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煉獄世界の死神  作者: 敗北の貴公子
第3章 少年時代
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第七十一話:変化

ちょっと日常が加速します。



明くる水曜日。

今日も明朝にバルザとルザルと鍛練をする。

今日も怖い先輩に会わなかった。

俺は組み手のスピードを上げず、かといって遅すぎない、ある程度スローモーションでの組み手にしてもらった。

飛んで来るパンチやキックにビビって萎縮して、型がメチャメチャなまま身体で覚えないよう、ゆっくりとした速度から慣らし、しっかりとした型や動きを覚えようという魂胆だ。



いつもの様に馬車で通学。

昨日の場所に『ヴォルバタ』の姿はない。

その日の夕方もいなかった。


それから木曜日、金曜日。

やはりヴォルバタの姿はなかった。




ここ最近、少しずつではあるが変化を感じる。

授業がやっと軌道に乗ってきたのだ。


毎日『言語学』の補修授業を受けている成果か、やっと教科書の字が辛うじて読めるようになってきたのだ。教科書の文字が読めなければ他の授業を受けても満足には理解できない。まだソゥに小声で読んで補助してもらうことは必要だが、部分的には内容を理解できる。

これには正直、安心した。

当初は『不死の能力の代償で文字が読めない』ものだと思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。

ちゃんと俺にも読字能力はあったのだ。


カトラ言語は英語と似ている。日本語で言うような漢字やカナが存在せず、その単語のためだけに存在する文字も存在しないため覚えやすい。

英語と同じように左から右へ書くのでイスラム語や戦前日本語の様な違和感もない。文法も英語と同じ。

ただ英語の『A』とか『a』と違って簡単な文字ではない。曲線の多い複雑な文字だ。そう考えれば平仮名文字は言語の初歩としては『ABC』に比べると複雑な文字なのかもしれない。



次に『数学』。まだまだ俺の敵じゃない。

正直全くやる気にならない。いい内職(言語学)の時間だ。

言語学の伸びが良かったのは算数の時間あってこそだろう。


数学、ねぇ…。

俺は元々文系で、数学はⅡbまで、嫌々やっていて結果も散々だったが、当時から心に抱いていた通り、ある一定レベル以上の計算が買い物や介護現場の仕事など、日常生活で役に立った試しがない。

でも、大人になって数学について分かったことがあった。

何故人生において意味のない『数学』の勉強をするか?

それは『考える力を養う』ことにあると思う。

未来の数学者を養うために数学があるのではない。

数学の世界に酔いしれたものが数学者になるのであって。

数学は深く考え、答えを導き出す力を身につけるものだ。

計算式や公式はそれを可能にするツールに過ぎない。

数学問題はひっかけが多く、よく考えなければ解けない問題も多い。せっかく導きだした答えも不適当なんてことはザラだ。そういう問題は自分にこう問いかけているのだろう。


『よく悩め。』『よく考えろ。』『よく振り返れ。』


現役の受験生は「こんなもの将来絶対使わない知識だろ!解けて何になるんだ!」と思うかもしれない。

だがそれは間違いだ。

解く過程こそが意味ある時間なのだと思う。

結果として俺は、その『考える力』がまるで身に付かなかった。そのせいで人生に大分苦労している。

今から思えばもっと頑張るべきだったかな…。


だが今は考えずに解ける小学1年生のレベルだ。

まだ考える必要もない。



昼飯を食べて、『倫理道徳学』。

この授業は真面目に受けていた。

『人の気持ちが分からない』のは最大の欠点であり汚点だ。

異世界の常識を学ぶ最高の機会である。

しっかりと1から学び直さなければならない。

授業内容はストーリーモノの短編本を読んで、登場人物の思いや話の流れなどの感性を養うこと。異世界の物語は新鮮で、世界観がまるで違うけれど、喜怒哀楽、損得、愛と憎しみ、正義と悪、損得感情は人間の世である限りは常。嫌がらせを受けたら悲しいのは異世界であれ同じ。

真面目に勉強を…。


…といっても小学1年生の読む本だ。

正直言おう。3日と経たず馬鹿馬鹿しくなった。

腹立たしいのだ。小学一年生と同じレベルの常識力を養っている自分が腹立たしい。流石にそれくらいの感情の動きは分かる。

この授業が一番受けていて辛かった。色んな意味で。



その鬱憤を晴らすかのように次の『基礎武術』を受ける。

言語学の次に成長を実感したのはこの時間だろうか。

学校の武術の授業は、まず先生の掛け声に合わせてパンチの打ち方、キックの仕方、受け方や合わせ方、足運びなどを一人一人練習した後、二人一組になり組手を行う。

組手は毎朝特訓しているバルザやルザルの他に、他の子供たちと組むこともあるのだが、多少は他の子供より滑らかに、そして即座に判断して動けている気がする。本当に少しの違いだとは思うが、何となく反応できている気がするのだ。


