第八十四話:日常の積み重ね
ラキとの会談から2ヶ月あまりが過ぎた。
季節は初夏。
太陽は一層高く登り、日は長くなった。
そろそろ夏至となる頃だ。
日に日に暖かくなっていく。
草木はいっそう生い茂り、深い緑を携える。
この2ヶ月で変わったことがある。
1番大きな変化は「補講が終わった」ということだ。今までは通常授業の後に学校に残り、周りのレベルに追い付けるよう居残っていたが、やっと周りに追い付いたと判断されたのだ。
今ではカトラ語の読み書きは何とかできる。
やはりネックなのが「日本語に聞こえるし日本語で話しても相手に伝わってしまう」という、よく分からない能力にある。日本語で話しかけても通じる相手にあえてカトラ語で話さなければならないのだ。日本語に聞こえる相手の言葉を脳内であえてカトラ語に変換しなければリスニングにもならない。しかしカトラ語の文字の読み書きは全くできない。これが辛かった。
俺は生来、外国語は本当にダメだったけど、郷に入ればなんとやら。何とかなるものだな。下手に日本で英語を学ぶよりアメリカで長期ホームステイをした方が嫌でも英語が身に付くのと同じことだろう。
数学は基礎から計算へ。
頭を使うものになってきた。
最近は「仕事算」が出てきた。
「1時間に20個のリンゴを剥くAと1時間に40個のリンゴを剥くBが二人で力を合わせて20個のリンゴを剥くとどれくらいの時間がかかるか」みたいな問題だ。
なつかしいなぁ。
ジルやクヴァが頭をかかえている。
倫理学は、ここ最近は人の心理や世の常の勉強をするようになった。
面白いのは俺をシカトしたり目を反らす「イジメっ子」が、「イジメ」の授業で先生に当てられて「イジメはいけないことです!」などと先生に当てられて発言していることだ。滑稽この上ない。授業を受けたとて、良いことを言ったとて、勿論俺への態度は変わらない。いかに意味の無いことか分かるな。まぁ今の俺は嫌われるにしても能力による補正がある。仕方ないか。
酪農工業学。
座学が中心だったこの科目も、いよいよ野山や農家・酪農畜産に見学に行き、実際に見たり経験したりすることが増えてきた。『百聞は一見にしかず』ということ。草花を知るには、図鑑を広げるだけでなく実際に野山に行って実物を見た方が勉強になるというもの。どんな場所に生えていて、どんな臭いで、どんな背丈で…など、図鑑を眺めるよりもっと多くの情報を得ることができる。
それは畜産も同じ。
少しショッキングだが、鶏や豚、牛など動物が殺され人間の胃袋に入る肉となる精肉かていを過程を見ておくことは重要だ。『人間』は誰しも食べなければ生きていけない。『食べる』ということは『殺す』ということだ。ベジタリアンとて同じ。生きている植物を殺してそれを食べているという点では変わらない。『生きる』ことは即ち、間接的にであれ『殺す』ことなのだ。
これを最小学年である俺たち6才児に見せるということは、現代日本の教育課程では考えられないかも知れないな。鶏の首を折るショッキングな瞬間を、豚の頸動脈を斬り動かなくなっていく様を、映像ではなく生で、目の前で実際に行い、それを加工して食べるという実習授業。子供だからこそ感じるものも大きい。泣く子供もいたし、吐いてしまう子供もいた。セイラなんか首を折られた鶏に治癒魔法をかけようとした程だ。
そして子供達は深く感謝する。
『食べる』ということに。
『生きる』ということに。
そう、俺たち『キノコの亜人』も、時として『生きるために人を殺す』こともあるだろう。日々感謝して生きなければな…。
余談だが、俺はこの能力故にクラスで避けられることが多いのだが、『野生の勘』が働く動物はその比ではない。牧場に行ったときのことだ。俺の近くにだけ動物が集まらない。近付くと猛ダッシュで逃げる。乳しぼり絞りなんかも牛が大暴れして俺はとてもじゃないができなかった。動物からすれば俺は猛獣より危ない危険生物。ふむ、こういうデメリットがあるのか…。
体育だが基礎的な体力作りを続けている。ストレッチ・ランニング・組手だ。普段からバルザたちと朝練している成果も出てきた。体力がついたのか、最初の時より息が上がりにくくなったように感じる。動きも少しだけスムーズになった。相手の次の一手が読めるほどには至らないが、飛んでくる拳や蹴りに身体がより速く反応して自然と動くようにはなってきた。
