第八十九話:窮鼠猫を噛む
『前門の虎、後門の龍』
という諺がある。
それはまさしく、今の状況を指すのだが…。
正面には短刀を持った、手足が異様に長い蛇のようにヒョロヒョロした男、後方には棍棒を持った、だらしなく垂れ下がった巨大な肉の塊を持つ男。
これはダンジョンで蛇と豚の魔物に襲われたという出来事ではない。スラム街の細い路地裏で、知性の低そうな人間二人に挟まれたという、ただそれだけの出来事だ。
たったそれだけの出来事だが、死ぬかもしれない状況となると一気に恐怖を増す。きっとダンジョンで魔物に命を狙われる恐怖と大差がないのだろう。
本当に怖い。怖い怖い怖い怖い怖い。
でも、死ぬ痛みは、もう経験済みだ。
心臓を刺されても、あの激痛なら耐えられる。
何せ俺は、不死なのだから。
相手は大人二人、武器を持っている。
対しこちらは子供四人、そして手ぶら。
勝ち目は薄い。いや、ほぼ無い。
ここはスラム街の狭い一本道。逃げ場も無い。
大声で助けを呼んだとしよう。この二人は黙らせようと襲いかかってくるかもしれない。助けではなく、この男二人の仲間が来る可能性もある。憲兵が助けに来たとして、こんなスラム街を興味本意で探検していた俺たちは、お説教どころではなく何かしらの罰を受けるだろう。
大人しくしていれば命は助かるかも知れないが、どこか遠くへ売り飛ばされるかもしれない。性の慰みモノにされるかもしれない。快楽として殺される可能性もある。
つまり、『考えても無駄』ってことだろう。
『戦う』しか選択肢がないのだ。
戦うなら、どちらと戦うべきか?
後方の豚は図体がデカイが手足は短い。
棍棒程度なら、ある程度振り回せる自由が利く。
それにあの図体で突進されたら終わりだ。
そして巨大な肉の塊に、俺達が突破できる隙間はない。子供が力士にタックルして道をこじ開けるようなものだ。
対し正面の蛇男は、後ろの豚に比べて知的で、かつ刃物を持っていて危険だが、その長い腕では自由に刃物を振り回せないだろう。剣道で言うところの『突き』か、上段からの『面』か、『袈裟』しから相手は選択肢を持っていない。
ならば…。
即判断、即実行。
今なら『助走』をつけられるー。
大きく深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
それと同時にヘソに、そして足に力を込めていく。
強く。
もっと強く。
以前、バルザと喧嘩をした後、覚醒した俺はバルザを抱え、超人的かつ超常的な奇跡を起こした。
三階建ての建物を飛び越える跳躍力。
馬より速く走れる走力。
猫のような敏捷性。
猿のような身のこなし。
そう、その力の名を『魔導力』。
魔力の力で筋肉や骨を瞬間的に強化する、密かに練習していた力…!
もっと、もっともっともっと!
強く、強く…。
右腕もついでに…。
もう一度息を吸ってー
「バルザ!クヴァ!道を開けろ!そして全員、俺に続いて正面の細い奴に突っ込め!!」
大声で全員に発破をかける。
驚いたバルザとクヴァは思わず身を引きーー
それと同時に『全力の一歩』を踏み出す。
たった1発でいい。
殴れずともタックルでいい。
最悪、刃物を持つ右腕を押さえられればいい。
後はバルザ達に任せようー
渾身の魔力を込めて踏み出した『魔導力』の一歩は、数メートル先に立っていた蛇男に、たった一歩でたどり着いた。ーー否、まだ足が地についていないという意味では『0歩』とも言える。
驚異的な跳躍と加速をそのままに、余りの魔力を注ぎ込んだ右拳を男の顎めがけて放つ…つもりだったが、あまりの速度に手元が狂い、拳は男の喉元にめり込んだ。
蛇男は数メートルぶっ飛んで倒れ込む。
声にならぬ声を上げ、踞ってうち回っている。
ただでは済むまい。
正当防衛だ。悪く思うな。
直ぐ様、ぶっ飛んだ蛇男に飛びかかり、全身で刃物を持つ右腕を押さえにかかる。
バルザ達は倒れ込んだ蛇男を飛び越えて正面に抜けた。よし、全員超えたな…。
残る力でぶっ飛んだ蛇男に飛びかかり、全身で刃物を持つ右腕を押さえにかかる。
ビキッ
「ぐっ…あ…!」
魔導力による反作用。
凶悪なダメージが幼い肉体を襲う。
立とうとして右足から固いものが砕けた音がした。
「ファロイド!」
「馬鹿!来るな!早く行け!」
「ファロイド!後ろだ!」
振り返った俺の左脇腹から右脇腹へ強い衝撃が貫く。
トラックに跳ねられた?いや、豚かー
「ガッハ…!」
腹と胸から全ての空気が抜け、大きく後方へ飛ばされる。肋骨から変な音がした…!
