(7/8)逆鱗剥がし
全8話の中編、その第7話です。
目を離していた僅かな間に、赤竜の全身は鱗とは異なる鮮血の赤に染まっていた。ブレスは吐き尽くしてしまったらしく、大きく開いた口からは黒い煙が僅かに漏れ出すばかり。
その隙を突いて、また彼の剣先が鱗と鱗の間に差し込まれる。
竜の口から悲鳴のような咆哮が上がった。
辺りには既に二十枚近くの鱗がそこら中に散らばり、きらきらと光を乱れ撃っていた。
「す、すごい…!」
聖騎士の一人が思わず漏らしてしまった声に、慌てて自らの口を押さえた。
「あれが世に名高い”逆鱗剥がし”か」
辺境伯がしみじみと呟く。
ええ、とバップが頷いた。
「私も幼い頃に彼の祖父が使っている技を何度か見た程度ですが、それに勝るとも劣らぬ剣捌きです」
「先代の御子息が誰一人会得できなかった技を、農家に嫁いだ娘の子が使うようになるとはの」
「ち、父上…」
皆が彼の活躍に目を奪われる中、ユークリッドも視線を釘付けにしたまま尋ねる。
「あの男は一体……?」
うむ、と頷いた辺境伯は背後に控える者達にも聞こえる声を張り上げた。
「刮目してみよっ」
その力強い声に息子のみならず、その場にいた彼の部下、聖騎士、ゴブリン娘に至るまでもが息を呑む。
私も。
「あれこそが古来、数多の竜に虐げられていたこの地に国を拓き、守護してきた一族。その当代の振るいし業、名を”逆鱗剥がし”という。竜の全身を覆いし無数の鱗から逆さに生える一枚を見出し、剥ぎ取り、その下の肉を削ぐ達人の業なり!」
竜も生き物だ。真っ逆さまに生える”逆鱗”は一枚あるかないかだが、それほどでなくとも並びが他とズレていたり形が歪んでいるものがちらほらと全身に散らばっている。
深い洞察力と鋭い観察力で素早く周囲から浮いている鱗を見出し、そこへ先端が丸く湾曲した特殊な形状の剣を差し入れて剥がし、下の柔らかな肉を削ぐ。
それが彼の”逆鱗剥がし”だ。
「本来、竜とはその鱗と同じ数の兵を揃えねば討ち果たせぬと言われる存在。五百年前まで増え過ぎた竜同士で共食いが起きていたほどのこの地を人が住める場所にできたのも、あの一族に依るところが大きい」
「し、しかし…私がギルドで聞いたところでは竜など数十人いれば十分と……」
息子の言葉に辺境伯が呆れ返った声で「それはこの地だけの話だ」と叱った。
「我が領は繁殖地が点在すると同時に、エサが豊富な隣国とも接しており、国内でも特に竜が多い。故に兵や冒険者も高い練度を誇る」
「多様な亜人種とヒト種が共存しているというのも大きいですな」
バップが横から口を挟む。そういえばこの男もオークとの混血だったか。
左様、と辺境伯は頷いた。
「現在の王都のようにヒト種ばかりに拘っていては数に頼る戦略しか立てられん。ドワーフの作る武器に防具、エルフの蓄えし魔法に知恵、オークの膂力、ゴブリンの仕掛ける罠、それにヒトの統率力が加わることで初めて少人数でも竜に立ち向かえる戦力と戦術が成り立つのだ」
そう言って彼は周囲の聖騎士達を見回した。
「こんな雑兵、百や二百揃えたところで、全員まとめて竜のエサになるのがオチよ」
「ぶ、無礼な!」
気の短い聖騎士が度重なる辺境伯の見下すような発言に堪らず吠えた。
「我らは聖なる使命を帯びて剣を手に取りし騎士であるぞ!祝福を受けた我らに対する侮辱は、即ち我らが仕えし全能の神に対する侮辱に等しい。これ以上そのような発言は…」
「我が愛しき娘はサキュバスだ」
鬱陶しそうに眉をひそめて辺境伯が告げる。
「ヒト種にしか祝福を与えぬ狭隘な存在など、崇めるに値せん」
ここが王都なら、神の名に大抵の者は多かれ少なかれ畏怖の色を浮かべる。
故に恩寵や神罰など毛ほども気にしない辺境伯の態度に面食らって騎士は言葉を失ってしまった。
ついでに事実を知らなかったのか、ユークリッドも固まっている。それはつまり、彼自身も亜人種の血を引いていながら純血のヒト種を至高とする教会に傾倒していたという、何とも皮肉な事実を意味するのだから無理もない。
「だ、だが!」
別の騎士が吠えた。
「我らには聖女様がいる!」
「そうだ、こちらにおわす聖女様は教会の中でも五指に含まれる白魔術の遣い手!彼女の支援があれば竜など恐るるに値せぬ!」
辺境伯の目が再び私の方へ向く。
「近頃勢いづいていると噂の若き聖女殿か」
咄嗟に会釈するふりをして顔をヴェールの下に伏せたが、どうやら辺境伯は既に御存知らしい。
「強力な白魔法の遣い手と聞くが…はてさて、かつて我が領にも優秀な白魔術師がいたな」
そうだ。
私は優秀だ。
そうでなければ彼の相棒など務まらない。
彼は強く、そして危うい。
