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3マイクロ

 コン


「にちはー」

「…こんにちは。ドアのノックを1回だけでドアを開ける人は珍しいわね。あと、挨拶が変に短縮されてる」

「いや、今のはノックの音の『コン』に『にちは』を足して、『コンにちはー』っていう事なんですけど、駄目ですか」


 入室時の軽い挨拶なんで、ちょっとした小笑いをと考えたのだが。駄目か。そう思いながら首を傾げる。


「ああ…そう。ちょっと分かりづらいわね」

「はっは、分かりづらいとかはともかく、あんまり面白くないな!」

「いやいや、神坂先輩。これはジャブですよ、ジャブ。入室早々ストレートやアッパーは打ちませんよ」


 俺はボクシングの構えをし、左手をシュッシュッと軽く突き出す。


「お?なかなか様になってる感じがするな。七橋くんはボクシング経験者なのかい?」

「ええ。こう見えても俺、ボクシング漫画幾つも読んでますから」

「なるほど」

「へえ、すごいわね」


 そう言って二人は俺が入室前にしていたと思われる作業に戻った。


「突っ込んで下さい」


 俺は思わず懇願した。


「いや、すまないな。あまりにもどうでもいい気分になってしまったので私の中で強制終了させてしまったよ。はっはっは」

「しょうがないですね…。じゃあちょっとやり直すので、今度はしっかりお願いします」

「…!やり直す!七橋くんは本当にすごいわね」

「はっはっは。彼はとんでもないな。いや、どうしようもないのか?はっはっは」


 先輩方二人の賛辞を受けつつ、俺は再びドアの前に立つ。


「コホン…。いや、今のはノックの音の『コン』に『にちは』を足して、『コンにちはー』っていう事なんですけど、駄目ですか」

「そこからなのね。えっと…、ちょっと分からないわね、色々と」

「理解不能だな!」


 先ほどとは少し内容が違う気もするが、まあいい、このまま続けるぞ!


