1マイクロ
コンコン
「こんにちはー」
「鍵は開いている、入りたまえ」
ドアをノックすると部室から先輩の返事があり、俺は少し緊張しながらガチャとドアを開けた。
「失礼しまーす」
「やあ、いらっしゃい。今日からよろしくな」
「こんにちは、ちゃんと来たのね。勢いで入部したみたいになったから、来ないかも知れないなとか思ってたわ」
神坂先輩は奥の方でノートパソコンの前に座りつつ片手を挙げて、伊野先輩はその少し手前の長机の前に座っており、読んでいたマンガを置いてこちらに微笑みながら挨拶してきた。
「いやいや大丈夫ですよ、昨日ちゃんと入るって言いましたし。あの入部届もちゃんと提出して頂けたんですよね?」
「大丈夫、昨日の帰りに職員室に寄ってちゃんと顧問に渡してきたぞ。よく入部希望者が来たなと驚いていたがな。はっはっは」
「まあ、宣伝してないのに入部する人がいたらちょっと驚きますよね。っと…俺はどこに座ればいいんですかね?」
キョロキョロと当たりを見渡しながら俺は先輩方をちらちらっと交互に見た。
「はっは、なんだか挙動不審だな。君も今日からはここの住人だ、好きにしたまえ好きに。特に決められた場所とかは無い」
「なるほど。それじゃ、ええと…」
「特にやることも無いからそこにあるマンガを読みたければ好きに読んでいいわよ。まあ、他に宿題だのなんだのやりたいことがあれば好きにして頂戴」
伊野先輩はスッと背後の壁にある本棚を指さしたあと、再びマンガを読み始めた。
うーんそうだな、本当は綺麗な字の書き方を教えてもらおうかと思ったけど、初日からいきなりお願いするのもアレだし、今日は遠慮しておくか。
「えーっと、自由にって何をしてもいいってことなんですよね?」
俺は神坂先輩の方を見ながら確認してみた。
「ああ、ここは我々の為の空間だ。私達に害が及ぶようなことでなければ何をしてもかまわんぞ。はっはっは」
そう言うと、前触れも無く右手に持っていたマグカップを頭の上に乗せてバランスを取り始める。
ゴトンッ!
そして、当然のように落とした。幸い?マグカップ自体は丈夫な作りだったのか無傷みたいだが、中に少しだけ残っていた様でちょっとそれが床に広がった。
しかし、神坂先輩は何事も無かったように座り、PCのマウスを掴みネットサーフィンを再開した。
で、伊野先輩に怒られて片付けた。
…なるほど、これが自由か。
マンガでも読もうと思ったが、そんな事をしてる場合じゃないな。
じゃあ俺は何をしようか。せっかくの自由な空間だ思い切った事をするべきだな。
「では、パントパイムの見えない壁します」
「ほう」
「へえ」
伊野先輩も読んでいたマンガを長机に伏せ、こちらに目を向けた。
「はい、是非見て下さい」
俺は自信満々に答えて、早速パントパイムを始める。
「ほっ!ほっ!ほっ!よっ!ふっ!はっ!」
手のひらを目の前の空間にペタペタと触るように手を動かす。
スッ、スッ、スッ、スッ、スッ、スッ
…ふぅ!結構上手く出来た気がするな!
「あれだな、君のところの壁は随分ボコボコだな」
「私はむしろ、ブヨブヨしてる様に見えたわ」
二人は薄く笑いながら感想を述べてく。
すごい…!たった一つのパフォーマンスが複数の見え方をするなんて!
俺…、もしかしてすごすぎるのか…?
