第百一話:荒波
廊下に入り込んだ水は斜面と化した床を滝のように流れ落ち、このアスキャさんの部屋にも容赦なく入り込んでいく。高い位置にあったベッドは水しぶきでビショビショ、床に座っている俺たちなんて、池に飛び込んだかのようにズブ濡れになっている。
バルザの肩の治療を始めてから15分は経っただろうか。うーん。一向に治る気配はない。
未だにブランと力無く垂れ下がったままだ。
ふむ。もしかしたら骨折とか損傷は治せても、抜けた肩は一度ハメないと根本的治療は難しいかもしれないな。
船の揺れが少し収まったタイミングで、クヴァにロープを取って来るよう頼み、その間はルザルの額の怪我に『白い光』を当てる。
みるみる傷痕が治癒していき、それどころか流血の痕もキレイサッパリ跡形もなくなっていく。
コレが治癒魔法と、この『白い光』の違いである。
治癒魔法は人間の自己治癒能力を爆発的に極限まで高めて再生させるのに対し、この『白い光』は“生命エネルギーをそのまま分け与え『元の状態に戻す』”。治る過程が根本的に違うのだ。だから傷痕すら残らず、血で汚れた痕すらもなくなる。
「す、すごい…。」
呆気に取られるルザル。
他にも何ヵ所か怪我をしているようだったのでサッと白い光を当ててやった。ほんの少し当てただけだが、多少は治りも早くなるだろう。
前回、毒に侵され命の危機にあったリリの治療に当たった時と違って大した魔力は使ってない。
この程度なら副作用も大丈夫そうだな。
「ファロイド…いつの間に、こんな…。」
「元からよ。ルザル。」
「治癒魔法…なの?」
「いいや、もっと悪いものだ。ある人は“呪術”の類いのものって言ってたよ。」
「じゅ、“呪術”……?」
「そ。傷は治るけど、良くない力さ。」
「良くない力…?危ないものなの?」
「危ないものさ!それより、今さら堅苦しくなるなよルザル。何かしゃべり方変だぞ?(笑)」
「い、いや、なんでもない…!礼を言うよ。」
泣きそうな顔で俺を見るルザル。
知的でクールなキャラが台無しだ。
まぁ孤児院でのルザルは6歳という年齢の割に酷く落ち着いていて、大人びていて、クールな印象を受けたものだ。
でも、今回の旅で、少し認識が変わった。
やっぱり、ルザルはまだまだ6歳の子供だ。
しっかりしなきゃ、と自分を律して来たのだろう。
親と死別し、子供らしさを捨てて、ナメられないように、ルザルなりに頑張って生きてきたのだろう。
ルザルは今回の旅で年相応に“弱くなった”。
それはバルザも同じ。
皆、6歳にしては酷く大人びている。
もっと無邪気になっていいのに。
もっと遊び心があっていいし、イタズラ小僧でいていいし、怒られていいし、笑っていいし、泣いていいのに。
彼らは“親という支え”と“守られている安心感”を無くして、それができなくなった。この世界では、孤児は簡単に捨てられ、売られ、殺される。
捨てられたら死と隣り合わせな生活が待っている。
だから子供らしさを捨てて“いい子”になったんだ。
だから現代の6歳児と比べて大人びて見えるんだ。
………。
それができなくなった彼らの境遇を、呪いたくなる。
何度でも思う。
俺はこの世界が憎い。
…と、クヴァが部屋に転がり込むように戻ってきた。
デカイ図体に轢かれそうになる。
お前の体格で狭い部屋に転がってくるなと、本来の落ち着きを取り戻したルザルに怒られるクヴァ。
お前くらいだよ。“子供らしい無邪気な子供”は。
さっそく持ってきたロープをバルザに咥えさせてクヴァに身体を押さえててもらう。そしてバルザの心の準備ができていないうちに腕を後ろから前にグリッと…。
絶叫するバルザ。
うんうん。肩の脱臼癖がある知人がを肩のハメ方をレクチャーしてくれたお陰だな。巧くハマったらしい。しかし、やはり激痛だったようで、ロープを噛んでいなければ確実に舌を噛んでいたか歯を割っていただろう。
即座に『白い光』を当てて患部の靭帯損傷や筋損傷を“元に戻す”。脱臼癖にならないよう、後遺症になって剣を振るえなくならないように、綿密に…。
すると、みるみる患部の腫れが引いていく。
ふむ。
読み通り、この『白い光』も、今のままではそこまで万能ではないらしい。とすると、“ある”ものは元に戻せるが、“ない”ものは元に戻す以前の問題のようだ。
つまりは、錆びたり欠けたりしたパーツは“修復”できるが、ネジなど部品の欠品は補えないということ。
人で例えるなら、今回のように関節に骨を戻すことはできず、恐らくは首のない死体を生き返らせることはできないということだろう。
ただシンクバトラで火炙りにあったときのように、全ての能力が桁違いに上がる“覚醒”状態ならば、おそらく他人の腕や足くらいなら再生可能なはずだ。
対象が自分であれば、脳漿が溶け落ちようと蒸発しようと記憶や能力に損害無く完璧に再生するんだからな。
10分ほど白い光を照射して、バルザに肩を動かして貰う。うんうん、すっかり元通りだな。
肩が動くことが分かった途端、バルザから大粒の涙が溢れ落ちた。
それを見てルザルもクヴァも泣き出した。
よかったよかった。
礼はいらんよ。呪われた力だし。
それより…やはりどうも俺は涙を見るのが苦手だ。
それが、こういった嬉しい涙であれ。
悲劇と怒りを孕んだ悲しみの涙であれ。
俺はそういう場が苦手なのだ。
