第六十五話:焦りと衝突
朝御飯を食べて、準備して。
いつものように登校だ。
学校までは馬車で1時間。
この時間が唯一、ゆったりできる時間だ。
とてもいい。とても快適だ。こうやってコトコトと揺られながら、流れていく素晴らしい異世界の町並みや朝の活気を見ながらボーッとする。最高だ。
やはり人生には『苦労』と『発散』の他に『休養』が必要なのである。中には朝早くから夜遅くまで仕事して、休みの日は家族サービスとかトレーニングに打ち明ける人も、仕事がそのままストレス発散になるから休みの日もボランティアに明け暮れる人もいるだろうが、俺は違う。基本的に休日は家の中でゆったりまったり過ごしたいし、野山でキャンプをして人との繋がりを絶って自由気ままに過ごしたいのだ。
……だが。
例えば休みの日を一人家で寝てぐうたら過ごす人間と、雨の日でも奉仕ボランティアに出る人とでは社会経験に大きな差ができる。休みの日に家でぐうたら過ごす人と山登りをしたりスポーツしたり、トレーニングしたりする人とは体力の絶対的な差ができるのは必然だ。
堕落は至福で幸福だが、心身ともに強い人間は誰もがその至福の時を捨て、努力しているのだ。
……。
分かっている。
この心休まる至福の時を手放せば、きっと俺は強くなる。俺と同じように馬車に揺られている人よりは体力がつく。
どうせ4年後、10歳になれば歩いて学校に行くことになるのだ。馬車に乗っていられるのは今のうちだけ…。
今は体力ないし、この後の授業に差し障ったら困るし、昨日の疲れも残ってるし、馬車に揺られて一眠りして、ゆっくりしよう………。
……。
………。
「バルザ。」
「なんだ?また変なこと言い出すんじゃ…。」
「俺の荷物宜しく!こっから走って学校行くわ!」
「は!?おいちょっと待てファロイド!」
そうジルが返す前に馬車から飛び降りた。
走るスピードと同じくらいゆっくりと走る馬車から飛び降りるのは別に大したことじゃない。容易に着地できた。
馬車は止まらない。やがて見えなくなった。
「さぁて、行こうか。」
気分は晴れやかだった。
朝の町を駆けていく。
当たり前だがこの世界に歩道という概念はない。
通りすがる馬車を避け、人の波を避けながら走らなければならない。一昨日は夕方だったから人通りも少なかったが、朝は障害物競争のような感覚だ。右へ、左へ。自然と緩急が着いていいトレーニングになる。今は魔力を使っての走りはしない。今バテたら確実にアウトだ。全力は出さず、それでも止まらないように、歩かないように、息を整えながら走り続ける。
そこから10分。
……正直、キツイ。
学校の400mトラックが果てしなく長く感じた小学1年生が、朝飯前も走り、朝飯を食べた後も7キロくらい走るのだ。普通に考えて簡単なハズがない。
モチベーションはとうにない。
残ったのは格好つけて飛び降りたことへのプライドだけだ。
何度も折れそうになる心をそのプライドで支える。
何でこんなことをやろうと思ったかも、そう考えた自分を愚かしいと恥じ、二度とやるかと誓いながら。
学校まであと5キロといったところか…ん?
あれは…?
「ったく!このバカ!なに考えてやがる!」
「バルザ!どうして…。」
「仕方ねーだろ。お前に何かあったら困るしな…。」
バルザは俺が心配で後から馬車を飛び降りたようだ。
俺の身勝手な行動で、バルザも走らせることになってしまうとは思いもよらなんだ。悪いことをした。
こういう所なんだよな…。
視野が狭いとか。人の気持ちに疎いとか言われるの。
「バルザ…すまない…心配をかけた。」
「本当だよ。ったく…。まぁ時間もない。話は走りながら聞くぞ」
朝の商店街を走り抜け、円形の中央広場越え、尚も学校までは半分。まだまだ距離がある。平均的な小学1年生の足だとどれくらいかかるだろう。
「…で、どうしたんだ一体。ここ最近変だぞ。」
「ごめん…。」
「何があった?」
「バルザ…。『A』クラスって知ってる?」
「何だそれ?」
そうか。知らないか。
とりあえず学校のカースト制度について話す。
バルザは驚いていた。
体力では自分と同等のファロイドがランニングで置いてきぼりにされ、全く歯が立たない『A』の実力。物覚えもよく知恵もあるファロイドがまるで着いていけない授業。そして育ちや生まれのいい子供の多さ。
恐らくバルザ以外にも、殆どの『D』クラスの生徒は文武両道の『A』や武道特化の『B』、学力特化の『C』クラスのの存在を知らないのだろう。
バルザもまた、自分が所詮落ちこぼれの中で秀でているだけの存在ということに驚いていた。信じられないといった感じだ。
俺の話は決して盛っていない。
だがこの国の子供の中で出来のいい子供を集めたエリート、といった例えに納得していたようだった。
「…で、お前は悔しかった、と。」
「いや、悔しいというより、焦ったのかな。」
「焦った?」
「ああ。強くならないと、この世界は生きていけないから。」
「なるほどな…。」
バルザもその意味は知っていた。
優秀な人材は重宝され、凡人は前線に立つことを。
前線に立って生き残るには優秀でなければならないことを。
「…ファロイド。」
「何だよ。」
「…ちょっとこいよ。」
「え、寄り道してる時間はないぞ。」
「いいから!こっち。」
言われるがままに着いていく。
空地?公園?家と家の間にある資材置き場だ。
「なんでこんな所に…。」
「…ファロイド。俺と喧嘩しようぜ。」
「は!?何で!?」
何か地雷でも踏んだか?いつ?
