5マイクロ
入学してからはや二ヶ月、今はもう6月の中旬。週の初めにはまばらだった生徒の夏の制服姿も、今はほとんどが夏服に切り替わっていた。
今日の部活もいつも通りで特にやる事も無く、だらだらとした空気が漂っている。
当然俺もいつもの様にマンガを読んでいたのだが、まだエアコンを使うには早いだろうと、窓を開けただけの部室は少し暑かった。
その為か、喉の渇きを感じた俺は何か飲み物を買ってこようと、読んでいたマンガの近くにあったメモ用紙を栞代わり間に挟み立ち上がった。
「あー、何か飲み物買ってこようと思うんですが、いる人います?」
周りの部員を見渡しながらそう言ったところ、いつものようにPCに向かい合っていた神坂先輩が勢い良く手を上げた。
「奢りか!」
「いえ、違います。各々自腹でお願いします」
「そうか、まあ七橋君もまだ学生だしそんなに持ち合わせは無いと言う事か。しかたないな。はー、甲斐性無し甲斐性無し」
ジュース奢らないだけで酷い言われようだ。
「はっは。まあいい、それでは私はコーラを頼もうか。大盛りでよろしくな」
神坂先輩は、ピッと俺を人指ゆびで指しながら注文してきた。
大盛り。つまり、カップジュースで大を頼めって事か。
「えと、氷はどうします?」
「入れてくれ。大盛りでな」
氷は無しには出来るが増量は無いな。あったとしても頼む奴はいるのか?ジュース減っちまうぞ。
「じゃあ、私も頼むわ。アイスティーをお願いできる?氷有りで」
俺の向かいの長机で携帯ゲームをしていた伊野先輩がゲーム画面から目線を外し、俺の方を見ながらそう言ってきた。
「了解しました。って伊野先輩もカップですか。そうなると持って帰るの難しくなるな…」
「あら。と言うことは、七橋君もカップの?」
「はい。そうしようかなあと思ってたんですが」
「はっはっは。諦めて缶かパックにするんだな」
神坂先輩は笑いながら俺のジュースの路線変更を促してきた。
「嫌です。俺はリアルゴールドを飲みたいんですあれはカップしかないんです!」
「じゃあ、私もついて行こっか。皆カップみたいだし、私もカップにしよう」
気を利かせたのか、伊野先輩の隣でなんかの勉強をしていた知留奈は、ペンを机に置いて立ち上がった。
「お、それは助かる。んじゃあ、ちゃちゃっと行くか」
「すまんな、よろしく頼んだ」
「いってらっしゃい」
先輩二人から小銭を受け取り、俺と知留奈は二人で部室を後にした。
まあ、自販機までは部室棟を出て、少し歩く位の距離なんで大した手間ではないんだが。
「で、知留奈は何にするんだ?」
自販機までの道を歩きながら、隣の知留奈に聞いてみた
「そうだね~。何にしようかな。ちょっと暑くなってきたし私も冷たいやつかな~。まあ、行ってから考えよう。何か新しいの出てるかもしれないしね」
うちの学校のカップジュースの自販機は基本的には一年中同じラインナップらしいが、一つだけちょこちょこ入れ替わるのがあるそうだ。
俺はまだ1年生という事で、入学してさほど経っていない為そんなに詳しくないのだが、先輩達の話だと大体はパインジュースや炭酸入りのリンゴジュースの様な普通の物が入ったりするが、たまに『青汁』の様な変わり種…と言うか誰が頼むんだよってなのもあったりするらしい。
いつ変わるかは業者の気分次第の様で、つまりは行ってみないと分からないって事だ。
「あ、誰もいない。よかったよかったすぐに買えるね。さて、新メニューはあるかな~。あ、変わってるよ」
『パッションフルーツ(炭酸入り)』
「パッションフルーツ…。七橋君、パッションフルーツってどんな味か知ってる?」