まだ船内は揺れるが、俺はフラフラと部屋を出ていく。
「ファロイド!どこ行くんだ?」
「…ダメだ吐きそう。外の空気吸いに行ってくる。」
まだ船は揺れるが、先程のように吹っ飛ばされるほどの揺れはなく、耳をつんざく風の音も多少マシになり、嵐を乗り越えた、…いや、それは早計か。一時的に凌いだとは言える。
夜が明けたとは思えないほど暗い空と、それでも差し込む光を頼りに、大きく揺れる船内を、おぼつかない足取りで蛇行しながら歩く。
目的はない。
強いて言えば外の空気を吸いに。
ついでに甲板の様子を見に。
俺を心配してか、クヴァが着いてきた。
まぁクヴァ自ら、というよりルザルあたりに言われて着いてきたに違いない。まぁいいだろう。
何度か揺れに足をとられ、尻餅をつきつつも、何とか階段を上がって甲板に出た。…が、すぐに出てきたことを少し後悔することになった。
そこはまさに戦場…いや、一種の祭りだ。
薄暗い空の中、松明の明かりで照らされた海の男たちの表情は皆、狂喜で満ちていた。
物凄い迫力で思わず尻込みしてしまう。
誰一人として不安で顔を曇らせている人間はいない。
誰一人として恐怖で顔を強ばらせている人間はいない。
突風が落ち着いたとなるや畳んでいた帆を降ろし、風すら味方につけようとしている。
この程度の波が何だと。
この程度の強風がどうしたと。
それはまるで綱引きをしているように。
綱引きも綱引き。
男たちは他ならぬ大自然の嵐と戦っているのだ。
敗北することは即ち『死』の綱引きである。
そして何より、その戦いは嵐が晴れるまで続くということだ。交代しているかもしれないが、それでも極限の戦いしていることに他ならない。
そしてその極限の状況下で、誰よりも猛り、誰よりも勇ましく、誰よりも楽しんでいたのが、この船の船長、白い鬼『アブルプタ』だった。
…唖然。
さっきまで死にかけていた俺たちとの差。
これが大人と俺たち子供の差である。
大人たちが化け物に見えた。
狂ってるとしか言いようがない。
まさしく俺たち子供は邪魔になるだろう。
倉庫の隅で丸くなっていろと言うクラプラさんの言葉は比喩でも何でもなく、こんな中、大波で宙高く飛ばされてしまう俺たち子供にできることなど何もないのである。
いいや、例え大人になっても俺にはキツいな。
俺は心臓を刺されても死なない男。
燃やされても復活してしまう不死身の能力者。
だが、大海原で溺れたら?
死なないかもしれないが永久に海の中である。
死ぬより怖い目に遭うのだ。
恐怖しかない。
こんな死ぬ危険が限りなく高い状況で笑っていられるような男じゃない。少なくとも今すぐ船を降りて陸地へ行きたい気分だ。
荒ぶる男たちを見て、更に元気が失せた。
「クヴァ、戻るぞ…。」
「何言ってんだファロイド?見ていこうぜ!」
「あ?」
こんな中、目を輝かせている子供が一人いた。
さっきまでゲロゲロ吐いて青い顔をしていたというのに、打ってかわって血色が戻っている。
いい意味でも悪い意味でも、どこか頭のネジが足りていない男、クヴァこそ、海の男たる資格があるのかもしれない。
正直、俺としては気持ち悪さは抜けていない。
クヴァを置いて先に戻ることにした。
結局もう一度吐いて、いくらかスッキリした。
汚い水だがこの際関係ない。
廊下を流れる海水の滝でうがいした。
再び歩みを進めると、海水に白いゴミが混じり始めた。
遅れて服の塊が流れてくる。
あれは…そうか、バルザやルザルが吐いて、それを拭いた服か。とりあえずそのまま廊下に放置するのも…うーん。
「バルザ!ルザル!調子は?」
「良いとは言えないが…どうした?」
「同じく…何かあった?」
「いや、例のゲロまみれの服が廊下に流れていったから、朝になるまえに片付けようかなと。」
「え?大変だ!怒られる!」
「どうしよう…」
とりあえず今動けるのは俺だけだ。すっかり大波がトラウマになってしまったルザルは危険だと渋ったが、さっきほどの波はなく、子供でもバランスを取れるレベルだ。ルザルには部屋の中のゲロをシャツで拭いてもらうことにした。
俺は廊下で待機。ルザルが回収したゲロまみれの服を、バルザにさっき咥えさせたロープに通していく。ロープの片一方は柱に固定。全部の袖を通ったらロープを輪にして…海に投げる!
着水を確認し、何秒か波に晒したら回収!
そして床に散乱したゲロを拭いて、また投げる!
投げて波に浸かったのを確認したら、直ぐに這いつくばって、身体を持っていかれないようにして、何秒か濯いで回収!
五回、六回…。
十回、十一回。
…よし、こんなもんだろう。
「考えたね!ファロイド!」
「いや、何気なく協力してくれたけど、意外とリスクは大きかったんだぞ?突然の大波で俺らも海に着水してたかもしれないし。」
「そ、そう…。なんか『危ない』の感覚がバカになってきたのかな…。」
冷静沈着なルザルですら頭のネジが外れているようだ。
かく言う俺もそうである。
さっきより波風が穏やかになったとは言え不安定な足場。窓から海に放り出されるリスクを考えるなら部屋でじっとしているべきであって、俺も『危険』について麻痺してきているのは間違いない。
そんな時、クヴァが降りてきた。
「みんな!仕事だとさ!!」
「「は!?」」
嵐と波が少し収まったら、すぐ仕事。
丸くなっている時間は一時お預けということか。