何かバルザを怒らせることした?
俺が突然馬車を飛び降りたこと?
「いいからやろうぜ。ファロイド。」
「1つ聞かせてくれ!俺お前に…」
そう言う前に、左頬にバルザの右ストレートが飛んできた。
マトモにパンチを食らった俺は大きく吹っ飛ばされ、何とか頭は打たなかったものの受け身も取れず背中から地面に叩きつけられた。驚きで殴られた頬の痛みはないが肺から空気が抜けた痛みで吐きそうになる。
「ガッ…!く!」
起き上がると既にバルザは目の前。
こいつ…本気だ!
左のジャブを両手で何とかガード…しかし右への反応が遅れ左脇腹に食らってしまう。またしても吹っ飛ばされて地べたに落ち、悶絶する。
「どうした!そんなへっぴり腰で強くなりたいとか言ってんのか!」
「…く、くそ!」
地べたに転がる俺に容赦なく飛んでくる蹴りを何とかかわし、起き上がってバルザの胸に目掛けて右パンチを放つ…があっさり止められた。
「軽いパンチだなぁ!しかも顔や腹じゃなく胸を狙うとは。ナメているのか?それとも顔も殴れねぇ意気地無しか!」
そう。
俺はマトモに人を殴ったことがない。
ふざけて腹パンくらいならある。
イジメられて、殴られ慣れてはいるけれど。
本気で殴り『あい』の喧嘩をしたことはないのだ。
特に『友達』とは。
故に心には迷いが生じる。
顔を殴ったら痕が残るんじゃないかとか。
腹を殴って内臓痛めたらどうしようとか。
殴ることが怖いのだ。
対してバルザは違う。
本気で俺を倒しにきている。
この殺気、この威圧。
俺を倒そうという意志。
大人になって体験できるものではない。
ボクサーなどファイターや軍隊くらいじゃないか?
バルザと距離を取ろうとして瞬時に詰められ、またも顔に一撃を食らう。
「どうした!そんなもんか!ビビってんじゃねぇぞ!!」
…そうか……俺はビビってるのか……。
顎に食らった俺の視界はグルンと回り、地べたに落ちた。
「…お前、弱すぎる。戦闘に向いてねぇよ。」
悔しいが事実だ。
パンチが飛んでくる瞬間、恐怖で体が一瞬硬直してしまう。
その一瞬は、パンチを食らうには長すぎる一瞬だ。
「そんなんで強くなりたいとか言うんじゃねぇ!」
いきがっていた。そう、強くなりたいと。
殺戮兵器か何か知らんが強くなってゲームみたいに無双したいといきがっていた。そして現実がコレだ。まったく、情けなさ過ぎて笑えてくる。立ち上がろうとする俺の手に滴が落ちる。
あれ、俺…泣いてるのか?
「悔しかったら立て!俺を倒して見せろ!」
足がガクガクして力が入らない。
俺、こんなもんだったのか…?
こんな弱っちいのか…?
悔しさが込み上げて、涙が止まらない。
思えば俺、異世界に来て初めて泣いたかもな…。
「お前には失望した。じゃあな。俺は授業に行く。」
待てよ……。
待て……。
やめろよ……。
いかないでくれ……。
失望……?
やめろ…。
バルザはどんどん離れていく。
動けよ…足…。頼む…。
頼む…動いてくれ…。
待ってくれ…。
俺に…失望しないでくれ…。
「待て…」
「…あ?」
その瞬間、俺の右拳がバルザにめり込んだ。