「いや、食べたこと無いな。味か…、どうなんだろう。やっぱり果物だし甘いのか?それとも酸っぱいのか?まあ、辛いはないだろうな」
「そっか~。じゃあ、私はパッションフルーツにしてみよう。美味しいといいな~」
「んじゃ俺もパッションフルーツにして見るか。どんな味か知ってみたいしな」
「あれ、リアルゴールドはいいの?」
「リアルゴールドはウマイが、パッションフルーツはいつ消えるか分かんないから試してみるわ」
「なるほど。じゃあ、お姉ちゃん達の分もパッションフルーツにしよう、しよう、そうしよう」
「おいおい、勝手に注文変えていいのか?…たぶんいいな」
「不味かった時はみんな一緒。一蓮托生だよ!」
俺達はそんな事をいいながら、頼まれてもないパッションフルーツジュースを買い、それぞれ2つづつカップを手に取り部室へと戻った。
部室のドアを開けようとするも、両手が塞がってた俺は自分の分のカップを口に咥えつつ部室のドアノブを回した。
「たはひま戻りまひた」
「おお、おかえりおかえり」
「おかえりなさい。ご苦労様」
俺は口に咥えていた自分の分を先ほどまで座っていた机に置き、もう一つのカップを神坂先輩へ手渡した。
「お、ありがとう。ん…?七橋くん、こっちは君のじゃないのか?コーラじゃないぞ」
カップを受け取った神坂先輩は中の山吹色の液体を見てコーラで無い事に気が付き、席に戻っていた俺にそう言ってきた。
「いえ、間違いじゃないです。今日は新しくパッションフルーツがメニューに加わったのでそれにしました!いやいや!お礼は結構です!」
「なんか、私のアイスティーもそれになってるわ…。まあ、全員分のカップのサイズが全て同じな時点でおかしいと思ったけど…」
知留奈からカップを受けっとった伊野先輩は脱力気味にそう言った。
まあ、ここの自販機のアイスティーのカップはコーヒーとかと同じで小さいカップのしかないから、大きなカップの時点でおかしいと思うわな。
「あは。最初、私がパッションフルーツにしようって言ったら、なんか七橋くんもパッションフルーツに変えるって言ってきたんで、折角なんでみんなの分も一緒にしてみた」
知留奈は悪びれる様子は一切無く、ニコニコと笑いながら自分の席についた。
汚れた川もキレイになりそうないい笑顔だ。
「しかし、パッションフルーツにしたのはいいんですけど、俺、パッションフルーツは食べたこと無いんですよね。と、言いますか、名前は知ってますけどどんな果物かも知らないんですよ。先輩がたは食べたことあります?」
そう言って先輩達をみると、二人はフルフルと首を振った。
「そうだな、私も名前は知っているが見たことはないな。飲む前にちょっとネットで調べてみるか」
俺や他の皆もどんなものか興味があったみたいで、カップを手に持ち、ぞろぞろと神坂先輩のPCの周りに集まった。
「えーっと、『パッションフルーツ』で画像検索すればいいか。えいよっと」
神坂先輩はパッションフルーツと文字を入力し、画像検索の項目をポチりと押した。
すると、見たことのない果物の画像がババババンと表示された。
「おうっ!」
「グロっ!」
「な、なにこれ~…」
「腐ってるのか…?」
なんだろう。もっと素敵な果物を想像していたのだが、想像とは違いなにやらグロ目の物体が登場した。他のみんなも想像とはちがったようで、ちょっと引き気味だ。
「…わあ~。もっと爽やかな見た目を想像してたんだけど、ちょっと変わった見た目だね~」
「なにかしら…、どこかで見たことあるような見た目なのよね…。果物以外で…」
伊野先輩は右の人差し指を顎に付け、うーんと考えた。
「あー、あれだ、カエルの卵だ」
そして、神坂先輩がさっくりとそう言った。
「いやあああ!そう、それよそれ。何か両生類の卵的な感じがしたのよ!」
