第九十三話:対価
ところで、このドーナツ型の大陸『フレグラシア大陸』の中心にある湖『ラーハ湖』の湖面海抜は200m程度である。
『ラーハ湖』と『外洋』へ繋がる川はカトラ皇国とカトマイ共和国の中間に位置するこの一本の川しかない。幅は5kmほどと中国の長江並の大河で、流れは穏やかであるが逆流することなく、確実に大量の水を湖から外洋へと運んでいる。
また、ラーハ湖の周囲は、この『グリムズヴォトン』と、対岸にある浅瀬の『ノバルプタ湖岸』を除いては、4ヶ国全てで急斜面の崖となっているため、大規模な交易には不向きな環境だ。
俺たちがついさっき出港した『グリムズヴォトンの港』はそんな『ラーハ湖』と川の境目に位置していて、グリムズヴォトンの港には湖との高低差を無くすために、盛り土や堤防を設けた、小さな『運河』が備わっている。
そのために貿易の要所となっており、同時に戦略的な要所となっているのだ。
また、この港は安定的に、朝方を中心に北西から南東へ、つまり湖の方に風が吹くことが知られているが、川の流れに背いて帆船が遡上できるほどの強い風は嵐でもない限り滅多に吹かない。
となると、風に加えて船を動かす手段が必要となるのだが、この世界にはまだ“化石燃料”は存在せず、エンジンなどの安定動力も当然存在しない。
となると出港する手段は1つ。
川の流れを脱出し、安定した風や水の流れに乗るまで、漕ぎ棒であるオールを手にとって、ただひたすらに漕ぐしかないのだ。
「ヨイサー!」
「「「ヨイッショォーーー!!!」」」
「ヨイサー!」
「「「ヨイッショォーーー!!!」」」
「まだまだいくよッ!!」
甲板の下、三階建てのこの船の真ん中のスペースに位置する広い空間で、統率役の女海賊と男たちが大仕事に携わっていた。
男達は5、6人のグループを左右5組ずつ、それを10組ほど作り、長さ二十メートル程になるであろうオールに対し数人がかりで手に取り、息を合わせて勢いよく漕いでいく。
号令をかけるのは女海賊。
うーん、凄い迫力。
だがその迫力は、確かに男達を“船を前に進める”という一つの目的に導いていた。
そう、“集団で船を漕いで進める”という行為は簡単ではない。“統率”が何より尊ばれるのだ。
左右バラバラでは船は上手く前に進まない。
前後バラバラでは効率よく力を伝えられない。
これがなかなか簡単ではないのだ。
まず、素人ではオールで水を掴むことすらできないだろう。バシャバシャと水面を掻いては進まない。山なりに水を抉ってしまう“山漕ぎ”では抵抗が増して無駄な力がかかってしまう。
水を捕まえ、真っ直ぐ水平方向に力を入れ、水面に刺さるオールを軸として固定するイメージで、船を作用点として自分自身が水の上を滑り移動する感覚……恐らく何をいっているのか素人目にはサッパリだろうが、そういう動きで“漕艇”は成り立っているのだ。
…と、話は脱線したが、これほど精密な作業を、しかも何人も、何十人も協力して行うとなると大変なことであるというのはお分かりだろうか?
特にこれほど大きな船を動かすとなると、一人あたりにかかる負担も大きくなるのは当然のことだ。筋骨粒々の海の男達でなければ務まらない仕事だろう。
……で、俺たちはそんな大迫力の光景を見ていたら「働かねぇならあっち行ってな!!」と女海賊に怒られて、船の甲板の最後方に追いやられたわけだ。
甲板では見張りを行う者、風向を読み、マストの角度調整を指揮する者、マストを指示通り動かす者、舵を取る者など、誰一人としてサボらず、誰一人として連携を欠かさず動いている。
俺たちのできたことは、邪魔にならない場所を探すことくらいだった。海賊達は俺たちを無視…いや、というか荷物のように気にかけない。
日が頭上に昇り切る頃になると、船はある程度、風の流れに乗り安定的に航行できるようになった。
内海だけあって波は穏やかである。
ここがドーナツ状の大陸の空洞部分だと言うのに、どれほど目を凝らしても、どちらを向いても“岸”は見えない。別に俺の目が悪いわけでも、空気が霞んでいるわけでもない。この湖の幅がとんでもなく広いのだ。
また、この湖は“少ししょっぱい”。
少し塩の香りもする。
ここ『ラーハ湖』は、海ほどの塩分濃度はないが、完全な淡水ではないのだ。例えば有名な死海やカスピ海がこれに当たる。湖なのに塩分濃度が高いこともあるのだ。これを“塩湖”という。
だから獲れる魚は海のモノにほぼ等しい。
そして塩水であるからして、湖の水は飲めない。
そして俺たちの目下の問題がそれだった。
俺たちはこの半日、朝5時に飯を食べてから今まで、何一つとして飲み食いをしていない。
海賊たちは各自昼休憩を取っているようだ。
食べているのは干し肉。飲んでいるのは麦酒。
俺たちは何も与えられていない。
俺たちはただ、素通りされている。
そこに何も存在しないかのように。
「なぁ、ファロイド…これって…」
「あぁ、ヤバイな。」
「僕達、これからどうなるかな?」
「さてな。」
バルザとルザルは薄々気付いているかもしれない。
だがクヴァはまだ、事態を飲み込めていない。
「なぁおい、何で俺らには飯ねぇんだよ?」
なんて俺に聞く始末。