「いやいや、先輩方。これはホップとステップですよ」

「ホップ?」

「ステップ?」


 先輩方は軽く目が点になっている。ちょっとわからないって感じみたいだな。

 しょうが無い、ここは一発全力で見せつけてやるか。


「ええ、いきなりジャンプをしたりはしません。なので、ホップ・ステップで軽く体をならした後に!これが俺の!!…ジャンプ!!!」


 俺は大きな声で迫力を演出し、そのまま大きく跳躍した。


 ガチャリ


「おつかれさまー」


「おんぎゅっ!!!」


 高く飛んだと同時に、俺は勢い良く開いたドアにふっ飛ばされ、その勢いで部室の端まで転がっていく。


「!!!なるほどこれか!七橋くん、君は本当にとんでもない男だな!飛んでいったが!はっはっは」

「本当にすごいわね。一秒の狂いも許されないタイミングでやってのける…。私は今、神の存在を感じたわ」

「え?え?あ、また!?ご、ご、ごめんなさい。大丈夫!?」


 知留奈は慌てて俺の元へ来て、しゃがみながら俺を覗きこむ。

 今回もスカートの中は見えなかった。残念。

 と、そんな事よりドアが開いた際にドアノブが思いっきり太ももにめり込んでしまっため結構痛い。


「ノ、ノック。ノックはどうした…」

「えっと、ノックはしたんだけど、七橋くんが大きな声で叫んでたから聞こえなかったのかも…」


 ああ、そういえば叫んでいたな、俺。テンションも上げてたし聞こえなかったのも仕方ないか。つまり、両方『悪い』だな。うんうん。


「なるほど…、それなら仕方ないな。ちょっと先輩方に目に物見せてやろうと気合を入れすぎたからな…」

「見せつけられたわ」

「感服したぞ」


 先輩方が俺を褒めてくれる。随分と痛かったが無駄では無かったな。

 …と、前も同じような目にあったせいかここのドアの位置がちょっと気になった。


「あの、先輩。ここのドアってなんで壁の真ん中よりやや右側って中途半端な位置にあるんですか?ちょっとだけ違和感を感じるんですが」


 知留奈にはもう大丈夫だと言って、太ももをさすりつつ椅子に座りながら聞いてみる。


「あー、それはだな、この部室棟を設計した人間がフランス人でな。ドアの位置がちょっと変わっているのはそのせいだな」

「へー、そうだったんですね。それはなんかすごい感じですね」

「へえ、知らなかったわ。ドアの位置はちょっと変わってるなと、思ったりした事もあったけどそんな理由があったのね」

「フランス人か~。なんかすごいデザイナーさんとかなのかな。知らなかった~」


「そうだな、私も知らなかった」


「「「え?」」」


 神坂先輩の発言を受け、俺を含む皆の視線が一斉に神坂先輩へ向かう。


「すまない。適当な事を言っただけだ。私が部室のドアの位置の理由など知るわけがないだろう。はっはっは」


「あれっすね。伊野先輩や知留奈はすごいな。俺、神坂先輩と出会ってまだ数日しか経ってないけど、早くも挫折しそうだ」

「慣れよ慣れ。付き合っていれば気にならなくなるわ。…今のは少しムカついたけど」

「そうだよー。私なんて家族だから家に帰っても一緒なんだよ。七橋くんはまだ余裕余裕」


「あの…、すまなかった。ちょっと冗談のタイミングを間違ってしまっていたみたいだな…;;」


 神坂先輩を見ると、雨に濡れた捨て犬みたいな顔をしていた。

 この人はあれだな、意外と打たれ弱い。


「ああ、いやすいません。俺もちょっとフザケてただけです。本気で思ってる訳じゃないので、そんな切ない顔をしないで下さい。ね?」


 俺は神坂先輩の元へ寄り、フォローをする。この人はこういう時、妙にしおらしくて可愛らしいな。


「うん…うん。もう大丈夫だ」


 そう言いながら神坂先輩は鞄の中から水鉄砲を取り出した。

 

 …なぜ水鉄砲?


「妹よ!私はお前の言葉が一番心に突き刺さったぞ!これでも喰らえ!」

「ひゃあ危ないっ。ちょっとやめてやめてー」


 突如姉に水鉄砲を向けられた妹だが、普段からこういう事をされ慣れているのか放たれた水をヒラリヒラリと躱していく。すごいな、普通に。

 …ん?なんかいい香りがするな。この水鉄砲の中身、普通の水じゃないのか?


「なんだ、七橋くんそんなにこの水鉄砲が気になるか?なら、サービスしてやろう、せいっ」

「わっ、ちょっと先輩!目に入っあおあおあおあおあおああああああああああああああ!!!」


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!すっげえ痛い!何これ!何これ!


「おいおい七橋くん、ちょっと大げさすぎだろ。そこまでの効果はアッッハアアアアアアアアアアアアアアア!」


 神坂先輩は話の途中で突如叫びだした。見えてないので確かでは無いが、おそらく自分の目にも入れてみたのだろう。アホだ。

 てか、そんな冷静気味に分析してる場合じゃない!めちゃくちゃ痛い!!


「七橋くん!七橋くん!これ、結構しゃれにならない!ひぃぃぃいぃぃぃぃん」

「誰か!誰か!助けてくれ!水を水を!」


 あまりの痛さに大声で叫ぶ俺たち。どうすればいい?どうしたらいいんだ!

 俺は居ても立ってもいられず、思わず全力でドタドタ足踏みを始める。いま、足下に水で練った小麦粉があったらコシの入った良いうどんが出来る自信がある。

 目が痛くてよく見えないが、神坂先輩はゴロゴロと床を転がりまくっている。


「はい!お水お待ちっ!お姉ちゃんこっちこっち!花倉ちゃん、七橋くんも連れてきて!」

「しょうがないわね。ほら、走り回りたいんだろうけど、ちょっとだけ我慢しなさい」


 伊野先輩の声が聞こえ、手を引っ張って水の所に案内してくれる。どうやら、知留奈がバケツに水を入れて持ってきてくれたようだ。水を入れたバケツはそれなりの重さもあっただろうに、サッと持ってきてくれるなんてさすが登里奈先輩の妹、頼りになる。


