第七十三話:喫茶パンザリナ
喫茶店「パンザリナ」は2階にある。
階段を上った先に喫茶店、というのは珍しいのではないだろうか。しかも四方を高い家に囲まれているため窓は階段部分にしか着いておらず、景観は全く楽しめない。怪しいスナックに近いものすら感じる。
そんな古びた喫茶店に入る。店内は薄暗く、まだ午後3時だと言うのにランプが煌々と輝いている。怪しい雰囲気が5割増しだ。こじんまりとしており、カウンター席が10席ほど、2組用のテーブル席が3つ。席と席の間隔も広いとは言えない。棚には趣深いアンティークが並べられており、黒光りしたテーブルや床はそこそこの年季を感じる。薄暗い店内を除けば、コンパクトな店内と味のあるインテリアが、何とも言えない居心地の良さを演出していた。
エスプレッソでも飲みながらランプの灯りで静かに読書をしたい、穴場だがあまり人には教えたくないと思える場所だと、一目見て感じた。
一人の女性がカウンター席に座り、右手で頬杖をついて左手にコーヒーカップを持っている。
年は20代後半から30代前半といったところだろうか。赤い髪に白いハットを被り、白い服を着ている。白い服ということは、この女性も俺やヴォルバタと同じ、奴隷かそれに準ずる身分だろう。
しかし奴隷という身分にもよらず、品のある佇まいで、しなりとした仕草からは妖艶さを感じる。
色白で、そして、瞳の色は赤…。
「あら…ヴォルバタ。いらっしゃい。」
「やァ…姐さん。連れてきたよ。」
「あらあら。こちらの坊やが例の子供ね。」
「ファロイドです。初めまして。」
「フフ…宜しく。ファロイド。私はムスカリアっていうの。」
「ムスカリアさん…宜しくお願いします。」
「まァ座ろうか…。マスターいるかィ?」
「マスターは今しがた買い出しに行ったわよ。」
俺は子供の身体のため、椅子の高いカウンター席には座ることができない。テーブル席に腰掛けた。
「ファロイド君は何飲む?」
「何って、俺お金持ってないですので。」
「お金はいらないわよ。」
「ありがとうございます。なら…そうだな。コーヒーで。ミルクと砂糖はいらないです。」
「あら、子供なのに凄いわね。ヴォルバタは?」
「同じくコーヒー。ミルクと砂糖多目で。」
「相変わらずの甘党ね。」
そう言うとムスカリアさんはコーヒーを淹れにカウンターの中へ。この店はその“店長”の他にムスカリアさんも切り盛りしているんだろうか。
豆を挽くムスカリアさん。現代社会ではコーヒーメーカーを使った喫茶店も多い。こうやってゴリゴリと豆を挽いて出してくれる喫茶店は久々だ。
数分してコーヒーが出来上がる。いい香りだ。啜ると、仄かな苦味の中にスッキリとした酸味が口に広がった。
これは何という豆だろうか。おいしい。
だが次の一言でコーヒーを楽しむどころではなくなってしまった。
「あら…。人間の子供も連れてきたの…?」
血の気が引いた。
あいつら…尾行けてきやがったのか。
俺は全く気付かなかったが、ムスカリアさんとヴォルバタは気付いていたようだった。
「すみません。友達です。多分俺のことが心配で後をつけてきたんだと思います。ちょっと声かけてきますのでここで待ってて下さい。」
「アタシが行きましょうか?」
「いえ、ヴォルバタはそこにいてください。逃げたりとか野暮なことはしません。必ず戻りますんで。」
玄関を飛びだすと、しゃがんで盗み聞きしようとしていたバルザ達が飛び上がる。ソゥに至っては声を上げてしまうほどだ。
「お前ら気持ちは嬉しいけど、頼む、今は帰れ!」
「だ、だがファロイド…!」
「ルザル、ダメだ。この後あいつらの仲間がもう一人来る。お前も分かるだろう?奴等は只者じゃない。俺は招かれた身だから大丈夫だろうが、お前ら招かれざる客は本当に殺されるかも知れないんだぞ!」
「な、何だと…!?そんな……。」
「バルザ…頼む。皆を連れて先に孤児院に戻ってくれ…。俺のことは心配いらない。あと、寮夫の先生達にも言うな。ペナルティとか受けかねない。絶対だぞ。」
「わ、分かった…。必ず帰ってこいよ。ファロイド。」
「ソゥも、大丈夫だから。門限までには戻るよ。」
「分かったよ…。必ず帰ってきてね!?」
「ああ。当然だ。じゃあまた。」
バルザたちは渋々と階段を降りていった。
大通りに出たところまで見送り、店内に戻る。
「お待たせしました。」
「さァて…ファロイド。アタシたちがキミをここに呼んだ理由から説明するとしますかァ。いや?それはきっと、キミ自身が聞きたいことと同じじゃアないかと思ってねェ。」
………。
「そう畏まらないで欲しいなァ。さて、改めて聞こうか。君の聞きたいことをオジサンたちに言ってみてごらんン?」
