく爆笑した後、自然と人だかりは解散し、男たちはコロッと表情を変え、まるで一連のコントが一昨日の出来事かのように、俺の顔を見ても反応することなく作業に集中する。
というのがここ30分程の事の経緯だ。
朝から幸先が悪い。
そんな予感が的中したのか、今日は不漁だった。
昨日の半分以下、いや、それ以上に獲れていない。獲れた魚も小物ばかりだ。
捌いたり干物にしたりする作業は魚が少ないので楽に済むのだが、ここは異世界の洋上である。
海の上で餓死が大いにあり得るのだ。
男たちは最低限の作業を行った後、普段はせっせと仕事を見つけて働いているのだが、今日は甲板に横になった。エネルギーの消費を抑えるためである。
まぁ昨日が大量だったので干物やオイル漬けにした分の備蓄はあるのだが、それでも節約は大事だ。
俺たちも甲板の拭き掃除をして、午前中の仕事は終わりとなった。
暇になったからと言って、遊ぶようなことはしない。…というか遊ぶものもないし、いくら子供だからと言って、食料がないという状況を分からないわけではない。遊んでいたら怒られそうである。寝ているのも暇だしなぁ。
バルザたちと話し合い、体をあまり動かさず、かといって無益なことはせず、時間を無駄にせず、為になることをしようということになった。
そう、頭を使うのだ。
暫く俺たちは考え、意見を出しあう。
まずは知識人、俺達の参謀役であるルザルから。
ルザルの提案は“勉強”である。
俺たちは少なくとも1~2ヶ月、下手をしたらそれ以上、いや、もしかしたら一生、勉強ができないかもしれない。
せめて今まで習ってきた読み書き算盤の復習だけでもして、頭を柔らかくしよう、万が一に復学できたとき、すぐ皆に追い付けるようにしようというのが、ルザルの思惑だ。
だがここには教科書はない。ルザルはそんな俺の質問に、船の甲板に濡らした指で文字を書き、お互いに覚えている知識をクイズで出しあうことで、全員が全員をカバーするという“復習”はどうかと付け加えた。
さすがルザル。発想が豊かで頭も柔らかい。
バルザの提案はより実践的なもの。
それは“船乗りとしての知識”だ。
確かにこれも必要で、俺たちが明日生きていけるかどうかを左右しうる知識である。
俺たちに何ができて、どんなことができそうで、この船においてどんなポジションでいたいか、そういった将来的なことだ。
また、バルザは戦闘についても言及した。
男達の腰に短剣がぶら下がっているように、武器庫には大量の矢や剣、防具が置いてあるように、戦闘となることは大いにあり得る。そしてそれは、近い将来、下手したら明日、いや、今日にも敵戦と合間見えることがあるかもしれない。実際に戦闘になったら、俺たちはどういう動きをするのか、どういう役割をこなさなければならないのか。
早いうちに教わっておく必要があった。
なるほど、さすがリーダー。
今俺たちが置かれている状況をよく分かっている。実際バルザとルザルは、6歳にしてはかなり頭がいい方だと思う。普通小学一年生の子供はそんな発想に至らないだろう。
クヴァの提案は“頭を使わずに寝る”ことだ。
うむ、全く素晴らしい意見だ。
話聞いてた?頭使うって方向になったよね?
しかしあながち、間違ってはいない。
頭を使うのもエネルギーがいる。
頭を使っていても腹は減る。
大の大人達が寝ている中、勉強に頭を使い、それでいて大人達よりお腹を空かして、必要以上に食料を食い潰すとか空気を読めないにも程がある。この状況下では“暇をもて余して寝る”ことも大事なのだ。
俺の提案は“明日生かされる豆知識”だ。
例えばロープワーク。
どうやって船や荷物を固定するか?
梯子の編み方は?
溺れたときに捕まれるロープの方法は?
切れた紐同士を繋ぎあわせるには?
