(6/8)聖女の独白
全8話の中編、その第6話です。
赤竜がブレスを吐き出した。
熱がこちらまで伝わってくる。
「ひぃっ…!」
辺境伯の息子がその光景に悲鳴を上げた。
「顔を動かさないで下さい」
余程強く殴られたらしく、先程までは鼻が陥没していた。こんな馬鹿なことに私達を付き合わせた報いとして、ゆっくり回復魔法をかけているので、今も口周りの腫れは引いていない。
「こ、ここにいて大丈夫なのかっ!せ、せ、聖女殿もいるというのに…!」
先刻まで保護だなんだと勇ましく言っていたのがひどい変わりようだ。それは聖騎士団も同様で、彼を追った先で獰猛な赤竜の荒れ狂う様を直に見てから、全員腰が引けて立ち尽くしている。
「ご安心下さい。あのサイズの赤竜のブレスであればここまでは届きません」
「く、詳しいのだな、聖女殿は」
「ええ、まあ…」
元冒険者だし。
地元だし。
竜が翼をはためかせた。
「飛ぶのか!?」
「飛びませんよ」
飛ばない。飛べない。
だって、足が浮く瞬間を彼が見逃す筈がない。
ほら、スネから鱗を一枚剥ぎ取った。
「おぉ…っ!」
完全に戦意を失った聖騎士達から感嘆と驚愕が半々の声が漏れる。
ずっと傍で見続けてきた彼の動きなど手に取るようにわかる。
変わらない。
幼馴染が祖父から譲り受けたという、先端がスプーンの先を平たくしたような形状になっている剣も。
剣の名は、東の島国の言葉に由来して”シャモジ”といったか。
その見慣れた姿を眺めていると、懐かしさと共に手応えのようなものを感じる。
さて、次は後ろに下がって−。
「え…」
そのまま一旦距離を取って再び機会を窺うかと思いきや、大きく跳び上がった彼は赤竜の胸のあたりで剣をひらりと振った。
鮮血を噴いて赤竜が悲鳴を上げる。
たまたまだ。
久々に見るから彼の行動を読み違えたのだろう。
私が。
誰より彼のことを知っている私が、その動きを見誤る筈がない。
赤竜が爪を振り上げた。
わかる。
彼は絶対これを横に跳んで避け−。
「……!」
避けることなく突進して股の下をくぐり抜ける。
尻尾の鱗を二枚払い落とすと、真上に跳んでがら空きになった背中を切りつけた。
真っ赤な鉄砲水が迸り、私達のいるところまで滴が飛んできた。
白い外套に赤い染みを点々と作られた聖騎士の一人が素っ頓狂な声を上げた。
だがこんな連中のことなどどうだっていい。
「あんなの知らない…」
私の知っている彼は強化魔法を二重三重にかけた直後でもあんな動きしたことない。
私より強力な支援ができるパーティメンバーでも見つけた…?
ぞっとするような考えを振り払う。
ありえない。
私の白魔法は王都でも指折りの実力だ。それこそ、こんな少数の聖騎士団でも十分赤竜と戦える実力に強化できるほどには。
そしてかつて彼にかけていた支援魔法は今より未熟だったといえ、日々の体調や相手に合わせてチューニングを重ねた、言わば特注品。
なのに、あの動きはどういうことか。
かつての彼より動きが機敏で力強い。余裕がある。積極的に自分から攻めている。
今の私が支援しても、あれほどの力は。
やめろ。
不協和音みたいな思考を無理やり断ち切る。
心がざわつく。
何が彼にあんな動きをさせているのか。
一体誰が。
周囲を見回していると、戦いの場からこちらへ駆け寄ってくる影が見えた。
先ほど聖騎士団が囮として先行させたゴブリンの娘だ。
教会の恩寵を授かっていない亜人種だから、私も黙認した。
息を切らしながら、何事か言葉を口にしようとしている。
「そこのゴブリン、止まれ!」
聖騎士の一人が馬上から声を荒げた。
「大人しく喰われていれば良いものを」
「この汚らわしいヒトモドキを聖女様達に近づけるなっ」
「いい加減にしろ、馬鹿どもがっ!」
赤竜の咆哮ほどではないが、場が静まりかえるには十分な怒声を上げたバップが、固まってしまったゴブリン娘のもとへ駆け寄る。
「怪我はないか?聖騎士団のことは気にしないでくれ。もう大丈夫…」
「け、ケインさんがっ」
全身が強張った。
「ケインさんが一人で戦ってます!ど、どうか助けては頂けませんか!?」
どうしてこの子の口から彼の名が出るのだろう。しかも知り合いみたいな口ぶり。
知らない顔だ。私が去った後に町へやってきたのだろう。こちらに走ってきた時の動きからして冒険者には見えないし、依頼で偶然知り合ったか、あるいはマリーナの友達とかなのかもしれない。