立とうとして息を吸うと激痛で視界が暗転する。
ヤバい…。
一度は離れたバルザたちが俺を救出に戻ってくる。
バカ!早く逃げろ!…という声がでない。
「ぶっころしてやるぞおおおををを!!!!」
豚は今や猛牛となり、今にもバルザたちに襲いかかりそうな勢いだ。豚男は俺を突き抜け、俺は豚男と蛇男の間に挟み込まれる形となってしまった。程なくして俺にブッ飛ばされた蛇男もズルりと起き上がる。
「よくもやってくれましたねぇクソガキが!!!」
動けない…。
蛇男は立ち上がり…。
地に伏せる俺に、刃を振り下ろした。
くそ…ガードが…。
「「「「ファロイドおおぉおおお!!!!」」」
振り下ろした刃は、俺に届かなかった。
「な~にやってるんですかィ。こんな所でェ。」
刃を振り下ろそうとした蛇男の腕を掴む何者かの腕。
ボロボロの白い服。
ボサボサでシミの混じった白髪。
そして瓶底メガネの下で怪しく光る赤い瞳。
そう、あれはーー
「ヴォル…バ…タ…」
「やァ…ファロイド…。どうしたんですかァ…こんな所で…。フツー子供は、この“ギャオ”には入って来ないでしょう…?」
「なぜ…ここ…に?」
「彼が教えてくれたんですよ…。ファロイド…彼に感謝しなければねェ…。」
ヴォルバタの後ろ。
息を切らしている、くすんだ金髪の子供。
その姿を見たバルザが思わず声をかける。
「ジャグラー!何でここに!?」
「いやぁ、ギリギリセーフみたいですねぇ。フフフ…。」
「そうじゃない!なんでここが分かったんだ!?」
「フフフ…その話は後で追々…。おや。」
「調子乗ってんじゃ…あだだだだ!!?」
ヴォルバタに腕を捕まれた蛇男が痛みで悶絶する。腕を握力で締め上げただけで、刃物は蛇男の腕からこぼれ落ちた。何て握力なんだ…。
そして、勝負あったな。
「なァにを嬉しそうな顔してるんですかァ…おや。」
俺の身体が、髪がうっすらと光り始めた。
もはや何度目かも分からない『覚醒』だ。
折れた足と肋骨は瞬時に治癒し、傷が治った後しばらくの疼くような痛みも一瞬でキレイサッパリ消失させてくれる。まるで最初から傷など無かったかのように。そしてゆっくり立ち上がる。うん、足もよく動く。
うーん、いい加減痛い思いをしなければ発動できないこの能力はどうにかならんものか…。
「それが…前に言っていた『覚醒』ですかァ。こいつァいいものを見たもんだァ…。」
「いいものじゃないですよ。さて…。」
傷は治れど、俺とバルザと達の間にいる豚野郎をどうにかしなければいけない。そう、倒さなければ窮地には変わりない。
…覚醒状態での戦闘は初めてだ。
試したいことは沢山ある。
豚野郎は果敢にも“今の俺”と対峙する様だ。
蛇野郎はヴォルバタに捉えられている。
バルザたちは豚野郎の後ろにいるが、豚野郎を背後から叩く手段は持っていない。子供の拳ではあの肉塊に何のダメージも与えられまい。
「サテ…アナタならどうしますかァ?ファロイド。」
そういってヴォルバタは蛇男が落とした剣をこちらに蹴って寄越した。
殺れ、ということか。
短剣を手に取り、構える。
力を抜け。
もっと肩のちからを力を落とせ。
大きく息を吸い、もっと吸い。
ゆっくり吐く。
そしてイメージする。
身体中の毛が逆立つように。
体温が上がるようなゾワゾワする感じを。
心の高ぶりを。狂気に浸る歓喜を。高揚感を。
足元から土埃が舞い、路地裏に突風が吹き荒れる。
「ヘェ…?これがNo.1の力ですかィ…?」
「フフフ…凄まじい…。身震いしてしまいます…。」
「ファロイド…。」
男たち二人はすっかり腰が引けている。
最早恐怖は感じない。
今の俺に刺されたら恐らく『即死』だ。
どんなに当たりどころが所が良くても死ぬ。
かすり傷でも死ぬ。
そういう能力だ。
子供たちに襲いかかったこと。
脅したこと。恐怖を与えたこと。
どの罪も死刑には至らない。
別に男たちに恨みはない。憎しみもない。
別にその生態に興味もない。
…でも。
申し訳ないけれど。
…実験台として死んでもらおう。
「行くぞ!!!!」
「そこまで!!!」
突撃しようとしたその瞬間、ヴォルバタに制止される。勢い余って転びそうになる。
「ヴォルバタ…?何を…?」
「何を、じゃアないでしょウ?人殺しにでもなるつもりですかィ?君とは言え、相応の罰を受けますよォ?」
「く…。」
「それに…、大人を頼るべきです。」
ヴォルバタは蛇男の腕を握る手に力を込める。
そして「バキッ!」という音と蛇男の絶叫。
踞る蛇男を尻目に、豚男にスウッと近付く。
間にいた俺をすり抜けるように。スウッと。
そして豚男の鳩尾に一撃。
物凄い音がした。
デブが汚ならしく吐物をぶちまけ、気を失う。
「はーい、終了ォ。君たち、前にこっぴどくアタシにやられたの覚えてないんですかィ?」
「そ、その声は…お前はこの間の…腐髏者…」
蛇男は変な方向に曲がった腕を押さえ、瓶底で怪しく輝く赤き瞳に恐怖の眼を向ける。
「次はァ…殺しますよォ…?」
「ヒッ…」
ヴォルバタが睨むと、蛇男は気絶してしまった。
あれがアマニタ一族の能力の一つで、毒キノコへの畏れを神格化し能力に昇華した魔術『畏怖』か。
「ヴォルバタ…ありがとうございました。」
「そうさなァ…、全く、最近の子供達はァ…危険かそうでないかの判断も付かないらしい。オイタが過ぎる。」
「すみません。ほら、皆も。」
「…助けてくれて…ありがとう…ございました…。」
「お力添え…感謝します…。」
「どうも…どうもどうも…。」
クヴァ、それじゃ謝罪とも感謝とも取れないぞ…。
「これァ『教育者』として…子供達に一つ釘を刺す必要があるなァ…。」
「「「……え?」」」
その場にいるいる子供達は皆、固まった。
ああ、これはーー。
憲兵よりもタチ悪い人に捕まったな、と。