伊野先輩は、顎につけていた人差し指で神坂先輩を指した後、机を軽くバンバン叩きながら少し興奮気味にそう言った。楽しそうでなによりだ。
「しかし、味は良いらしいぞ。甘酸っぱい感じのものらしい」
神坂先輩は表示された画像を適当にクリックし、そこからページ内の情報を読んで
そう言った。
「まあ、そうよね。見た目も悪くて味も悪かったら誰も見向きしないわよね…」
「しかし、おかしいな。花倉はカエルの卵は平気だろ。いつも川とか田んぼででカエルの卵を見つけると、『あら、こんな所にカエルの卵なんて気が利いてるわね。いただきまーす。ズルズルズルー』って食べてたと思うが」
「そんな事した事ないわよ!何が『気が利いてるわね』よ。そんな奴、気が違ってるわよ!」
伊野先輩は先ほどより強く机をバンバンと叩きながら興奮気味にそう言った。楽しそうでなによりだ。
「まあ、見た目も分かった事だし飲んでみるか」
「そうですね、氷も溶けちゃいますからね。そうしましょう」
各自、一斉に手に持っていたカップを口につけ、中のジュースを味わう。
「あ、結構美味しいかも~」
「そうね、悪く無いわね」
「ふむ、うまいな」
「あー、俺も好きですね、この味」
どうやら、パッションフルーツ味の皆の評価は上々の様だ。
それぞれ、うまいうまいと言いながら自分が座っていた席へ戻っていった。
「さて、一息ついた所で七橋君、6月とはいえここ最近はだいぶ暑くなって来たと思う。そこで、今日は君に教えておかなければならないことがある」
手に持っていたカップを机に置き、読みかけの漫画を手に取ったところで、神坂先輩が真面目な声色で話しかけてきた。
なんだろう、大事な話だろうか。俺は漫画をそのまま机に置き、顔の筋肉を引き締めて神坂先輩の方へと向き直った。
すると、神坂先輩は俺の緊張を解くためかにっこりと微笑んだ。その素敵な笑顔に思わず俺は顔をほころばせた。
そうしたところ、俺の緩んだ顔を引き締める為か、神坂先輩は表情をキリッとさせた。
その表情を見た俺は、緩んだ顔の筋肉に力を入れ、真剣な面持ちで神坂先輩を見つめなおした。
したらば、強張った俺の顔を緩ませる為か神坂先輩は笑顔で、
「はやく進めなさいよ!」
意味不明なやりとりに思わず伊野先輩はツッコんできた。
「すいません…」
「すまない。ちょっと面白くなってきてな…と。ええと、そう、教えておくことがあるんだよ七橋くん。それはだな、この水槽の事だ。最近暑くなってきたというのもあり、そろそろ暑さ対策をしなければならない」
「暑さ対策ですか。でも熱帯魚って熱帯に住んでる生き物なんで、大丈夫なんじゃないんですか?」
「うむ。大丈夫じゃない。ある程度は平気だが、本来住んでるような川や湖とは違う、水槽は狭く限られた世界だからな。通常、一般家庭で飼育するとどうしても無理が出てくるのだよ。そこで何らかの対策をしなければいけないのだが、いくつかの方法がある」
「ほうほう」
「七橋くん、真面目に聞きたまえ」
『方法』と相槌の『ほうほう』をかけた俺のフザケ気味な返事に対して、神坂先輩はキッと真剣な表情で俺を見つめた。それを見て俺も背筋を伸ばし、真剣な表情で先輩を見つめ返す。
すると、力が入りすぎた俺をリラックスさせるためか、神坂先輩はニッコリと微笑んだ。その素敵な笑顔に思わず俺は顔をほころばせた。
そうしたところ、俺の緩んだ顔を引き締める為か、神坂先輩は表情をキリッと、
「は・や・く・つ・づ・き!」
この無意味なやりとりに伊野先輩のツッコミがうなる。
「すいません…つい」
「はっは、スマンスマン。七橋くんはノッてくれるからついこっちも遊んでしまうな。で、続きだ。暑さ対策の方法の幾つかだが、まず1つ目はエアコンをつけっぱなしにする」