「うぉぅ、うぉぅ…。あー、ちょっと落ち着いた。いやはや七橋くん、とんだ災難だったな。はっはっは」

「ふぅ、ふぅうぅぅぅ…。災難って言うか神坂先輩、あなたのせいでじゃないですか。これ、一体なんなんですか?」


 バケツの水で目を洗い、やや痛みは残るものの落ち着いてきたので水鉄砲の中身を聞いてみた。とりあえず、まともな物は入ってないだろう。


「これか。これはポッカレモン100。あと、カプサイシン的なものを少々」

「それは痛いですよね。実際痛かったですけど、聞いてるだけでも痛くなりそうなラインナップです」

「いや、すまなかった。今度からはカプサイシン的なものは入れないようにするよ。はっは」

「水以外の物を入れないで下さい。いえ、そもそも部室内で水鉄砲を撃たないで下さい。部室がビチョビチョですよ」


 俺は、先輩には困ったもんだといいながらハンカチで自分の顔を拭き、皆でカラ布巾や雑巾等で濡れた部室内を拭いていつもの席に着いたところで、伊野先輩がポツリと呟いた。


「それにしても、あんたらは本当にうるさいわね。そりゃ書道部も移動するわよ」


 …ん?


「まあまあ、そう言うな。元気があって良いじゃないか。はっはっは」

「あ、いや。ちょっと待って下さい。伊野先輩、今なんて言いました?」

「え?今?ええと、『七橋くん、帰りにパフェ奢ってくれるなんて悪いわね。ありがたくご馳走になるわ」だったっけ」

「言ってません。奢りません。違います。今、書道部が『移動した』って言ってましたよね」

「ああ、そんなこと言ったかもしれないわね。いえ…、言ったかしら。…言ってないわ!」


 どんな誤魔化し方だよ。無理やりすぎる。


「あの…、書道部は無くなったんじゃないんですか?」

「えー、書道部?書道部は前は隣だったけど、先々週に茶道部とかが入ってる畳敷きの部室棟に移動したよー。和室の部室っていいよね~」

「妹よ…」

「あらら…」


 あれ


 書道部


 無くなってないじゃん。


「知留奈、実はだな。七橋くんは元々書道部に入ろうとしてここの部室棟に来たんだよ。で、七橋くんに書道部は『無くなった』と伝えた結果、このアクアリウム部に入部したんだ。無くなったと言うのは、本当は移動して隣の部室からいなくなったと言う意味だった訳だが」

「あ、なるほど…そうだったんだ。最初メールで入部した事を聞いた時は、私達と何の繋がりもなく入部するなんて変わった人だなーって思ってたんだよね。まあ、初日に会って実際変わった人だったんでそこからは疑問に思わなかったけど」


 知留奈に俺が入部した経緯を説明する神坂先輩。俺はそれに対して何も発することも無く、ただ先輩をじっと見つめた。

 て、実際変わった人だったってなんだ。失礼な。


「えっと、ごめんなさいね…。騙そうとしたつもりはないのよ」

「そう、騙そうとしたつもりは無い。ただ、事実を隠蔽しようとしただけだ、すまない」

「いや、それ思いっきり騙そうとしてるじゃないですか」


 神坂先輩はやや申し訳無さそうに頭を下げるが、突っ込みどころのある発言に対してに大してつい俺の口調は強くなってしまい、神妙な面持ちになる先輩達。


「えっと…。七橋くんすまなかった。たしかに君はアクアリウム部に入部はした。だが、うちの学校は部活の入退部もそんなに過剰に頻繁でなければ、退部も入部もすぐに出来る。特に罰則も無いから今から書道部へ入部するのも簡単だ。だから、希望すればすぐにでも退部と入部の手配もする。本当に申し訳なかった。でも…その、な」


 神坂先輩は部活の変更は特に問題は無いと言うも、なぜか語尾が力なさげになる。


「…『でも』なんですか?」

「えっと、だな。このままアクアリウム部に入部したままってのは駄目だろうか。いや、虫が良すぎるってのは分かっている。だがな、正直この部は部員を勧誘する材料も無い為、あまり新入部員は期待出来ない。故に、我々が卒業した後に知留奈1人になる可能性もある。出来ればそれは避けてあげたいし、当然、私が七橋くんに大して良い印象を持っているのある。だから…、このまま続けていくのは駄目…だろうか」

「そうね…。七橋くんと私達はまだ3日位しか経ってないけど、こんな早々に登里奈のノリに付いていける人ってのは珍しいのよ。私自身も七橋くんはちょっと面白いなって思ってたのもあるし…。お願い出来ないかしら…」