「分かりました。では失礼ながら……。アナタ達は不思議な力を持っている、違いますか?」
「応とも!オジサン達は不思議な力を持ってるよ。」
「それは人を殺せる力である、違いますか?」
「ン~、半分正解。アタシは人を殺せる力を持っているけれど、ムスカリアの姐さんは持ってないよ。精々嫌がらせをする程度さ。」
「嫌がらせだなんて。ヒドいわ。ヴォルバタ。」
「おやおや失敬。フフフ…。」
差があるのだろうか。続けよう。
「俺は…人間なんですか?」
「おや、知らなかったとは。その能力や正体についてラキ皇太子殿下から聞き及んでいないと?」
「明日、ラキと会う予定になっています。」
「ならばアタシ達からはそれ以上は教えられませんねェ。」
「随分と勿体振りますね。」
「いやいや、殿下の立場を尊重してのこと。アタシから先に話したとあっては、殿下の立つ瀬もないでしょ?」
なるほど。
「ならば聞きたいことは以上です。今日はありがとうございました。失礼させていただきます。」
「おおっと、待て待て。そう急ぐこともないじゃないか。」
「……何が言いたいんです?」
「キミともう少し話したい。…そうだなァ。キミはもしかして、ここではない別の世界から来たのではないかィ?」
「………。」
「沈黙は、イエス、ということでいいのかな?」
……どう反応したものか。
「そう構えないで欲しいなァ。話が進まないじゃないの。」
「…そうです。違う世界から来ました。」
「やっぱりそうかァ。なんて国だい?」
「“日本”という国です。」
「日本?知らないなァ?」
日本を知らない?
「ヴォルバタさんは?」
「ブリテンって国知ってるかい?ガリアに攻めいった…。」
ブリテン…?ガリア…?
ブリテン??
「……いえ、知りませんね。」
「あら、知らない?ブリテンってのは…。」
「かのアーサー王がいたとかいう?」
「そうそう、知ってるじゃァないの。」
………。
こいつ、まさか中世ブリテン王国の出か?
ならばあの殺気はあながちハッタリではない。
元騎士にしろ、元暗殺者にしろ…。
かなりの使い手だったのではないか?
「ヴォルバタ。アナタは実は、いえ、本当の名前は“ヴォルバタ”という名前ではない。違いますか?」
「いかにも。」
「アナタの本当の名前は何です?」
「それがねェ。どうも思い出せないんだよねェ。こっちの世界に来たときにどうも名前に関する記憶が飛んじゃったみたいで。気付いたら子供の姿で路地裏に捨てられてたってワケさァ。」
ふむ…。嘘は言ってなさそうだ。
「それで?今までどうやって生活を?」
「見たら分かるでショウ?今のアタシはただの浮浪者ですよ。捨てられ身寄りもなく、ストリートチルドレンで過ごすうち、ホームレス生活が板に着いちゃって。」
「………。」
「そう警戒しなさんな。」
「いや、もしかしてアナタは好きでホームレスをやっているんじゃないかと思って。見たところアナタはかなりの実力者だ。衣食住に困らないほどの。その尋常じゃない殺気や気配探知の力、のらりくらりとした物腰が証拠。違いますか?」
「い~い読みだねェ。でも、深読みは火傷の元ってねェ。」
「いや、すみません。まぁ初対面同然のアナタに出自や生い立ちまで聞くのは無粋でした。謝ります。」
「イヤ、気にしてないよ。それより日本ってどこだィ?」
「日本っていうのは…」
その後、日本や生きていた時代について話した。
ヴォルバタとムスカリアは興味深そうに聞いていた。
ムスカリアさんはアメリカ出身の白人。
しかもまだ独立戦争前の合衆国の出だ。
ヴォルバタやレイタと同じように、幼少期を路地裏で過ごしたらしい。奴隷らしい、雑な扱いを受けて育ったが、ムスカリアさんが15歳の誕生日の日、幸運にもカトラ皇国に拾われて、存在と尊厳を認められ、匿われているのだそうだ。
なるほど…。
話をするうちに時間は過ぎ、四方を高い家に囲まれた狭い空が茜色に色づき始める。そろそろお暇しなければ門限に間に合わない。
ヴォルバタに理由を話し、今日は別れることとなった。
次はもっとヴォルバタやムスカリアさんの生きてきた時代の話を聞きたいな…。自分としては平安時代の人と生きたまま会話できるようなもの。希少な歴史的資料だ。
「結局店長は来なかったですね…。」
「ごめんなさいね。あの人も忙しいのよ。」
「また来なね。ファロイド。アタシ達はいつでも君を歓迎する。コーヒーくらいだったらいつでも奢るよ。」
「そう奢ってもらってばかりでは…。とはいえ、お世話になりました。また宜しくお願いします。」
そう言って一礼し、店を出た。