「え!それは電気代とかで無理なのでは…」
「そう、無理だ。数ヶ月間エアコンつけっぱなしとか全力で怒られてしまう。なので却下。そして、2つ目は冷却ファンをつける」
「冷却ファン?どんな感じの物なんですか」
「まあ、簡単に言うと小さい扇風機だ。それを水槽へりに取り付けて、水に当てる事で気化熱を利用して温度を下げるというものだ」
気化熱か。水は蒸発する時に熱を奪うからそれを利用して水槽の水の温度を下げるという訳か。
「なるほど。小さいファン位であれば電気代もさほどかからなそうですね」
「ただ、これには欠点もあってな。それは水がドンドコ減ってしまうということだ」
「あー…、気化熱を利用してるからそりゃそうですね。そうすると継ぎ足しの水を多めにストックしておく必要が出てくるって事ですか」
「そう。経済的には良いのだが、少し面倒なのだよ。あと、下げる温度にも限界があるから万全とも言いがたい。て、ことで3つ目、水槽用クーラーを導入する」
「水槽用クーラー?えーっと…、水槽を囲う簡易的な冷蔵庫みたいな物…?」
「残念、全然違う。まあ、実際に見てもらいつつ話そう。ちょっと待ってくれ」
そう言うと神坂先輩は、部室の隅にあるロッカーから小さめのデスクトップPC位の大きさの四角い機械を取り出してきた。しかし、少し重いのかちょっとフラフラしている。
「せ、先輩、持ちましょうか?」
「大丈夫大丈夫、10kgちょいくらいなんでなんとか持てる。よいしょよいしょ…ふぅ、疲れた。と、言うことでこれが水槽用クーラーだ」
神坂先輩は水槽の近くの床にデンッと置くと、ちょっと指が痛かったのか手をニギニギしながらそれを紹介した。
「へー、これが水槽用クーラーですか。初めて見ました」
「まあ、観賞魚飼育などに触れなければまず用が無い代物だしな」
「なるほど、でも友人とか親戚とかで金魚飼ってる人とかは結構いましたけど、これ使ってる人見たことないですね」
「金魚か。あいつらはかなり丈夫だからな。寒さにも暑さにも両方強い。まあ、とはいえ金魚にも使えるのなら使ったほうがいいんだがな」
「あ、そうなんですね。まあ、俺もエアコン無くても大丈夫ですけど、あったほうがいいですもんね」
生存可能であるのと快適であるのは別物だ。当然といえば当然か。
そんな事を思ってると、神坂先輩は先程のロッカーから透明なホースを持ってきた。
「まあ、仕組みは簡単だ。水槽の中の水を、冷却機能のあるこの機械の中をこのホースを使って通して循環させる事により一定の温度に保たせるって訳だ。当然冷却ファンに比べて効率的だ」
なるほど。仕組みは簡単で実に分かりやすい。冷却ファンよりは電気代がかかるかもしれないが、利点を考えれば断然こちらが優れているな。
「しかし、話の流れで出してきたが、まだ使う程ではないな。と言うことで、もう少ししたら取り付けようと思う。細かい説明はその時にでもするとしよう」
「はい、分かりました。その時はよろしくお願いします」
神坂先輩は「うむ」と頷き、手に持っていたホースを水槽の側に置いて自分の席へ戻っていった。
そういえば、俺は入部して数ヶ月経過したが観賞魚について知らないことだらけだ。流石に少し勉強した方がいいかもしれない。
とか、思いながらも俺は先程の読みかけのマンガを手に取った。
観賞魚についてはまた明日また明日。マンガとはいえ、読みかけでやめるのもアレだから今日はマンガを読もう。うん。
明日は明日で別の言い訳を考え、観賞魚については触れないまま終わりそうな未来を予感しつつ、俺はマンガの続きを読み始めるのだった。