 いつになく真剣な顔の先輩達。俺の事をこんなにも必要としてくれているんだな。

 今回の件、俺としては…。


「あ、いいっすよ。このままアクアリウム部いますよ」


「「「え?」」」


 好意的に返答した俺に対して、3人は驚きの顔をする。きょとんとした表情ってのはこんな顔の事を言うんだな、ってな位キョトーーンとしている。


「え?いいのか七橋くん。いや、嬉しいんだが。なんだか、随分軽いっていうかその何ていうか」

「ええ、大丈夫ですよ。元々ちょっと字が上手く書けるようになりたい程度で、特に書道に思い入れはないですから。あと、この部、なんか落ち着きますからね」


 正式に入部した日からだと2日しか経ってないにも関わらず、我が家クラスのくつろぎ空間。他にそうそう見つかる事も考えにくいし、わざわざ手放す必要もないだろう。

 あと、伊野先輩の「七橋くんはちょっと面白いなって思ってた」ってのが地味に嬉しい。俺を面白い人だと評価してくれた事を評価したい!…まあ、引き止めたいが故のリップサービスでなければ、だが。


「ふう…、良かったわ。ただでさえ部員が少ないのに減っちゃうのはね。あと、入部してすぐに退部したなんて事、顧問に言ったら…まあ納得されるわね。登里奈がいるし」

「おいおい失礼だな。私がどれだけ七橋くんに配慮していると思っているんだ。はっはっは」


 俺が辞めないと分かると元気を取り戻す神坂先輩。まあ、この人は元気に笑っている方がいいよな。


「まあ、という事で引き続きよろしくお願いします。でも、ひどいですねー、実際は移動しただけで無くなってないなんてねー」


 ちょっと冗談ぽく嫌味に言ってみる。まあ、一応俺も騙された被害者な訳だし、この位ならふざけても許されるだろう。


「本当にすまない。…そうだ、謝罪の意味を込めてお詫びに何か好きなもの奢ってあげよう!何か食べたいものとかあるかね」

「そうね、ちょっと位高くても二人で奢るから大丈夫よ。何か無い?」

「え、いやいや。そんなに気を使わなくてもいいですよ。あんまり気にしてないですし」

「まあまあ、ここは素直に奢られておきたまえ。何らかの終点を作っていたほうが今後の事も考えるとスッキリするしな」


 うーん、必要以上に遠慮する方が却って良くないかもしれないな。

 よし、そんじゃここは奢られるとしますかね。


「では、お言葉に甘えて…。えーっと、俺が食べたいのはハーベストセサミですかね!あれ食べたいです!」

「…随分と安いわね。いや、確かにおいしいけど。でも、遠慮せずにもっと高いものでも良いのよ」


 ふむ。ちょっと安すぎたようだな。では、もうちょっと高いもの頼んでみるか。


「え、そうですか?そうですね、じゃあ…プリングルスうすしお味で!」

「あんまり変わらんな。七橋くん、あれか、ちょっと言い辛いが君の家は貧乏なのかね」

「え!そんな事無いですよ失礼な!カルピスとか原液で飲むくらいですよ!!」

「いやいや~、原液のままだと甘すぎて喉が痛くて飲めないだろうから、お金ある人もそんな事はしないと思うよー。あはは」


 ちょっと笑いながらツッコミを入れてくる知留奈。

 まあ、そもそもカルピスの原液買ってきて家で作って飲んだりした事がないから分からないんだけどな。

 とりあえず、そのまま飲むのは駄目な味って事は理解した。ありがとう知留奈さん、勉強になります。


「いや。なんていうか俺、奢られ慣れてないんでどんな感じでお願いすればいいのかちょっと分からないんですよね。だから、ハーベストセサミくらいが丁度いいかなとか思ったんですけどね」

「…なるほど。そうか、うん分かった。では七橋くん、君はケーキは好きかね?もし好きなら美味しいケーキを君にご馳走しよう」


 ケーキ!

 ケーキなんて、クリスマスと誕生日となにか特別な日くらいしか食べる機会はないのに、こんな何でもない日にそんな物食べちゃってもいいのか?いいのんか?


「え。いいんですかケーキなんて。たしかに好きですけど、俺たち学生にとってはそこそこの金額はすると思うんで申し訳ないんですが。なので自分からするともっと安い物のほうが…」

「構わない構わない。しかし、気を使ってしまうか。…そうだ、七橋くんと知留奈が入部して歓迎会をしていないな。では歓迎会を兼ねてケーキを奢ることにしよう。それならちょっとしたイベントと言うことで、あまり気にせず良いだろう。うん、そうしよう」


 歓迎会!

