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煉獄世界の死神  作者: 敗北の貴公子
第3章 少年時代
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第八十八話:ディストピア




日雇い労働者及び低所得労働者居住区域。

貧民街“ギャオ”。


工業地帯の一角、特に清掃業や下水処理に携わる者が寝泊まりすることが多い地域である。

ここで労働に着く者達はお世辞にも良い待遇の中で働いているとは言えない。白い服を着た“奴隷”や何かしらのハンデを負っている者が人口の9割を占め、その日暮らしの生活を送っている。

背を丸めて歩く人々の、頬がこけ、薄汚れた顔に、人間的な活気は見られない。

ロボットか。はたまた人形か。

もしくはゾンビかもしれない。

“低い身分”であるが故の“希望の無さ”なのか、普通の生活とは程遠く、自分の人生がどう転んでも好転することのない絶望感からか。

“負”の空気がこの地区を包んでいた。



バルサ達は以前ここに足を踏み入れた時はあまりの光景に絶句したという。“大人になることの憧れ”を持つ子供からすればあまりにショッキングだったのだろう。

ここにいる大人は、無垢で無邪気な子供からすれば、あまりにも希望が無さすぎる。さらに言えば、自分達と同じ「白い」奴隷装束を来ていたら尚更だ。

彼らの姿は天涯孤独の自分達の行く末となる可能性が大いにある。他人事ではない。


バルザとルザルは、ここに来て、悪い大人に追いかけられて、“朝の鍛練”をすることを誓ったという。

こんな大人になるのなら、前線に立たされようと、せめて誇り高き戦士でいたいと願ったのだ。そして悪い大人から弱い者を守れるようになりたいと祈った。


反面教師という点では、ここの住人はその小さい背を見せることができたのかもしれない。



対し俺は淡白だ。

日本のスラム街で働いていたこともある。

これくらいのスラムは別にどうとも思わない。

むしろ、カトラ皇国のスラムはまだマシだ。

ジル達が路地裏で身を寄せあい、セイラ達が幼い身体を売っていたシンクバトラ王国の方が遥かに嫌悪感を覚えた。

ここ“ギャオ”の大人は、尊敬はしないが感心する。

貧困でも、その日暮らしでも。人の敬遠しがちな汚れ仕事をする彼らに、俺はむしろ称賛を送りたい気持ちだ。本来はこういう人ほど労働に見あった所得が必要だと思う。

…まぁ、そうはいかないのが“身分制度”の厄介なところではあるけれど。



さて、再びそんな人達に会いに来たバルザ達の心境は如何なものか?普通はトラウマになって、二度と来たく無くなるハズだ。以前追いかけられたことへのリベンジか。それともオバケ屋敷のように『スリル』の味をしめたのか。

単なる『若気のいたり』なのかもしれない。

それとも何か、別の目的があるのか…。



もっとも、こんなスラムにスリルを求めるのは場違いだ。失敗すれば死、よくて憲兵に捕まり罰を受ける。デメリットの方が遥かに大きいのだ。そもそも賃金が低い中でも頑張って生きている人達を冷やかしに行くのだ。ただの下衆(ゲス)である。


馬鹿げた話だ。

全くもって、バカげている。

愚かしいにも程がある。



…でも、中身は大人の筈のこの俺が。

自制を促すべき立場にある筈のこの俺が。

子供達(みんな)との探検に。

心踊っているのも事実だった。




俺たちは足を進める。

中央の通路の二本隣。

家と家が密集した路地の裏手、大人が半身でないと入れないような細い『隙間』を、猫のように静かに、ネズミのように速く、小走りで駈けていく。

確かにここなら憲兵に見つかりにくい。

まぁ4人とも白い服装のせいで暗がりでも見つかってしまうのだが。それでも身を隠すのに、そして移動としては『大人が入れないような小道』は絶好なのだ。子供だからこその機動力の高さをフルに活かせる。

探検慣れしているバルザ達はよく分かっていた。

そして俺もシンクバトラの経験から知っている。


バルザ、クヴァ、俺、ルザルの順に隊列を組んで進む。



そっと静かに。小走りで。

先頭のバルザは安全ルートの確保。

殿のルザルは後方の確認と尾行のチェック。

二番目のクヴァはバルザの、三番目の俺はルザルのサポートにそれぞれ当たる。広い場所では横の安全を確認。このような細い場所では特に仕事はない。



俺たちは猫のように影の中を進む。

閉所恐怖症の人間なら絶叫ものだ。

大人は余程でなければ入らないだろう。

好奇心旺盛な子供だからこそできる探検方法だ。



しかし、スラム街に裏口から入場するということが、スラム街の路地裏を歩くということがどういうことかと言うと…。



「うぇ…臭い…。」


ゴミだらけなのはまだいい方で、垂れ流された糞尿や吐瀉物(ゲロ)も当たり前、そういったリスクは被らなければならない。勿論クモの巣まみれだ。前を歩く大柄なクヴァのお陰で大分軽減されているけれど。



通りを横切る。

周囲を警戒。

足音を立てるな。

一息で、風のように。

急げ…。

落ち着け…。




…俺はここ“ギャオ”に来るのは始めてだ。


“ギャオ”には“ドヤ”がある。“ドヤ”とは“宿(やど)”を反対にした俗語で、低所得者向けの簡易宿泊所を指す。

衛生面や衣食住の環境としては、宿すらなく物陰でひっそりと奴隷が暮らしていたシンクバトラの環境よりまだマシだと感じたが、シンクバトラより“貧民の絶対数が大きい”。街全体が奴隷の街かと思うくらい、殆どの人が小汚ない白いローブ、つまり『身寄りなし』の証を纏っている。


