第百三話:航海長アスキャ
松明に照らされた甲板に上がると、男たちは次の嵐に備えていた。風はそこそこ強く吹いているが、そんな中でも補強したマストに登って固定されている帆の具合をチェックし、ロープの解れや締まり具合を確認する。
大人たちに休む時間はあったのだろうか?
みな硬い表情をしている。
甲板の1番後ろ、船長室の隣にはアスキャさんの仕事場がある。チラッと覗こうとしたところ、ちょうどトイレから帰ってきた金髪のイケメン、航海長のアスキャさんに出くわし、部屋に入った。
デスクには羅針盤と、航海図とペン。それとコンパス。
航海術にはテンで知識がないが、その夥しいメモからは船がどんな苦難を乗り切っていたかが描かれていた。
風に煽られながら何度も航路変更をし、何度も修正を加え、もはやジグザグになっている。時には突風を凌ぎ受け流すためか船の方向を大きく変えたりもしていた。
ただ、強い追い風のおかげで予想よりも早く、次の中継地点の島に着く予想とのことだ。それも恐らく今夜中にも。
ただ嵐は明日まで続く。
暴風、高波の中で港に入ることはリスクが大きく、船を破損したり座礁させかねない。
そこで、今夜の上陸を諦め、島の周りで嵐を凌ぎつつ、明日上陸することとなったのだ。
大事なのは今日中に安全な位置まで辿り着き、シーアンカーと言われる布を水面に投げ入れて船を風上に固定させること。そして今は夕方。島はまだ見えない。次の嵐は間もなくやってくる。
帆船ではどんなに頑張っても風が吹かなければ加速はできない。つまり嵐が早いか俺たちが早いか。
船内の緊張はそのためだ。
失敗は死に繋がりかねない。
航海士のアスキャさんの見立てにかかっているのだ。
「さて、ファロイドくん、質問といこうか。」
アスキャさんが俺に話しかけてきた。
俺に質問してる場合か?
「今、ボクたちの船の後ろ5海里には嵐の雨雲があります。こういう形で。今ボクたちの船にこれくらいの速さで近づいてきます。ボクたちの船はこれくらいの速さで進んでますが、追いつかれるのは何時間後でしょうか?」
あ、算数の問題だ。
家を時速5kmの速さで歩いて出た兄に、10分後に時速15kmの速さで自転車で追いかけた弟は何分後に兄に追いつくかとかそういうやつ。
しまったなー。
まさか算数がこんな身近にあるとは。
前の世界では職業故に殆ど数学なんて日常で使わなかったけど、こういう職業の人達は日常でもバンバン使うのか。
「運任せで航海士はできないよ?」
ごもっともですアスキャさん。
必死に考え、答えてやっと正解。
いやアスキャさん、こんなことしてる場合?
周りはピリピリしてるのに、どこか抜けた人だ。
さて、アスキャさんが俺を部屋に入れたことには訳がある。つまるところ消費した魔力の補填だ。
昨日の嵐で船の補強や強化にかなりの魔力を割いてしまったという。確かに1歩間違えばマストの何本かは折れてたレベルの嵐だったからな。
今夜の嵐は魔力的には恐らく乗り越えられるが、保険をかけておきたいらしい。
俺は部屋で待機することとなった。
アスキャさんの魔法「感知魔法」は万能チート能力だ。
言わばGPSとソナー、魚群探知機、気象予報衛星を1つにした様なもの。しかし消費する魔力も膨大で常時使うことはできず、半日に1度がせいぜいで、いくつも同時に使うと魔力切れを起こし、数日は動けなくなるとのこと。
なるほど、不漁の日にサッサと男たちが漁から引き上げてきたのはそういうことか。
現在地も分かる、が、何せ半日に1回。例えば嵐のように大きく進路を狂わす出来事が起こっても確認できるのは半日後。だから計算や測量が大事なのだという。
そして現在は、全ての能力を同時に使っている。
こんな涼しい顔して実はかなり極限状態なのだ。
俺の役割は魔力切れを起こさないようにアスキャさんに魔力を送ること。魔力を送ると言っても白い光を出すわけじゃない。アスキャさんと手を繋ぐだけだ。
正直言って金髪のイケメンと手を繋ぐのは緊張する。
男はあまり男同士で手は繋がないのだ。
というか幼稚園以来繋いだことがない。
なんだこの図。
そして繋いでいる間、アスキャさんは片手が塞がっているため仕事ができない。
緊張した空気が漂う室内で、金髪ロングヘアの子供と金髪細身のイケメンが手を繋いで会話している光景はなんともシュールだ。
今までで最も船に貢献していると思う一方で、恥ずかしさのあまり半分甲板に上がったことを後悔した。
気を使ってくれているのか、手を繋いだままのアスキャさんは俺に色々なことを話してくれた。それは俺の興味あることそのもの。地形による風の流れ、雨雲の種類と風の向き、強さ、海図の見方、地形の見方、世界地理、敵戦が来襲した際の船の配置など。
飛ぶように時間が過ぎていった。
また、アスキャさんはあまりこの世界の知識がない俺にも分かるように、一つ一つ解説と補足を加えながら説明してくれた。優しさの塊である。正直この美貌にこの優しい性格。それが何よりチートである。
話が一段落した頃、部屋に1人の男が入ってきた。
「島が見えやした!」
アスキャさんはご丁寧にも俺にお礼を言って手を離し、甲板へ出ていく。俺も後をついて甲板へ。
島は見えたと言ってもまだ小粒もないほど。
船のすぐ後ろには夜の闇を従えた真っ黒な雨雲と時折走る稲光が迫っている。
まだ島は遠いが、ここでシーアンカーを水中に入れるらしい。
真っ暗になってからの作業が危険であることと、突風で船が引きずられることを計算した上でのこの場所取りなのだろう。
すぐにパラシュートのようにロープで結び付けられた大きな布を水中に投下する作業がなされた。
これで船体は風上を向き、転覆のリスクを下げることができる。そして帆を全て畳み、飛んでいきそうなものは全て船内に。
その時間にしてわずか5分ほど。見事な連携である。
アスキャさんに部屋に戻るよう指示を受けた時、再び強い雨が降り出した。ギリギリセーフだったのだ。
甲板からの総員退去の指示が出る。
さすがの大人といえどもここから先は祈るのみ。
アスキャさんと別れを済まし、アスキャさんから借りている部屋に戻った。他の仲間も強まる波風で起きたようだ。
さぁ、また地獄の揺りかごを楽しもうじゃないか!
…なんて楽しめたのは最初の数分だった。
夜になり真っ暗の中、上下左右に転がされ、子供に蹴られる道端の石ころの気分を味わった俺たちは、二度と船旅はするものかと違うのだった。
すっかり適応し、荒波を楽しんでいる1人を除いては。
そう、クヴァである。
本当、この男の適応力には驚かされる。
ぶっちゃけて言えば見た目からしてヤバい海賊連中の中に率先して入っていき、2日にして仲良くなってしまった。日々の仕事をする様子や、荒波と戦う男どもを見る羨望もそうだ。
なるしかない状況をいち早く受け入れ、なるようになるとその身を任せられる柔軟さは、バルザでもルザルでも俺でもない、クヴァだからできることなのだろう。
俺も見習わなきゃだな。
長い長い二回目の嵐の夜を超え、朝日が昇った時、大人の男どもより先に最初に甲板へ上がったのはクヴァだったという。
人物紹介
〇アスキャ
船の航海長。細身の金髪色白なイケメン。
穏やかで子供好き。
感知魔法を使える。