んな訳ないな、まあ今まで一度もした事もないのに思いつきでやっただけだし当然か。
「すいません、いま初めてやってみました。やっぱいきなりやるのは無理でしたね」
そう言って、近くにあった椅子に腰をかけた。
「やったこと無いのにいきなり始めるとは…。中々の自由っぷりだな。褒めてやろう」
「なんだか登里菜と同じ香りがするわ」
俺はありがとうございます、と頭を下げ立ち上がり、棚へマンガを取りに行った。
棚には100冊位の漫画が並んでいる。
ジャンルは少年漫画系が多いのだが、一般的に人気のある、「つかんだり7つ集めたり」「13km伸びる刀が出る。しかもマッハ500」「20年位日本王者のまま進まないボクシング漫画」とかは無く、「無人島で爆弾を使って殺し合い」「ゆるい百合テイスト」等、他にもちょっとだけマニアックなタイトル達が並んでいる。
「なんかアレですね、よく見る少年漫画とかは見ないんですね」
「そういうのは家に置いてあるわ」
伊野先輩はマンガから目を離さないままこちらに返事した。
なるほど、家に置きたくないようなタイトルがここ並べられていると言う事か。
さて、何を読むか悩むところだが、とりあえずこの海生軟体動物を擬人化したマンガでも見るか。
1巻を手に取り、先ほどの椅子に戻った。
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20分位経ち1巻を読み終え、2巻を読むかと思ったところで昨日の事で気になった事を思い出し、先輩たちに尋ねた。
「あのー、先輩方。昨日の事で気になった事があるんですけど」
「ん?なに」
伊野先輩は漫画を読み終えて、本棚に戻そうしたところでこちらに振り返った。
「えっと、昨日俺が水をかけられたのって水槽の水換えをしようとしていたって言ってたと思うんですけど、アレ、結局やってないんじゃないんですか?」
伊野先輩は「あっ」と今気がついたような顔をした。
そして、神坂先輩は無表情でこちらに首を動かし、まっすぐに見つめてきた。ちょっと先輩、怖い!怖いんですけど!
「よし、聞かなかったことにしよう」
「そうね。賛成」
二人は元の作業に戻った。
え、いいの?水換えって大事じゃな無いの?
俺は観賞魚の飼育についてまったく知らないから分からないけど、結構大事な作業な気がするんだけど。
なんだか不安になり、辺りを伺うニワトリの様に二人を交互に何度も見た。
「七橋くん、まあ落ち着きたまえ。スーパーでレジを待つ列が一番早そうな所を必死に探している人に見えるぞ。…そうだな、ここにこんな本がある」
そう言って神坂先輩は立ち上がり、本棚の端に並べてあった「アクアリウム入門」と書かれた本を俺に手渡してきた。
「その本の目次にある、水換えの項目から水換え頻度について読んでみたまえ」
その場で立ったまま、俺に指示を飛ばしてきた。
ええと、水換え水換え。あ、ここか。なになに、水換えの頻度は大体1~2週間ごと3分の1から4分の1程の量を行います、と。
「読んだかね、そう水換えは1~2週間に1回行えば良い。だから、昨日はしなかったがまた来週にでもすればいいのだよ」
なるほど、水換えってのはそんなにかっちりと決められた期間にしなければいけない事って訳ではないんだ。しかし、さっきはなんで変な誤魔化しかたしたんだろう。
「まあ、前回水換えしたのは2週間は前なんで、次に替えるとしたら3週間後って事になるんだけどね。はっはっは」
はっはっはじゃねーよ。駄目じゃねーか。だから、さっきあんな変な誤魔化しになったのか。
「まあ、そんな心配そうに見つめるな。全力で良いとは言わないが、うちの水槽はそんなに魚も多くないし、ちょっと位水換えの頻度が落ちても問題はない。場合により、数ヶ月水換えをしない人もいるくらいだぞ。うんうん」
軽く目を瞑り、若干大げさに頷きながら俺に補足した。
「そうそう、大丈夫大丈夫。なんとかなるものよ」
次に読む漫画を選んだ伊野先輩も問題ないと答えてきた。
そうなのか、まあ俺は観賞魚飼育の知識を持ち合わせてないんで、そうだと言われればそうなんだとしか言えないんだが。
まあ、先輩二人が大丈夫っていうんだから信じておこう。
でも、1周間単位でないといけないって事はない気がするから、今日やればいいんじゃないのか?