俺たち衣食住を提供されている俺たちも白い服装だ。

そこらへんでゾンビのように歩いている労働者と、身分の差は実質存在しない。色としては目立たないかもしれないが、実際はこの貧民街(ギャオ)に子供達は殆どいない。


この貧民街に子供達がいない理由はいくつかある。

子供達の半分は『環境に適応できず成長するまでに死ぬ』。残り半分は『保護され里親に渡される』か『売られる』のどちらかだ。そもそも女性がこの街には殆どいない。男性が汚く、力が必要な仕事に安定的に従事するために簡易宿泊所を建てたのが始まりだとされる。女性は殆どが早々に売られて娼婦にされたり家事手伝いとして使われる運命にある。生殖行動自体が稀なのかもしれない。


そんな男だけの世界、しかも所得が低く、自由が殆どなく、娯楽もなく、発散の場さえないときた。

『やっていられない』それが殆どの低所得労働者が持つ感情の大部分を占めている。

抑圧された飽くなき欲は爆発の場を求め悶える。

そんな毎日だ。

犯罪が無いわけがないのである。



そんな欲が抑圧された街の、昼間でもどこか薄暗い路地に広がる光景は、なるほど確かに、これは、興味深い。



また通路を横切る。

周囲を警戒。

静かに。しかし急いで。




ある路地の片隅では、男と男で交尾していた。


確かに建物の隙間で目立たず、さっき俺たちが進んできた極狭い隙間ほどではないが大人二人が入れるスペースだとしても、だ。


ドヤでやれ。



俺たちは引き返し、さっさとそこを後にする。

バルザたちはまだ純粋な子供、倫理の授業で習ったとはいえ、男同士の交尾は初めて見たのだろう。

ドン引いている。


俺はコッソリとガン見しておいた。



路地裏とは言え野外で交尾をすることは立派な犯罪である。現代社会のみならず、いつの世においても、そしてこの世界においても同じだ。この街ではそれが唯一の“娯楽”であり“快楽”なのかもしれない。


他にも軽犯罪は後を立たない。

重い犯罪は滅多にないらしいけれど。




今度は少し広い路地裏に出た。


地面に呉座(ござ)を敷き、そこに煤で覆われたような汚ならしい怪しげな商品を並べている。闇市か?



俺たちはその前を素通りする。



………ん?あれは……?




あれは!


そう、紛れもない『現代の』家庭用器具!


かなり錆び付き、腐食が進んでいるが…。

あの形は…間違いない!



『電気ポット…!』





その時だった。




「あぁれぇ?何だぁ?ネズミが入ってきたなぁ!!!」




突如、正面右、細い裏路地同士の十字交差から男がヌルリと出てきた。身長が高く手足が異様に長い。

ボロボロの白装。無精髭と縮れたボサボサの髪。

憲兵ではない。もっと恐ろしいものだ。

目が座り、瞳孔が開いている。

それは獲物を見つけた蛇の如く。


腰から下げた短刀をゆっくりと引き抜く。



「ヤバい!逃げろみんな!下がれ!」



バルザは直ぐにUターンの指示を出す。


俺たち4人は恐怖から叫び声すら出ない。

振り返り、全力で来た細い一本道を引き返す…が。



「おおおおおお!!いきがいいじゃあねぇかあああ!!おでにもくわせてけろおぉお!!」



後ろから知性の低そうなデブの大男が現れた。

茹でたての煮豚のようにブヨブヨしている。

こいつもボロボロの白装。

鼻毛が延び、鼻水が垂れていて汚ならしい。

目付きがヤバい。逝っている。

手には棍棒。



ずっと尾行されていた?

そう思わざるを得ないほど計ったような現れ方だ。

完全に相手の方が上だったのだ。


完全に挟まれた…!

この道しかなかったとはいえ、大人が入れるような道に入ってしまったのは失敗だった。


「すまん…、みんな。」


「そんなことはいい!これからどうする!?」


「………。」



あの勇敢なバルザが沈痛の表情をしている。

あの冷静なルザルが焦っている。

あのクヴァが言葉すら発しない。

そして俺も、突然のことで動揺して動けない…。



決断の時は迫る。



正面からは蛇が這うようにズルリ、ズルリと歩み寄る手足の長い大男。後方からはだらしない肉の塊がジリジリと詰め寄る。



逃げる?

一本道だ。

どうやって?


戦う?

自分の何倍も大きい男達と?

どうやって?

力士に子供だけで挑むようなものだ。

しかも向こうには武器がある。



敵は…二人だけか。

相手は俺たちをどうするだろうか。

あちらは武器を持ってる。

俺たちを殺すつもりだろうか?

暇潰しとして。もしくは快楽として。

俺たちを捕らえるつもりだろうか?

金目当てで。あるいは身体目当てで。

読めない。

全く読めない。

どちらもキチガイだ。

気紛れで殺すし、気紛れで捕らえるだろう。

大人しくしていても殺される時は殺されるのだ。



そしてこちらは武器や道具は持っていない。

手ぶらだ。

迂闊だった。だが6歳児では、この窮地を乗り越えられるような武器や道具は手に入らないだろう。




コマンドカードは最早一つしかないのだ。



『▼たたかう』



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