竜の対処は弓や魔法を使った遠距離からの攻撃が基本。
だが”逆鱗剥がし”は、竜を相手する際にご法度とされる近接戦闘の技だ。
時に飛ぶことさえある竜。その爪と牙と炎をかい潜って懐に潜り込み、向こうの勢いを利用して鱗を剥ぎ取る。謂わばカウンター戦法。接近戦どころではない。ギリギリを躱し、僅かな隙間に剣を差し込み、引っ掛かってしまわぬよう紙一重で抜く。剥がした鱗が飛んでくることも考慮しなければ、カミソリのように鋭利なそれに身を裂かれ大惨事になってしまう。
密着するほど近くで、だが刃以外はかすることさえ命取りになる。
超人的な動体視力と繊細かつ大胆な身のこなし、そして一瞬たりとも隙を見せぬ胆力と集中力が要される。
私達が竜さえ相手取れる二人だけのパーティでいられたのも、触られることさえ嫌がるその鱗を即座に見抜き、暴れ狂う攻撃を自分だけに集中させ、その全てを防ぎ躱すという、謂わば斥候と前衛と防御の全てを彼が担えたから。 私の白魔術なら、そんな彼の潜在能力を引き出すことができたから。
そんじょそこらの白魔術師であれば、彼の勢いに呑まれて手を出せないか、余計な手出しをして彼をむしろ危険に晒してしまう。
彼のためだけに編み出した支援魔法と回復魔法を用意し、その一挙一投足に全幅の信頼を置けた幼馴染の私だからこそ、彼の相棒を務められた。
彼に必要だったのは誰よりも自身を理解し、誰よりも自分を高めてくれる存在。
私に必要だったのは誰よりも理解できて、誰よりも高みに至れる存在。
私達は互いを補完し合うピースだった。
二人で良かった。他に誰もいらなかった。
彼には私が、私には彼がいればそれで十分だった。
部外者の入る余地などどこにもない。
バップが私の顔を覆う白いヴェールの下を少し覗き込むようにした後、私に気づいて目を瞠るのがわかった。
「お前、エ…」
「見ろ、赤竜が!」
彼が下から打ち上げるように剣を振るうと、血塗れの鱗が宙を舞った。
「見事だ」
辺境伯の口から称賛が突いて出た。
耳をつんざくような断末魔を上げた赤竜は天高く伸び上がるように上体を大きく反らした後、地面に倒れ伏した。
巨木を倒すような震動と地響きに、周囲の聖騎士やユークリッドがバランスを崩し、その場にもんどり打つ。
赤竜に目を凝らすが、最早ぴくりとも動かない。
やった。やってしまった。
一人で。
私抜きで。
私の理解も信頼も得ないまま。
「しかし不思議だ」
辺境伯が顎を擦りながら怪訝な声を出す。
「以前、お前から聞いていた話ではあの男、相方を失ってからは聖騎士とトラブルを起こして免停を食らうわ、実家の畑を耕し始めるわ…半ば引退しているような状態だったというではないか。それが支援魔法の補助も受けずに斯様な動きをするとは…」
「え、ええ…私も何が何やら…以前から出鱈目みたいに強い奴でしたが、今はそれにも増して…」
するとバップは思い出したように。
「そういや、あいつの衣服からおかしな臭いがしましたな。あの臭いは確か……ゴブリンスパイス…?」
「何…?」
思い出したように二人の視線が、まだ彼を見つめているゴブリン娘の方を向いた。
視線を感じた彼女が振り返る。
「あの、何か…?」
「おい、あんた。ケインに何をした?」
「え?」
「あいつの動きだよ!尋常じゃない」
「娘よ、ゴブリンが滅多に外へ出さぬという希少な香辛料をあやつに与えたのはお前か?」
「えっと、あの…はい。スパイスなら毎日ご飯に……」
「ご飯だあ!?」
バップが驚嘆の声を上げる横で、私は頭の中でかっと血が沸く感覚がした。
聞き捨てならない。
ゴブリンスパイスといえば、小柄で痩せ型のゴブリンが人並みに力を発揮するための源と言われる香辛料。彼らはこれを日常的に摂取することで大きな膂力や持久力、回復力など諸々の肉体強化を図ると言われている。
希少なスパイスであるため基本的にゴブリン同士でしかやり取りのない門外不出の品だが、ヒト種に処方すれば一流の支援魔法を授かったのと同様の効果を得られると言われている。
問題は他種族が服用するには個人に合わせて配合を細かく調整しなければむしろ体を壊すと言われていることだ。
その細かな調整を目の前のゴブリンがしたというのか。
すぐ近くで。
彼の食事を用意していたというのか。
「嬢ちゃん、あんた何者だ?」
「わ、私ですか!?」
「ゴブリンスパイスの調合法を知り尽くしているようだが一体どこで学んだ?」
「えと、あの、父が商人で……叔父夫婦が育ててて…うう…」
「あんま質問攻めにしないでやって下さい」
剣に付着した竜の血を振り払いながらこちらに歩み寄ってきた彼が言う。