 おお…、俺の為に歓迎会をしてくれるとは…。歓迎会なんて今まで一度も受けた事ないぞ。

 正直、これだけでも入ってよかった気がするな。と、それは言い過ぎか。

 しかし、嬉しいな。特に『歓迎』となっているのが良いな。


「ありがとうございます。では、これ以上遠慮するのも失礼だと思いますので、全力で歓迎されます!」

「え?私もいいの?やったー。ケーキ、ケーキ~」

「はっは、そんなに喜んで貰えるとこちらも嬉しいな。では、いつにしようか。こういうのは早いほうがいいな。よし、明日にしよう」


 早いな!

 みんなでケーキを囲んで食べる位だろうから準備とかはまあ、特に必要ないかもしれないがこんなにサクッと決めちゃうんだ。


「随分早いわね。場所とかはどうするの?どこかのお店でやっちゃう?まあ、この人数だと、特に貸し切りにするとかは必要ないからお店も自由に選べるわね」

「いや、折角なんでこの部室でしよう。ケーキは今日の帰りにでも買って、明日持ってこよう」

「すいません、なにが折角なのか分からないですけどそれはいいとして、朝のうちにケーキを持ってきたら今はそんなに気温高い訳じゃないですけど、さすがに駄目になっちゃいません?なんだったら、明日の放課後に俺が買いに行ってもいいですけど」


 なんかケーキに必死になってる人みたいで嫌だが、折角ケーキを食べれるのなら美味しく食べたい。そう思ってもいいじゃないか。


「ああ、それなら大丈夫。ほらあそこに冷蔵庫がある。朝持ってきて、そこに入れておけば何の問題も無いぞ」


 部室の端にある肩ぐらいの高さの四角い物体を指さし説明してくれた。

 あれって、やっぱり冷蔵庫だったのか。なんだか、全体に内臓ぶち撒けたようなアーティスティックな絵が書かれているから冷蔵庫の様な別の何かだろうとか思ってたんだが普通に冷蔵庫だったんだな。


「ああ、もしかしてあの絵が気になるの?あれはなんか登里奈が真っ白なのは殺風景だとか言って、翌日見たらなんかあんなの描いちゃってたのよね。まあ、そのうち見慣れて気にならなくなるわよ」

「そうですか。失礼ながらこの絵、内臓ぶち撒けた絵みたいに見えてなんかグロいなーとか思ったんですけど、そのうち慣れちゃうもんなんですかね」

「うぷっ、グロいって。お姉ちゃん、お姉ちゃんの絵グロいって!あはははは」


 姉の絵をグロいと言われて笑い出す知留奈。こいつも大概だな。


「グロいとは酷いな。これは…こう…、ドカーーーンって爆発した感じを表現したものだぞ。まあ、カエルの内臓が爆発した絵なんで、遠からずってところなんだがな」


 本当に内臓爆発かよ。全力グロじぇねえか、なんでそんな絵を描いた。


「え?これ本当に内臓が爆発した絵なの?なんだか気分が悪くなってきた…」


 先程までの笑顔はどこへやら、ちょっと顔が青くなる知留奈。ついさっきまで平気だった物も見方を変えるとこうなってしまうのか。イメージって大事だな。


「ほんとね、なんでこんな絵を描いたのって感じよね」

「はっは。実は描いた前の日くらいにテレビで、昔の子供は爆竹をカエルの口に突っ込んで爆発させたりする遊びをしていたってのを見たんだ。で、それに影響されてちょっと描いてみたんだよ。ちなみに今は後悔してる」


 テレビ、ロクな事放送しないな。こんな風に簡単に影響される人がいる事を考慮して放送して貰いたい。まったく。


「それにしても、いいんですかこれ。一応学校の備品じゃないんですか?こんな派手に絵を描いてたら流石に怒られる気がするんですけど」

「ああ、大丈夫大丈夫。フィルムの上から描いているから…ほら、簡単に剥がせるぞ」


「「「え?」」」


 今日はやたら驚きがハモるな。てか、剥がせるのかよ!しかも簡単に!