「先輩。来週に先送りにしなくても、今日やるとかは駄目なんですか?」
「ん?まあ当然の疑問か。今日は金曜だろ、一応水換え後の水質変化による影響とかも気になるから、休日の前にはやらないようにしている。他の曜日だと翌日になるとはいえ、何か問題があった時に対応出来るからな」
なるほど、ちゃんと理由があるんだな。純粋に面倒なだけだと思ってたよ。
「わかりました。じゃあ次に水換えする時は俺も手伝いますんで、教えて下さいね」
「当然。君もアクアリウム部の一員だからな。しかしあれだ、今度からは水換えも楽になるな。今までは私達だけで行っていたから、結構面倒だったんだよ。バケツ1杯の水を取り出して、同量の水を用意するんだが、私達はあまり力が無いから、水道まで運ぶのが大変でな」
眉を八の字にしながら制服の袖をまくり、右腕に力こぶを出すように腕を曲げるが、筋肉はまったく盛り上がらない。見た目、プニプニしてそうで柔らかそうだ。
たしかに、女の子に水換えのバケツを用意するのはちょっと大変なのかもしれない。その点で、俺の入部は歓迎されているのかも知れないな。
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神坂先輩は自分の席に戻り、再びPCをいじり始めた。伊野先輩は相変わらず漫画を読んでいる。
俺も、さっきの漫画の続きでも読むかなと思ったところで気がついた。この漫画、家にあるから別に今読む必要はないと。アホだな、俺。
て言うか、せっかくの自由な時間と空間だ、もっと有意義に使うか。
そんじゃ、どうしようか。さっきのパントパイムは正直イマイチで、先輩方の評価もイマイチだった。
ならば、ここは別のパントパイムで評価を修正すべきではないか。
…よし、やるか。
「先輩、もう一つパントパイムしたいと思ったんですが、良いですか?」
「…あんな醜態を晒しておいて、もう一度挑戦しようとするとは。七橋くん、私は君の事をいささか甘く見ていたかもしれんな」
「凄いわね…、私だったら無かった事にするかも知れないのに、私達の記憶に刷り込んで来ようとするなんてね…。関心したわ」
先輩たちは、感嘆の表情で俺を見つめ…いや違うなあれは笑ってる。
俺は出入口のドアの前の広さに若干余裕がある所に移動し、二人に向き直る。
「では、行きます。大岩に潰されそうになりながらも必死に耐える人」
バタンと倒れ、仰向けに腕立て伏せをするようなポーズを取りながら叫んでく。
「うっぐ…、なんて重いんだ…。もうダメかもしれない…。だが…、まだ諦めるわけには…!」
俺は腕をプルプルと震わせながら必死の演技をする。
「よかった、あらかじめタイトルを言ってくれなかったら、ひきつけでも起こしたのかと救急車を呼んでいたところだ」
「もしかして、登里菜を超える逸材…!?いえ、まだ決めるのは早急だわ…!」
必死に演技をしているため、先輩方の表情は見えないが、褒められているのだろう。そういう事にしておく。
よし、このままじわじわと手を下げて行き、最後の瞬間を演出する!
