(8/8)聖女と剣士と花嫁と
全8話の中編、その第8話です。
先程まで全身に纏っていた覇気はきれいに脱げ落ち、気怠そうな表情。
戦闘後にすぐさま回復をかけていた頃の癖で、思わず足を前に踏み出してしまう。
「ケ……」
「ケインさんっ」
私より先に彼の名を呼んで飛び出したゴブリンが彼の元へ駆け寄る。
勢い余ってぶつかりそうになるのを、素早く剣を鞘に収めて彼が抱き止めた。
やめて。
「危なねえなあ…剣抜いてる時は危険だからあんま近付くなって前に言っただろうに」
「……?そんなこと初めて耳にしましたが?」
「ん…ありゃ鎌の話だったか。まあいいや」
柄から手を離した彼の掌が彼女の後頭部を撫でる。
やめて。
そんな誤魔化しのきかない姿を私に見せないで。
そこは私のために空けておいてくれた場所じゃないの?
「ケイン、その娘は一体…」
バップが余計なことを尋ねる。
「ああ、そういやお前は会ったことなかったっけ。こいつは…」
聞きたくない。
「見事でした」
平静を装った声を発して私は前に足を踏み出した。
周囲の視線が集まる。
衆目を集めることにはもう慣れている筈なのに、その内の一つが彼のものだと思うと、体が火を灯したように熱くなってきた。
「聞きしに勝る”逆鱗剥がし”の剣裁き…あなたほどの達人は王都を探しても二人といないでしょう」
彼が目を瞬かせた。
その閉じて次に開くまでの僅かな間に、瞳の奥が私に焦点を定める。
うん、そうだよ。
私だよ。
迎えに来てあげたんだよ。
「どうですか?私のもとでその剣を振るってみるつもりはありませんか?」
聖騎士達の間からどよめきが上がる。でも気にしない。
誰にも文句なんて言わせない。
「私の支援を受けるに値するあなたのような戦士を探していました。教会にはあなたを迎え入れる準備があります。私専属の守護騎士として戦ってくれるのであれば、あなたは大陸全土でも唯一無二の戦士となることができるでしょう。いかがです?」
また、二人きりになろう?
あなたは私がいないと駄目なんだから。
さあ、そんな亜人種なんて離して。
はやくこっちに。
「悪いが遠慮させて貰う」
「…………は?」
耳を疑う。
彼の声なのに。
私が夢見ていた懐かしい声じゃない。
「偉大な神だのありがたい教えだの……そんな曖昧なもの掲げて女の子犠牲にするような奴のために、命を賭ける気にはならん。戦えねえよ」
「き、貴様ぁ!」
「我らが神を愚弄するか!」
聖騎士達がいきり立ち、何人かが激昂して剣に手をかけた。
「おやめなさいっ!」
愚か者達を叱責する声に、思わず力が入ってしまった。
私の素の声を耳にしたことがない彼らが気圧されて狼狽えるのがわかった。
取り繕うように声を静めて言い直す。
「神を信じる気持ちは押し付けるものではありません。残念ではありますが、いつか我々と同じものが見えるよう祈るしかありません」
自分で言いながら、胸の内では彼が自分と同じものを見ていないという事実に心がかき乱される。
でも、そうだ。
私も聖女に選ばれたばかりの頃は今のように見えていなかった。
私達を天から見守る神様のことも。その恩寵を授かった私達がどれだけ優れているかも。私達ヒト種は万物の霊長として、あらゆる生き物の上に立つ権利があるということも。
まだ彼は見えていないだけだ。
そのゴブリンは残念ながら私達ほど神様に愛されていない。脆弱な存在。
愛でるのは構わない。でもそれはあくまで下の存在として。ペットのような存在として。
あなたの隣に並び立ってよいのはもっと対等な存在。
私のような……いや、私だけ。
でも、彼がこうも聞き分けのないようであれば私にも考えがある。
「ではあなたはどうですか?」
視線を向けられたゴブリンが彼の胸の中で震えた。
なんてか弱い。
「あなたのゴブリンスパイスを扱う手腕には目を瞠るものがあります。その技術、さらに多くの者達を救うために役立てる気はありませんか?」
「え…?」
「せ、聖女様、それはどういう…?」
聖騎士が疑問を呈すが無視。
「勘違いされがちではありますが、教会は別にヒト種でないあなたのような存在を排斥しようとしているわけではありません」