受け身や受け流しも前ほどダメージを受けない。
しかし、まだまだ直撃を食らうことも多い。
例えばフェイントを交えた攻撃を受けきれなかった時に、心の迷いから集中が途切れてしまうと、その後、精神的に立ち直り、体制を立て直すのに時間がかかることが分かってきた。一度リズムを崩すと連激を食らってしまいやすい。また、相手が怯むと手が止まってしまう傾向にある。加減しているつもりはない。動けないのである。
『心は身体を動かす潤滑剤』なんて言葉もある。
身体の怪我より心の怪我の方が古傷としてダメージが大きくなってしまうことがあるのだ。
例えばプロ野球選手のピッチャーが、ヤクザみたいな怖いバッターにデッドボールを当ててしまったり、深刻な怪我をしてしまうと、どんなに「大丈夫!」と意識していても自然に投げられなくなってしまったり、コントロールが悪くなることがある。『イップス』という症状だ。普通に投げたつもりでもまるで検討違いな方向に行ったり、それまで何千回投げてきたのにロボットのようにギコチナイ投げ方になってしまう。自分の身体じゃないように感じるという。程度は人によって違うが、キャッチボールでは普通に投げられるのに、バッターを前にすると途端にダメになってしまう場合もある。
その場合、ピッチャーとしての復帰は難しく、復帰までにとても時間がかかることが多い。『恐怖心の克服』ならびに『自分の心と身体を繋げること』のメンタルトレーニングも必要だ。
『心』は確かに存在するのだ。
俺の場合は『殴り殴られる恐怖』にまだ慣れていない。いつぞやジルが言っていたとおり通り『命乞いをする人間に対しても躊躇いなく殺せる奴が本当の天才』ということは、あながち間違っていないのかもしれない。これが剣や槍みたいな人を殺せる道具を使った実践だったら、俺は訓練通り動けるだろうか?
心の問題が大きいだけに、武術に関しては本当に先が長く感じる。それでも何とか、この『Dクラス』のレベルには着いていけているのだけれど。
土曜日に行われている『剣術』『槍術』『魔法術』の授業。これも補習を終え、やっと『Dクラスの人並み』に動けるようになってきた。とはいえ元々の適性もないためかなり苦労している。同じく補習をやっていたジルとは天と地の差がついてしまった。本当、孫悟空かと思うくらいジルは身軽で棒術の扱いに慣れている。父親のジグによる特訓もあるのだろうけど、やはり天性の才能が大きいかもしれない。こいつはきっと武道の天才児が集まる『B』でもやっていけるのだろう。
勉強と雑学以外でジルに勝っている武術はないのだ。
もっと頑張らないと。
魔法術は最近セイラの成長が目覚ましい。
コツを覚えたようで、炎魔法はマッチの火ていどに程度に出せるようになった。その一方、高等魔法である治癒魔法も独学でせっせと練習していたようで、今ではそんなに苦労せず緑色の光を出せるようになっている。今は青い光の除菌魔法も覚えようとしているようだ。治癒魔法だけで言えばとっくに中等部のレベルを超えている。少なくとも6才児ができる代物じゃない。
実は俺も回復魔法を覚えた。覚醒していない状態ではセイラほど楽にできないが、一応適性はあったようだ。『猛毒キノコの亜人』の俺が使う回復魔法とはこれいかに。
それ以外で言えば、水魔法は今のところ加湿器みたいに水蒸気を出せる程度。俺が水魔法を使うとその部屋の湿度が少し上がる。窓が曇る。うん、嬉しくない。
土魔法にも適性ができた。俺が10分くらい土を触っていると苔ができる。これも立派な土魔法だと思う。そう信じたい。
毒魔法は使っていない。万が一があるからだ。
今まで放課後にやっていた補習期間が終わったことで、夕方に時間ができた。夕方の過ごし方は調べものをしたり、学校を探検したり、人々の暮らしを見て回っている。ジルは家の手伝いをしに帰る。バルザ達孤児組はそれぞれ別行動を取っているようだ。
そうだな。今日は久々に喫茶『パンザリナ』に行って、世界情勢の話やアマニタ一族の話を聞くとしよう。




