第三十六話:暗雲
今日は朝から冷たい土砂降りの雨である。
薬草取りの仕事は雨天中止。
安全性を考慮してのことだ。
早速計画に狂いが出てきたな…
孤児達のアジトへ行ったがもぬけの殻。
皆、雨を凌ぐためどこか違うところに避難しているのかもしれない。
ジグは今日も清掃業務へ出ていった。
目覚めた時には既に出勤した後。
衛生業務に休みなし。
暑い日も寒い日も。雨の日も雪の日も。
全く、頭が上がらないな。
ジグは自分に休めと行ってくれたけど…
そうは言っていられない。
雨天が続いたら計画は破綻する。
雨の日でも出来る仕事、出来れば山菜採りと兼ねて出来る仕事を探さなければ。
宿を出る際、簡易的な『簑』を借りた。この世界に傘はない。いや、あるにはあるが、このシンクバトラ王国では庶民に出回るほど流通はしていないとのことだ。藁を編んだものを油に浸けて撥水効果を高めた『簑傘』を頭から被って雨避けとしたり、木の板や木の皮を頭上から覆って雨避けとしたりしているようだ。
両手が奪われ作業効率が悪くなるから、雨の日は作業を控えているのかもしれない。
傘やカッパを発明して売り捌いたら、ベストセラーとなるかもしれない。唐笠の作り方は見当が着くが、ゴム傘やカッパとなると難しい。この世界にゴムは流通しているのだろうか?どっちにしろ傘やカッパの材料を買う金がないので後回しにしよう。
宿を出て職業案内所に着くまでの間、殆ど人を見かけなかった。誰ともすれ違わず、誰にも追い越されない。広い通りを歩いているのは自分のみで人影は全くない。
出店は勿論、他のお店も明かりが消えている。
土砂降りと濃い霧に街は包まれ、まるで街から人が消えてしまったかのような、不気味な世界に包まれている。
職業案内所に着いた。
営業はしていたが、職員が少ない。
雨だからだろうか。
今現在、募集はたった1つしかなかった。
『公衆衛生保全』
しかも俺が一昨日ジグに仕事を持っていった時のギャラよりかなり高い。いや、その時の時給とは比較にならないほど跳ね上がっている。
ジグは昨日10時間働いて1000エアだったが、この時給ならば10時間労働で7000エアに相当する報酬金だ。
……嫌な予感がする。
案内所の職員に説明を求め…
そして、嫌な予感が的中した。
『公衆衛生』の時給が高い理由。
それは流行りの腹風邪だ。
3日前から腹痛や下痢、嘔吐を訴える人が爆発的に増えていき、今や腹風邪の域を越え、「疫病」と呼ばれる程となった。
着目すべきはその症状。発症初日、酷い嘔吐と下痢を繰り返し、二日目、ケロッと治ったように症状が改善するが、三日目、大量の血を吐き血便を垂れ流して昏倒し、衰弱死してしまうというもの。
発症の原因は不明だが、ここまで爆発的に増えたのだ。単なる食あたりではなく、ノロウイルスの様なウイルスや赤痢菌などの細菌が疑われる。
…まぁそのような「ウイルス」や「細菌」の存在を知っているのは自分だけで、殆どの人は『呪い』『魔術』と考えているようだ。
病院に行ったり、解術師や呪い師に助けを求める人もいるという。
既に死者は30人。
感染が疑われる人は予想もつかないとのこと。
……ヤバい。
非常にヤバい。
もしウイルス性や細菌性の胃腸炎なら、嘔吐物や下痢からの接触感染や、それらが乾燥して空気中に塵となって拡散し、それを吸い込むことで感染する飛沫感染がある。
そしてその影響を一番受けやすいのが…
案内所を飛び出し、土砂降りの雨の中を全力疾走で清掃業務の事務所へ向かう。
鼓動も、息苦しさも感じない。
それほどまでに血の気は引いていた。
息を切らして事務所へ着くも、誰もいない。
まさか…!
部屋の玄関付近、嘔吐物まみれのジグが
うつ伏せで倒れていた。
すぐに脈を見る。…脈はある。
だがピィピィとおかしな呼吸音。
吐瀉物で窒息仕掛かっているかもしれない。
危険な状態だ。
感染のリスクは100も承知。
この世界に手袋やマスクはない。
アルコールも塩素系消毒液もない。
…だが、そう言っていられる状況ではないことは、死人のように真っ白な顔をしているジグの顔を見れば分かることだ。
即座に手をジグの喉奥に突っ込み、引っ掛かっている食べ物の残骸を取り除く。背中を叩き、覚醒を促す。
ゲホゲホと大きなムセ込みが聞こえ、呼吸音が元に戻った。身体の左側を下にし、ジグ自身の右腕を肘から折り曲げジグの首の下に入れる。足は右足を前へ。 安楽姿勢と呼ばれる体位である。
よし、とりあえず安楽な呼吸を確保。
次。とりあえず助けを呼ぼう。
大声で助けを呼ぶと、数人のウエイターが階段を掛け上がってきた。部屋に入ろうとしたが、訳を話し、大量の雑巾と袋、替えの布服をもらう。
雑巾を濡らし、ゲロを拭き取り袋へ。
ゲロをした跡には濡らした雑巾を上から敷く。
塩素系の消毒液がないことには全く意味を成さないが、それでもウイルスの拡散を防ぐ術である、と思う。
呼吸音と顔色が戻ったことを確認し、ゲロまみれ下痢まみれの服を脱がし、濡れた雑巾で綺麗に拭き取る。汚れた服はゲロや便を綺麗に洗い流し、着替えに貰った布の服を着せる。
さて、次。
とりあえず二次感染防止策として、ウェイターに部屋への侵入禁止を言い渡す。食事は頼み込んでどうにか部屋の前まで運んで貰うこととなった。
とりあえず嘔吐と下痢といえばこの対応。
ノロウイルスといえばこの対応。
持てる知識はそれしかない。
故にその対応しかできない。
だが、ベストは尽くしたつもりだ。
しかし…これはノロウイルスなのだろうか?
激しい嘔吐と下痢、これは典型的食中毒の症状だ。
だがその後がよくわからない。
案内所の職員曰く…
『1日目は激しい嘔吐と下痢、2日目はコロッと症状が収まり、三日目に血を吐いて死ぬ』
だったか。
赤痢?いや、赤痢に『回復期』があるなんて話は…そして血便は分かるが『吐血』…?
チフス…?
こう言うときにべリス婆さんが近くにいればな…。
べリス婆さんは医者だ。それも全身骨折の俺を3日で完治させるほどの回復魔法の使い手でもある。なんとかしてくれるかも知れない。
俺はこの世界の病原菌にはてんで弱い。
手の打ちようがない。
現代日本は医学の進歩が進み、難病を除く大抵の病気は解明され薬が存在する。だが昔の日本は違う。例えば平安時代、天然痘が流行った時も、結核が流行った時も、民衆は『呪い』だと信じ、『まじない』をかけたり、宗教に頼ったりしたというが…。
まさしくその感覚が分かる。
神にすがりたい気持ちがよく分かる。
とにかく今は、ジグの無事を祈るのみだ…。
人物紹介
○ファロイド
この物語の主人公。
だいたい年齢は6歳くらい。
金色の長い髪と、赤い瞳を持つ美少女(♂)
日雇いで薬草採取のお仕事に勤める
◯ジグ
ファロイド専属の犯罪奴隷。
ジルとリリの父親。30台半ば。
心配性で義理堅い。
真面目すぎるのがタマに傷。
元護衛騎士、元盗賊。
日雇いで便所掃除のお仕事に勤める。