勝手にそう解釈した王太子を止めるまではしないけれど。
「聖騎士団にはその優秀な技術や知識を買われ、シスターとして神に仕えている亜人種の方も少なからずいます。どうでしょう、相応の待遇は私が保証します。どうか私と共に王都へ来ては頂けませんか?」
「で、でもケインさんが……」
「彼はあなたの意志を何より尊重してくれます」
そうだ。
他人思いだからこそ、彼は自分に縛り付けることを不幸だと考え、愛してくれる相手の献身を拒絶する。
だから私が聖女に選ばれた時も、彼は私が行くことに反対しなかった。
『でも私がいないとケイン、危なっかしくて』
『俺のことなんか気にすんな。いなきゃいないで何とかする。俺はお前に幸せになってほしい』
私などいらないと言われたようだった。
あなたのために傷付くこともあなたとの幸せの一部なのに。
彼はそれを理解してくれなかった。
だから今度もきっと同じように身を引く。
「彼はあなたの幸せを何より喜び、あなたの不幸を何より厭う。ならば迷う必要はないのでは?」
彼はまた自分を愛してくれる人を拒絶するだろう、そして彼女が何故傷ついたのかわからないまま、自分と関わったことが不幸の始まりだとまた後悔する。
いい加減、わかって。
あなたに必要なのはそこのゴブリンのような守るべき弱い存在じゃないの。
私のようにあなたの愚かさを理解して、それでも傍にいてあげられる強い存在なの。
戻ってきて。
また私の隣に来て。
「勝手に話を進めないでもらおうか」
彼が私を正面から見据えて言った。
「……ごめんなさい」
少し、声が掠れた。
「でも私は今、あなたではなく彼女に話しかけているのです。彼女の進む道は彼女が選ぶべきもの。彼女が今より幸福になりたいといえば、あなたにその道を塞ぐことはできません。違いますか?」
彼はそれに答えることなく、密着していた少女の方へ向き直ると、両肩に手を置いて体を外した。
「キャロル…」
そう、それでいい。
「け、ケインさん、私……!」
「わかって頂けたようで」
「キャロルは俺の嫁だ」
「…………っ!」
彼の手が彼女の手を掴んだ。
茶緑色の肌が、さあっと赤く染まる。
「そろそろ家に帰りたい。もういいか?」
「ぁ……あ、はい!昨日はご飯食べずに寝ましたもんね!」
「それもだけど」
私が言葉を失って呆然としていると、それまで横で見守っていた辺境伯が尋ねた。
「ケインよ」
二人、息を揃えたように辺境伯の方を向いて頭を下げる。
苦笑した辺境伯が顔の前でひらひらと手を振って「よい、面を上げよ」と言った。
「そなたの”逆鱗剥がし”、この目でしかと見せて貰った。見事だ」
「いえ、体がだいぶ鈍ってまして……辺境伯様に見られてたと思うと恥ずかしい限りで…」
そう言うと彼は辺境伯を見上げた。
「…爺さんの技を継いだ身として、次にお見せする際にはもう少しマシな剣を振るいたいと思います」
「うむ、それを聞いて安心した。その方の祖父が亡くなって以降は竜の数も増えており、陛下も心を痛めていた。”逆鱗剥がし”の復活を聞けば、その心労も和らぐだろう」
それからちらりと私達の方を盗み見て。
「王太子や教会の暴走にも、手を打つ余裕が生まれよう」
パトロンに影響が出ると聞き、聖騎士達がおろおろし始めた。
「だがな、今やお前の責任はそれだけではないぞ?」
辺境伯が彼の横の少女に目を向ける。
「不躾とは知りつつ、私もこの地を治める者として、跡継ぎについて尋ねねばならぬ」
「い、今はまだ……」
彼は照れ臭そうにそう言うと少女と顔を見合わせた。
「……ですが近く、良い報告ができるようこちらも精進しようかと」
「け、ケインさん…っ!!」
既に真っ赤だった少女の顔がさらに赤みをました。耳から蒸気でも吹き出しそうなほどだった。
「尤も、生まれる子が剣を取るかはその子次第ですが…!」
「うむ、今はそれで結構!」
辺境伯が盛大に笑うと、つられて彼の部下やバップも笑い始めた。
「引き止めてすまなかった。行くが良い。おい、この二人に道を開けよ!」