「くっ、もう両手の感覚が…。すまない花子、俺はもう君に…」
フィニッシュに差し掛かる瞬間、バーンとドアが勢い良く開いた。
「おつかれさま~」
「うんぎゅっ!!!」
ドアの前に寝ていた俺は思いっきりドアの衝撃を側頭部に受け、首がコキンッって感じになった。
「え!?あ!なんで!?ご、ごめんなさい!」
ドアを開けた人物は慌てて俺の隣にしゃがみ心配をしてきた。
すばやく座ったため、スカートの中は見えなかった。残念。
いや、そんなの気にしてる場合じゃないくらいに痛いんだが。
「七橋くん!いいぞ!今の表情すっごくリアルだった!」
「リアルっていうか、実際にダメージ受けてると思うわ」
「本当にごめんなさい。まさかこんな所に、人が寝てるとは思わなくて」
目の前の女子はあわあわとしながら俺を心配そうに見つめてくる。
しかし、あれだな、こいつはドアを開ける前にノックもしないとは、なんて常識の無い女だ。
でも、まあ、普通ドアの前で人は寝ない。それも常識だ。
その点だけは、俺の責任だな。その点だけ。
「知留奈、彼が昨日入部した七橋千歳くんだ。七橋くん、彼女は私の妹で知留奈と言う、仲良くな」
俺はまだ痛みが残る首を抑えながら、ゆっくりと起き上がり神坂先輩の妹と紹介された彼女を見てみる。
なるほど、確かにちょっと先輩に似て可愛らしい。ただ、ヘアスタイルはサイドテールの先輩とは違ってポニーテールなんだな。まあ、姉妹揃って同じ髪型だったほうが変か。
「ええと、もう起きても大丈夫なんですか?何か冷やすものもって来ましょうか?」
若干の痛みはあるが、そんなに大騒ぎするものでもでないし、ここは安心させておくか。
「いや、大丈夫大丈夫。俺、こんなこともあろうかと日頃から頭に10kgの重りを乗せて耐える訓練してたから」
そう言って彼女に満面の笑みを向けた。
「え!え?あ、冗談か。でも、大丈夫…なんですね。よかった…」
安心したのだろう、彼女はほぅと息を吐いた。
彼女には先ほど神坂先輩が紹介してくれたが、改めて自分の口で自己紹介しておくか。
「あー、さっき先輩も紹介してくれたんですけど1年B組の七橋千歳と言います。昨日からアクアリウム部に入部しました。よろしくお願いします」
「あ、はい。ええと、私は1年A組の神坂知留奈と言います。そこにいる登里菜の妹です。こちらこそどうぞよろしくお願いします。お姉ちゃんもいるんで、名前の方の知留奈と呼んで下さい。敬称略でいいですよ」
彼女はペコリと頭を下げて挨拶してきた。
「…えっと、ところで一つ聞いてもいいですか?」
挨拶もそこそこに、知留奈は真剣な顔でこちら向いた。
なんだろう?いきなり告白されちゃうのかな?困ったな…、イケメンすぎる俺、大罪に値するな…。
「なんでドアの前で寝てたんですか?」
だよな、普通気になるよな。しかし、さすがに初対面の人に「パントパイムで岩に潰されてた」と言ったら、引かれるだろう。
とはいえ、ここにいる先輩方も昨日出会ったばかりなんで、親密度は知留奈と大して変わらない気もするが。
「あー、知留奈。彼は、パントパイムをしていたんだよ。岩に潰されそうになってた」
あ、神坂先輩言っちゃった。ヤダ…千歳恥ずかしい…///
「え?」
彼女は、目を大きく開いて驚きの表情になった。
まあ、そりゃそうだな。
「あれよ、登里奈と同じ人種よ」
伊野先輩が補足してくる。神坂先輩と同じ人種ってなんだ。
しかし、知留奈はその言葉を聞くと大きく開いていた目はスッと元に戻り落ち着いた顔になった。
どこか、蔑みの目も混じってる気がするが、違うよな。な?
「なるほど…、そういう事なんだ。大丈夫、私、そのカテゴリには理解があるから~」
ふむ、これは彼女の中での俺の位置付けが決まったな。そのせいか俺に対する話し方も変わったようだ。
しかし、今後俺が変な行動をしたとしても神坂先輩のおかげで容認されるわけか。
ありがとう神坂先輩!
俺は神坂先輩の方を見て、こくんと頷くように頭を下げた。
そうすると、神坂先輩もにこくんと頷いてきた。
心が通じ合った。
とりあえず首の痛みもあり、先輩方の勧めで今日は早く帰り療養する事にした為、俺の部活初日はこれで終了した。
今日頑張れなかった分は、来週から頑張っていくか!
て、頑張ることはあんまりないんだけどな、と自分にツッコミを入れる俺だった。