 どうやらフィルムは部分ごとに個別に分かれている様で、神坂先輩は絵の端っこを爪で刮ぐ様にすると、一つのパーツがペリペリと剥げた。そして剥げたフィルムをヒラヒラとこちらに見せてくる。


「ちょっとちょっと神坂先輩!さっき後悔してるって言ってませんでした?」

「ああ、言ったとも。もうちょっと上手いこと描いたほうが良かったなと思っている、うん」

「え、なに?この絵、私が来た時にはすでに描かれてて、「なんとかならないの?」って聞いてなんともならないって言ってたと思うんだけど」


 伊野先輩も知らなかったみたいで、思わず抗議する。そりゃまあ、あんな変な絵が描かれてて、なんともならないって言われてたのになんとかなったら抗議の1つや2つくらいするわな。


「そういえば、そんな事も言ったかもしれんな。だが多分な、その「なんともならない」ってのは描き直すことは出来ないって意味で、消すことは出来ないって事じゃなかったと思う。はっはっは、笑ってしまうなこれは」

「…そうね、笑っちゃうわね。知留奈、あの変な絵、全部剥がして捨てるわよ」

「うん、そうしよう」

「ああ!ひどい!私が地味に1時間位かけて頑張った絵なのに…。七橋くん、彼女らに何か言ってあげてくれ!」

「分かりました!伊野先輩、俺も手伝います!」

「;;」



「さっきは慣れるとか言ったけど、やっぱりこっちのほうが良いわね。と言うか、あんなのに慣れちゃ駄目だわ」

「よかったよかった綺麗になった~。これで気分よく冷蔵庫が使えるよー」

「これなら冷蔵庫って分かりますね。人が使う道具って感じがします」


 冷蔵庫全体グロキャンバスだったのは過去。今はすっかり綺麗になり、気持よく使えるごく普通の冷蔵庫がここに誕生した。


「まったく…、君たちは私の気持ちなどまるで無視だな。今度描く時は」

「もし直に描いたりしたら、登里奈自身にも同じ絵を書くからね!油性マジックで!と、言うかやっぱり直に描かなくても駄目!禁止!絶対!」


「…わかった、控える事にしよう。とても残念だが」


 目に見えてしゅんとする神坂先輩。そんなに絵を描きたいなら、スケッチブックか何かにでも描けばいいのに。

 いや、違うな。この人は絵を描きたい訳じゃなく、自らの行動に釘を刺されたことがショックなんだな。


「お姉ちゃん、だからと言ってうちの冷蔵庫にもやっちゃ駄目だからね。そんな事したら怒るよー」


 キッと姉を睨みつける妹。まあ、あんな絵が自分の家の冷蔵庫に描かれたとか想像すると恐怖だ。知留奈は苦労してるな…。


「分かってる、流石にそれは出来ない。家の冷蔵庫くらい普通に使いたいからな。はっはっは…と、随分と話が逸れてしまったな。話を戻して、明日の歓迎会について話そうか。お菓子やジュースはこっちで用意しよう。七橋くんと知留奈は何もせず、そのまま来てくれたまえ」

「そうだ、七橋くん。あなた何か苦手なものとかある?買ってきたのに食べれないとかなったら悲しいしね。あったら教えてくれる?」


 伊野先輩は嫌いな物は無いかと聞いてきた。うーん、嫌いな物か。これと言って嫌いな物ってのは無いな。まあ、香草系が苦手と言えば苦手か。

 …いや、そもそもここは本当に真面目に答えるところなのか?否、ここは試されているところだな。俺の、面白力おもしろりょくを!