整列していた辺境伯の兵が左右に分かれ、二人に道を譲る。
「帰るか、キャロル」
彼の笑みに応えるかのように少女も破顔する。
「はい、ケインさん!帰りましょう、私達の家に!」
二人並んで歩き出す。
私には最早それを見送ることしかできない。
彼が横を通り過ぎる際、手が伸びかけた。
「達者でな、エルダ」
「………っ」
だが遂に腕は上がらなかった。
指先が彼に触れてしまえば、私達の間に広がっていた曖昧なものがはっきりしてしまいそうで。
怖くて。
諦めてしまった。
触れなければもっと後悔すると分かっているのに。
また同じことの繰り返し。
五年前、彼を期待しながら馬車に乗り込んだ。
彼を見返すつもりで学び、鍛え。
彼を取り戻すために教会内で力をつけた。
そうして全てを手に入れてようやく彼を迎えに来た。
でも、そんなことしなくても。
ただ、聖女になんてなりたくないと彼に言えば。
馬車に乗るのを拒否していれば。
途中で飛び出して帰ってくれば。
チャンスはいくらでも与えられていたのに、たったそれだけのことをしなかった結果がこれだ。
今だってこんなヴェールなど脱ぎ捨てて彼と顔を合わせていれば何か変わったかもしれないというのに。
聖女でない自分として、彼と。
他は全て手に入ったのに、一番欲しかった痛みだけが手に入らない。
もし、あの時彼が追いついてくれたら。
引き止めてくれたら。
「…………ぁ」
その時、気づいてしまった。
想像できない。
彼に引き止められて留まる自分の姿が。
彼のために傷つく自分が。
頭の中で彼と幸せになっている自分が思い描けなくなっていた。
いつからだろう。
私はいつ変わってしまったのだろう。
谷の向こうへ消えていく二人の姿がぼやける。
ほら。
追いかけろ。
まだ間に合う。
奪い取れ。
ねえ。
動いてよ。
ねえ。
どれだけ願っても、体は動いてくれない。
罰のように、指先一つ動かせない。
私はヴェールに顔を隠したまま、誰にも気付かれないよう静かに涙を流した。
*****
煌々とした朝焼けが地平線から立ち上る白さに塗り替えられていく。
朝の光が少しずつ畑から夜を追い出していく様を眺めながら、俺はキャロルと土手の上の道を並んで歩く。
既にちらほらと作物の中に分け入り朝露を揺らす者達の姿が見える。
「あの、ケインさん……」
いつの間にか半歩遅れていたキャロルがおずおずと声を出した。
「聖女様の話していたことなんですが、その……私は……私の幸せは……」
「いなくなったお前が赤竜の方に向かっているんじゃないかと思ったら、居ても立ってもいられなくなった」
「え?」
「それまでは自分のような男と一緒になってはいずれお前が不幸になると思った。情を抱いてしまった相手だからこそ、遠ざけるのが正解だと。お前の意志に関係なく、それがお前の幸せだと思っていた」
「そ、そんなこと……!」
立ち止まり、キャロルの方へ向き直った。
「もしかすると王都に送り出した方がお前は幸せになれるのかもしれない。俺と一緒にいて傷付かない保証もない。いや、多分また傷つけるだろう」
彼女の両手を取り、しかと握った。
「それでも一緒に居たい。離れたくない」
潤んだ瞳で俺を見返すキャロルの手にも力が入る。
「私は……私は今、とても幸せです」
囁くようなのに、どこか力強い声。
「私の幸せはあなたと共にあります。これからも。どれだけ傷ついたとしても」
キャロルの手を引くと、本来の形に戻るかの如く、彼女の体が自分の方へ吸い寄せられる。
顔を近づけると、瞼が閉じられた。
艷やかなまつ毛が、朝の光を先に灯して並んでいる。
彼女の吐息が自分の吐息と混ざる。
それが朝もやに散ってしまうことが勿体なく感じられ、俺は彼女の口に蓋をした。
「おーい、母さーん。来年の種蒔きには間に合いそうだぞー。孫の名前、四人分くらい考えとけー」
遥か遠くで声が聞こえる。
やめろ、クソ親父。
まだ朝だぞ。
*****
次の春。
五人生まれたよ。
お読み頂きありがとうございました。
当初、作者はこの話を大体5000字くらいで書けるかなーとか考えていたそうです。
バカだね。