知っていて損はない。
例えば魚の種類。
ゴンズイやカサゴ、ウツボなんかは触ると危ない魚は多くいる。これも知っていて損はない。
アウトドア趣味万歳。今こそキャンプやブッシュクラフト、釣りの趣味を生かす時がきた…かも。
まぁロープワークに関しては、“トラッカーズヒッチ”を何も見ずに簡単にできるほど俺は熟練していないので、一部は船乗りの知恵を借りることになりそうだけど。
結論から言えば、とりあえず今日はバルザの意見を取り入れることとなった。やはり一番想定すべきは非常時。命に関わることだ。非常時にどう動いたらいいのかを、女頭領であるクラプラさんから教えてもらうこととなった……のだが。
「あぁ?非常時?ガキ共にできることなんて何もないよ。甲板内の一番隅っこで丸くなってな!」
さっそく聞きに行き、速攻門前払いを受けた。
そりゃそうか。
百戦錬磨の大人に、殺し合いのプロに、授業で習った程度の子供の武術で太刀打ちできるはずがない。
俺らができることは、ひたすら逃げること。
身を隠し、戦闘が終わるのを待つこと。
勝利を信じて祈ることだけだ。
それは嵐の時も同じ。
体が軽く筋力もない俺たち子供は、大波を受けたり大風が吹くと身体を支えることすらできず飛ばされてしまうだろう。やはり甲板の隅で転がらないように必死に踏ん張って耐えるしかない。
ただ「所詮子供には何もできない」ということを再確認しただけだった。
避難場所を確認した後、次に俺たちが取り組んだことはルザルの案だ。水を汲んだ桶に指先を着けて、湿らした指で甲板に文字や絵を描いていく。すぐに乾いて消えてしまうけど、甲板は俺たちの黒板、簡単なノートに早変わりだ。
ルザルは数学と言語、バルザは倫理、俺は地理学・農工学と、得意科目毎でそれぞれ担当を決め、担当者が進行をしたり主に問題を出したりする。
たった数日勉学から離れていたというのに結構忘れていて、俺も問題を出すのに苦労してしまった。問題を出しておいて答えが分からないというのはダサすぎる。だから必死になって思い返す。そして思い出した知識を出題し、それに答えられない奴がいると、ちょっとだけ優越感を得る。それが案外悪くないものだった。
やはり基本的に勉強大嫌いな俺としては、いや、自分に甘々で一人で勉強することが壊滅的に苦手な俺としては、こうやって誰かと高め合う勉強方法が一番合っているな…。
あっという間に夕方になり、夕食の配膳の手伝いをする。…今日の夕食は保存食が主か。見た目はかなり貧相で、正直美味しそうとは思えない。腹が満たされる程の量もなく、最低限という印象だ。運ぶものが少なくていいことだが…。
男たちは文句の1つも言わない。運ばれてきたものを静かに、黙々と。ちびちび味わって食べている。
少ないと文句を言う人は誰もいなかった。
夕食を全て運び終わった俺たちは、今日は各グループに別れて男たちと夕食を共にすることとした。
これはバルザの提案だ。昼間の勉強会でチラッと俺がクラプラさんから得た情報を皆に伝えたところ、皆とても驚き、情報収集の必要性、そしてその共有が大事という話になった。別々に行動するのは正直怖いけれど、勇気を出して、大人たちの輪に入って、もっともっと色々なことを聞いて、感じて…。…それを皆で話し合って、皆で生きる知恵をつけようと。
大人たちと、それぞれ関係性を作っていこうと。
それが今の無力な俺たちにできる、最善のことだと。
いつもの野蛮な宴会とはうってかわり、静かな夜だ。
男たちは昨晩までのような騒ぎは起こさず、静かに語り合っている。別々に別れた俺たちは、それぞれの輪にお邪魔させて貰ったあと、大人たちの話を聞かせて貰った。知識のない俺たち子供では、何の話をしているのやらさっぱり分からないけれど、その中でも何かひとつでも、これからのためになる知識はないか、注意深く聞いた。
大人たちも最初は「おっ。お前ら今日は別行動か?」「ケンカでもしたか?」と控え目にからかっていたが、俺たちの意図を読み取ったのか、今日は馬鹿話ではなく、世界情勢だとか、これからの展開の読みなど、真面目な話題を提供してくれた。ちらっと隣のグループを見ると、俺たちの中では一番勉強ができないクヴァも、なんとか頑張って聞いたことを覚えようとしている様である。
メモを取るノートはなく、教科書もない。
そもそもこれはテストに出る科目ですらない。
それでもコレが大切な勉強であることは、俺はともかく、他の子供たちもわかってくれているみたいだな。
談義が終わり、夜も更け、大人たちはハンモックのある甲板内へ入っていく。俺たちも甲板の一番後ろへ行き、御座にくるまる。
今夜は美しい朧月夜だ。
静かで、寝やすい…。