心がざわつく。いや、ざわついている。
赤竜に襲撃される彼女を助けに割って入った彼が、この子を抱き締めたように見えた時からずっと。
恐らく、怯えて動けなくなった彼女を移動させるために抱えただけというのはわかるが、あそこまで強く腕を回す必要はあっただろうか。内容までは聞こえなかったが、いくらか言葉も交わしているようだった。
そういうの、本当は私くらい親しい人にしかやっちゃ駄目なのに。
相変わらず、デリカシーがないというか、鈍感と言うか。
今後私以外には絶対やらないよう約束させないと。
そうだ。もうずっと私の側にいるのだから気遣いというのをこの際覚えて貰おう。
そうじゃなきゃ私の従僕は務まらない。
わざわざ辺境伯の息子の無謀な計画に乗り、聖騎士団を伴ってここまで迎えに来てあげたのだから、せめてその位はして貰わないと。
もうすぐ。
もうすぐだ。
王都で洗練された幼馴染を前にして見惚れる彼に、私は自分の付き人になるよう誘うのだ。
きっと迷わず即答してくれる。
そうしたら後はずっと一緒だ。
幼馴染だったのがパーティの相棒になり、今また主従に変わるけど、そんなのまた一緒になれるという事実の前では些末な問題だ。
そう、全ては神様が運命づけたとおりに。
私達はまた一緒になるのだ。
そしてもう二度と離れない。
後方から馬の嘶きが聞こえた。
振り返ると、旗を掲げる騎馬を先頭に騎士の集団がこちらに向かって駆けてくるではないか。赤竜に気を取られるあまり、その接近に気が付かなかったらしい。見えるのは数十だが、蹄の音からして大量の後続がいるとわかる。
瞬く間に距離を詰めた彼らが左右に分かれると、奥から見栄えよりも実用性を重視した無骨な鎧を身に着けた人物が馬を下りてこちらに歩み寄ってきた。
「ち、父上…!?」
いつの間にか回復魔法を途切れさせていた私の前で、唇を腫らしたユークリッドがやや舌足らずな声で言った。
最初、赤竜の方を見遣っていた辺境伯は息子の方に向き直るとまず一喝した。
「この馬鹿者っ」
それから近くで様子を見ていたバップに頭を下げる。
「バップか。この度は私の留守中に息子のしでかした愚行で多大な迷惑をかけたこと、あいすまなんだ」
「い、いえ、幸い被害が出る前でしたので…」
狼狽してバップも頭を下げて応じる。
辺境伯は頭を上げると、私の背に隠れるように萎縮してしまった息子を再び睨んだ。
「逃げ出した赤竜の保護など……何を考えているっ」
ひっ、と小さく悲鳴を上げ、亀のように首をすぼませたユークリッドは、その状態でおずおずと反論を試みる。
「し、しかし父上……王都だと竜はヒトと心を交わす友人にして庇護すべき聖獣という考えが広く浸透していまして……実際、王都の竜などはどれも大人しく可愛らしいもので…」
「戦場で炎をかい潜ってきた暴竜と、檻の中で安穏と過ごすトカゲとは同じ生き物ではない!そんなこともわからんのかっ」
それから辺境伯はぐるりと周囲に立ち尽くす聖騎士団を見回して忌々しげに「お前達か、我が息子に妙な思想を植え付けたのは」と言った。
こちらにも迷惑千万といった視線を向けてくる。
私は動じないが、聖騎士団の多くは各地で敬われ丁重にもてなされることになれているため、動揺が見られた。
「刃こぼれも知らぬような連中が、蒙昧な王太子に媚を売って気に入られたくらいで調子付きおって…!」
「あ、あの!」
そんな中、バップの背後から飛び出したゴブリン娘が辺境伯の前で両膝をつき、地面に額を擦り付けた。
「辺境伯様、お願いします!どうかケインさんをお助け下さい!」
まただ。
どうしてそんな風に彼の名を呼ぶ。そんな親しげな声で彼の名を。彼をそんな風に読んで良いのは私だけだ。
彼女が彼の名を口にする度、神経が逆撫でされる。
「バップ、この者は…?」
「いや、私も何がなんだか…」
辺境伯やバップもこの娘のことを知らないらしく、困惑している。
「お願いします!このままじゃケインさんが……!」
あなたは一体彼の何なの?どうして部外者なのに彼のためにそこまでするの?どうして彼の名を気安く口にするの?
何も知らない癖に。
辺境伯はしばし呆然とゴブリン娘を見下ろしていたが、やがて彼女の前に跪くと「そのように頭を下げるでない」と体を起こしてやった。
「後ろを見てみよ」
顎で前方を示してやる。
「あれに助けがいると思うか?」
この章から視点が切り替わってます。わかりにくかったらすみません。