「そうですね!例えば」

「あ、まんじゅうが怖いとか、綺麗な女性に弱いとかそういうのはいいからね」

「…苦手なものは特にないですね。あえて言えば、ウイキョウとかシャンツァイとかの臭いがキツイものですかね、はい」


 なんだろう、この敗北感。いや、実際に出鼻をくじかれて敗北したのか。何も出来ずに終わるってこんなに悲しいんだね…。


「そうか、香りが強いものが苦手なんだな。まあ、明日買ってくるものはケーキ類とかお菓子なんで特に問題はないな。教えてくれてありがとう」

「私はー?私には聞かないのー?」


 自分には苦手なものを聞かないのかと、机を軽くバンバン叩きながら抗議する知留奈。なんかPCをバンバン叩くAAを思い出した。


「何を言っている妹よ。おまえの好き嫌い位は把握している。なんだ?最近嗜好の変化でもあったのか?」

「無いよ無いよ変わらないよー。甘いものがぁー大好きです!そして、セロリとか苦いのが苦手!」


 知留奈は、自分の目の前で両手を×(バツ)にし、駄目駄目とアピールする。


「知留奈は本当にお子様だな。よし、今度から『チルドレン オブ ジ アトム』と名乗るが良い」

「分かったー。来年あたりからそう名乗るよ~」


 なるほど、下手に否定するよりテキトウに肯定するのか。さすが妹、姉の扱いが手馴れてるぜ。


「では、明日に必要な物を買い出しするため今日の活動は終わるとするか」

「そうね。じゃ、帰りに色々寄って帰りましょうか」

「えーっと、私は一緒にいっちゃ駄目なのかな?」


 帰り支度を始め、鞄を手に取った先輩方に知留奈が覗きこむように見つめて同行を求めている。


「何を言ってんの。あんた来ちゃ駄目でしょ。今日は大人しく1人で帰って、明日を楽しみにしてなさい」

「はっはっは。なんだもう待ちきれないのか?知留奈は本当に子供だな。今度から『真・チルドレ」

「はーい。じゃ、七橋くん途中まで一緒に帰ろっかー」


 姉に最後まで言わせない。なんて非常な妹だ。おかげでお姉ちゃんは、セリフを途中までしか言えてないから悲しい顔を…してないな。特に気にもせずそのまま鞄を肩にかけ、施錠する為の部室の鍵をクルクルと回して帰る準備も万端の様だ。


「そうだな。てか、俺自転車通学だけど知留奈も自転車なのか?」


 ここの学校に通う生徒は、寮や自宅などから徒歩や自転車、少し遠い生徒は電車やバスなどの公共機関を利用したりして通学している。街の中心部にほど近い高校だからか、住宅地から通ってくる自転車通学生もまあまあ多いとは思うが、知留奈はどうなのだろう。


「あ、私は電車なんだよね。そっか~…、じゃあ一緒は無理だね、残念」


 そうか。神坂姉妹は電車通学なんだな。伊野先輩も昔からの仲って言ってたから、おそらく同じように電車通学なのだろう。


「まあ、駅の近くは通って帰るから、駅までは一緒に帰るか」


 せっかく一緒に帰ろうと誘ってくれたんだ、時間にすると5分か10分位の短い間だがその位同行してもいいだろう。


「あ、いいの?んじゃ一緒に帰ろう~」

「なんだ、七橋くんも駅まで一緒に来るのか。では、それまでは私の鞄を自転車で運んでもらうかな。はっはっは」

「いいわね。私の鞄も一緒に頼むわ。ふふ」


 なんかいきなり荷物持ちになった。ていうか、神坂先輩達も駅までは一緒なんだな。


「あれ。お姉ちゃん達も駅までは一緒なんだ」

「うむ。街の中心あたりで買い物しようと思っているから、普通に行くと駅を通り抜けた方が早いしな。と、言うことで駅までは一緒に行こうではないか。あ、七橋くん、鞄を持ってと言ったのは冗談だから気にせずとも良い。はっは」

「いや、別にいいですよ。前にカゴは付いてて後ろに荷台も付けてるし、その位の距離で良ければ構わないです」


 先輩の家がどこかは知らないが、家まで運んでおいてくれと言われたら断固拒否してるが、駅までならなんら問題もない。このくらいのサービスはして上げても良いだろう。


「いいのか?私はそのような行為には容易に甘えるぞ。本当に良いのか?」

「ええ、構わないです。とりあえず、部室を出たら自転車を取ってくるので、校門…正門の方で待っていて下さい」


 容易にと言いながら、思ったより気を使ってくる神坂先輩にちょっとだけ驚きつつも、俺は自分の鞄を手に取り部室の出入口へ向かった。

 

「冗談で言ったのになんか悪いわね。でも、ありがとね」


 伊野先輩に感謝された。嬉しい。


「では、帰るとするか。皆、忘れ物はないな!」

「大丈夫よ」

「おっけー」

「問題無いです」


 明日は俺と知留奈の歓迎会か。この人数でやれる事だから大したことは出来ないだろうが、今からちょっと楽しみで、今夜はほんの少しだけ眠りに就くのが遅くなりそうだ。

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