まぁ、ある意味一番子供らしい考えだ。
だが、あのアブルプタにそれを言うほどクヴァもバカではない。海賊たちから食料をブン取ろうとするほどアホでもない。それを分かった上で、このどうしようもない空腹と枯渇を何とかしたくて、自然と出た言葉なのかも知れない。
「ファロイド…俺、アイツに直訴してくる。」
「直訴して…どうするんだ?バルザ?」
「土下座してお願いすれば…食料を分けてくれるかも知れない。」
「………。」
俺には土下座して食料を要求して、結果どうなるか、なんとなく分かる。それは“大人”としての考え方で、今までの経験から得たことだ。少なくとも“本当の子供”であるバルザ達には分からないだろう。俺はそれを分かっていたからこそ、必要以上に助言をしてはならないのだと思った。
本当に、この世界は厳しいな。
子供にも甘えを許さないのか…。
バルザの呼び掛けのもと、俺たちは全員でアブルプタに土下座して懇願した。
「「「僕達にご飯を下さい!」」」
結果は変わらず。
アブルプタは無視し、その光景を眺めていたであろう海賊たちも何事もなかったかのように仕事に戻る。
何度も土下座した。
「「「僕達にご飯を下さい!!」」」
何分も土下座した。
「「お願いです!どうか私達にご飯を下さい!!」」
何時間も土下座した。
「どうか…どうか!!」
俺たちは、ずっと無視されていた。
日が落ちる頃、俺たちはもはや土下座する気力もなく、手摺を背にぐったりと項垂れていた。
ルザルは最早泣く元気もなく、甲板に横たわっている。
最初は認められない事に苛立っていたクヴァも今は無言だ。
「なぁ…ファロイド。俺たちはどうすれば良かったんだろうな…。」
バルザが力なく俺に問いかける。
その目には光もなく、諦めの表情が見える。
思えば朝御飯を食べてから今まで飲まず食わずで、船の甲板で直射日光に晒され続けながら土下座を繰り返していたのだ。
とうに限界は超え、最早気力もない。
………。
本来、子供は無条件で守られなければならない。
無条件に恵みを与えられなければならない存在だ。
だが、そんなものは“この世界”にない。
いいや、違うな。
“現代社会”では子供は倫理と法の下で守られているが、日本だって一昔前は、例え子供でも言われていたことだ。
「“働かざる者、食うべからず。”」
俺はボソッとバルザに助言した。
そう、“報酬は労働の対価”。
至極当たり前の理屈で、それが全て。
その言葉を聞いたバルザは、下を向いた。
◇◇
自分がその一言を、皆を代表で言ってしまったら。
もしかしたら孤児院には戻れないかもしれない。
今までの満たされた生活に戻れないかもしれない。
でも、もしかしたら食料を貰えるかもしれない。
その一言が、確かにあった。
自分、ルザル、クヴァ、ファロイド。
彼らの全てを背負う覚悟を決めなければならない。
思えば、自分の興味本意で、何て馬鹿なことをしたんだろう。それが、皆の人生をメチャクチャにすることになるなんて…。自分は…自分はリーダー失格だ…。
ここまでの道中、後悔ばかりが頭の中を駆け巡っていた。それは今でも同じ。むしろ今はそれを実感し、より強く思えている。
自分は…。
「それを言うのはお前の仕事だぞ。リーダー。」
ファロイド…。
「バルザ。僕達はキミの判断に委ねるよ…。」
ルザル…俺のせいでこんなに弱って…。
「まぁ、なんだ…。お前に着いてったオレらも同罪ってことなんだろーが、お前と一緒に冒険したこと、悪いもんじゃなかったぜ。」
クヴァ…。
「いいから、行くぞ。さっさと…。」
みんな、ゴメン…!
「僕達を、どうかここで働かせて下さい…!」
◇◇◇
バルザの、…いや、俺たち全員の、最後の気力を振り絞った最後の土下座。
何もせず貴重な食料を分けて貰おうなんて厚顔無恥も甚だしいことは言いません。しっかり働きます。足手纏いにならないよう努力します。
その誓いの証。
そして、主従の誓いの証でもある。
それは即ち、学業に復帰できない可能性もあるし、安寧な生活の放棄を示すことでもあった。
でも、それしか手段はないのである。
もうとっくに全員限界だ。飢餓を超えて生理学的に危険な状態にあることは明白だ。そして、食料を得るためには何をしなければならないかも明白である。
“労働”だ。
狼や虎など野生の肉食獣は、生きるために狩りという仕事をしなければならない。草食動物は生きるために草地を探す仕事をしなければならないし、回遊魚は生きるために餌を求めて泳がなければならない。
“生きること”と“働く”ことは密接に関係している。
一生遊んで暮らせる人間ばかりではないのだ。
一生遊んで暮らしている人間が食べている食べ物は、誰かの労働によって作られているのだから。
“いつまでも、あると思うな、親と金”
親も金も土地もない俺たち孤児は?
誰からも守られていないこの状況で?
“生きるために働く”しかないのだ。
「僕達にできることは何でもします!!」
「雑用でも掃除でも何でもします!!」
「お願いです!!どうか働かせて下さい!!」
それを聞いて、初めて。
目の前の白い鬼は俺たちを“人”と認識した。
やっと俺たちが“荷物”から“人”になった瞬間だった。