だが優越感に浸れるほど強いワケではない。

朝の組み手で手も足も出ないバルザとルザルがいる。

また、二人以外で授業の組み手で凄いと思ったのはやはりジルだ。スローな動きでの組み手とはいえ、何より動きが自由で滑らかで身軽なのだ。恐らくスポーツ特待生を集めた『B』クラスにも引けは取らないだろう。初めての動きも驚異的なスピードでコツを掴んでいく。天才というやつかもしれない。


クヴァは同年代にしては体格が大きいためリーチがある。背丈は俺より30センチほど大きく、ガッチリしていて筋肉質だ。こちらが合わせて踏み込んでも懐に届かない。これはとても参考になった。力と体格で敵わない相手にどうしたら一撃を入れることができるのか。考えさせられる。


まだまだ強くなる道のりは遠いな…。



『農工業酪農学』。

この授業は文明レベルを知るのに適している。

絵を用いた講義を受けているのだが、化学肥料や機械的な現代社会との違いに、正直凄く興味を惹かれている。

例えば現代アメリカの様に広大な土地を機械を使って耕すということはできない。馬や牛に「トンボ」と呼ばれる、熊手のような爪がついた大きなT字型の(くわ)を引かせてザッと耕すようだ。その後は人力で深く掘り返す。化学肥料はないが人糞や牛馬の糞を細かくした干し草に混ぜ混んだものを混ぜて肥料にしているようだ。まるで歴史の教科書の中に入ってしまったんじゃないかと思うほど、そっくり『昔の農業』の姿だ。

農耕酪農学は密かに俺の『癒し』となった。





さて……変化は授業だけではない。

悪い方の変化だ。それもタチの悪い方の。



人間関係が上手くいかないのだ。

明らかに避けられている。



クラスの連中は最初から俺を変な目で見ていたから別に気にしてない。金髪ロングの女にしか見えない見た目で、“俺”なんて一人称。男の仕草。まぁ俺は『俺っ娘』は気にならないが、世間の目はそうだろうな…。孤児院の孤児達の心が広かっただけだ。


それ以上に、仲良くなろうとし過ぎたって自覚はある。

馴れ馴れしかったかな。仕草や挨拶。

それでちょっと引かれたかも知れない。

大袈裟にキャラ作りすぎたかな。

それでさらに引かれたかも知れない。

大人が子供の姿になっめ小学生と仲良くなるには?

そんな簡単な話ではなかったのかもしれない。


最初は俺を歓迎してくれた孤児院の孤児達も、同じ学年のバルザ達を除いては、今はどうも目線が痛い。何かどうも俺を警戒しているというか…俺に目を背けるようになったというか…。ここ数日はクラスの子と組手をしてもどこか素っ気ない。


いつからだろうか?

じわじわと飽きられるように嫌われ出した?

いや、違う。

ここ数日?

いや、もっと最近だ。

どうもバルザと喧嘩したあたりから怪しい。

喧嘩したことがそんなに大事(おおごと)に?

それともあれか?屋根走ってた方が?

そんなニュースになるほどヤバかった?

いや、ヤバイか…ヤバイわな。


すぐ調子に乗って。

お約束のようにやらかす。

後先考えず行動して。

誰にも迷惑をかけていなくとも…。



…とりあえず今は何をどう話しかけても嫌な顔をされる。

今はこれ以上親交を深めるのは無理だろう。


大丈夫。

嫌われるのは慣れてる。

除け者にされるのも慣れてる。


今は、バルザ達やジル達家族との仲は変わっていないということを安心すべきだ。

別にクラス全員が友達でなくてもいい。

一年生になったら友達100人できるかな?

いいや、100人が敵に回る人生だったんだ。

大丈夫。俺は耐えられる。

大丈夫。俺には家族がいる。

大丈夫、俺はまだ、愛されてる。



カトラ皇国に来て1週間が経った。

明日は二回目の土曜日。特別授業の日。

感覚忘れてないといいけれど。


そして……アイツと会う日だ。

白髪の浮浪者『ヴォルバタ』。

アイツとの約束の日…、



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