(4/8)『さよなら』と『ありがとう』
全8話の中編、その第4話です。
俺はキャロルの前に金貨が入った布袋を置いた。
「これは…?」
「今、俺の手元にある全財産だ」
布袋を彼女の方へ押した。
「お前にやる」
彼女の目に浮かんだ戸惑いが全身に広がっていくのがわかった。
笑顔を取り繕って彼女は言う。
「で、ですからそれは将来の養育費に…」
「俺はお前と子を作るつもりはない」
ぎく、と彼女の体が一瞬で強張った。
はっきり言ったのは初めてだ。
彼女のギリギリの笑みさえかき消すように、続ける。
「これは手切れ金だ。もうここにいなくていい」
キャロルの目に涙が溜まっていく。
「あの…ど、どうしてですか……私にどこか至らないところでも……?」
「お前じゃない。俺だ」
そう、全ては俺なのだ。
状況に流され、甘んじ、動こうとしない俺が全て悪い。
エルダのこともそうだ。
俺がちゃんと気持ちを伝えていれば彼女は聖女になどならなかった。
俺が彼女を引き止めていれば彼女はここに残ってくれた筈だ。
教会の聖女に認められた彼女の喜びに水を差したくないなどと自分に言い訳したが、結局自分のせいで何かが決定的に変わってしまうことを恐れていただけだ。
彼女が旅立ったあの日もそう。
*****
あの日、エルダとどんな顔で別れを告げれば良いかわからなかった俺はギルドで時間を潰していた。彼女が来るというのは望み薄としても、バップあたりが俺の背中をせっついてくれるのでは、なんて甘い考えに浸っていた。
そんな中、一人の商人が外から駆け込んできた。
商隊の馬車が赤竜に襲われ、主人が負傷したとき近くにいたその娘が連れ去られたという。
助けを求める亜人の彼を、ギルドと併設する酒場に居合わせた騎士の一団が嘲笑った。
聖女が出発するまで空いた時間をそこで過ごしていた聖騎士団だった。
「ヒトモドキの娘一匹で竜の腹が満たされれば、人間の被害が少なくなる。有難いじゃないか」
ぶん殴ってやった。
丁稚の彼に竜のいる東の谷の近くまで案内された時、娘は既に喰われた後だった。
ただ竜は獲物が小さいと丸呑みすることがある。
嚥下中は動きが鈍くなるのも幸いした。
俺は竜を殺すと腹を裂き、中から少女を救出した。幸いまだ命はあったものの、すぐに診療所へ連れていく必要があった。
余程怖かったのか、全身血塗れの彼女は俺の首元に抱きついて離れようとしなかった。
引き剥がすことが躊躇われ、ようやく彼女を診療所に届けた頃には、とっくにエルダが町を出発する時間は過ぎていた。
追いかけた。必死に。
追いついてどうするかなんて考えていなかった。ただ、このまま中途半端ではいけないと思い、がむしゃらに道を駆けた。
今更なのは分かっていた。
それでも追わずにはいられなかった。
やがて地平線の向こうに影が見え、すぐに消えた。
足に力を込め。
また地平線に影。
爆発しそうな肺を荒げ。
また消える。
そんなことを何度も繰り返し、闇夜で何も見えなくなっても、足の感覚が失われても走り続けた。
竜との戦いで全身痣だらけ傷だらけの状態であったが、同時に痛みも忘れるほど興奮していたからできたことだ。
だが、遂にどこかで力尽きたらしい。
気が付いた時には既に日は高く、ギルドに戻った俺を待ち受けていたのは、聖騎士を殴った罰としての冒険者免許の一時停止処分だけだった。
新任の受付が聖騎士団におもねった結果で、すぐにバップ達から抗議を受けて慌てたギルマスに撤回されたものの、既に俺の中からは冒険者としての”芯”が抜けていた。
*****
「お前、あの時助けた商人の娘だろう」
助けた少女は血塗れだったので当時ゴブリンとわからなかったが、後から免停で燻っていた俺のもとを訪れたバップから子細を聞いた。
元々成長が早い種族な上、キャロルは特に小柄だ。当時は五歳のマリーナと同じくらいだった彼女が、五年で成人して目の前の娘になっていてもおかしくはない。
ここに来て最初は既視感があるだけだったが、三日も共に過ごせばあの時の娘だと気づいた。
自分を救った男に恩義を感じたのか、憧れを抱いたのかはわからない。
だが、時間が経てば幻想も破れ、俺への愛想も尽かして自分から去るだろうと半ば期待していた。
今度も自分から動くことができなかった。
「俺はお前が思っているような男じゃない。半端で優柔不断でいつまでも過去を引き摺っている…そんな下らない奴なんだ、俺は」
キャロルを抱けば、それはつまり俺が正式に冒険者を辞めて畑を継ぐことに同意したということになる。
それは、エルダとの間に残されていた最後の繋がりを自ら断つことを意味していた。
踏ん切りがつけられなかった。
日を増すごとに情が移り、気付けば一緒にいて心地よい相手になっていた。
なのに手を出さない。
不誠実だ。
これ以上、彼女をそんな俺の都合に付き合わせたくない。
今ならまだ間に合う。
まだ彼女は俺から自由になれる。
「明日の朝、用事から帰ったら両親にも話す。すまん、わかってくれ」
「…………はい」
涙がぽたぽたと床板を打つ音が、小屋の中に響いた。
その日は翌朝のことを考えて食事を取らないまますぐ床に就いた。
*****
目が覚めたのは、まだ暁もだいぶ先の夜半。天井から吊り下げた小さなろうそくの明かりだけが闇に浮かんでいた。
「……?」
半身が冷たい。
ここ最近は、並んで寝たがる彼女の存在により温められていた体が。
息遣いも聞こえない。
上体を起こし、隣のベッドに目を向けるともぬけの殻になっていることに気が付いた。
「キャロル」
呼んでみたが返事はない。
小屋の中には、彼女が昨晩作り置いていた肉野菜煮込みの臭いが充満していた。
薄ら寒いものを感じてベッドから跳ね起きると、玄関の軒先に出て畑の方へ目を凝らした。畑仕事に出る時間はまだ先だが、そこに小柄な彼女の姿を願わずにはいられなかった。
「キャロル」
耳に届くのは、虫の声と葉が擦れる音のみ。
小屋の中に戻り、彼女がここにやって来た時に携えていた背負い袋が放り込んであった筈の戸棚を開ける。
なくなっていた。
代わりに炭か何かで文字を書きつけた布切れを見つけた。
『ありがとう』
『さようなら』
今のキャロルが書ける、数少ない言葉だった。
鎧を付ける時間も勿体ない。
俺は玄関先で埃を被っていた剣をひったくると小屋を飛び出した。
まさか。いや、だが。
逃走して興奮状態にある赤竜が東の谷に辿り着いたのは、五年前に俺が屠った同族の臭いを嗅ぎつけたからだろう。
あの時、キャロルを乗せた馬車があの近くを通ったからと言って、ここを去った彼女が故郷へ戻るのにまたあのルートを使うとは限らない。赤竜が出ているくらいだ、ギルドも通行止めの立札くらい立てるだろう。
騒ぎを大きくして赤竜を刺激したくはないだろうし、騎士団が来ていたとしても余計なことはすまい。
キャロルもきっと迂回するなり引き返してくるなりする筈だ。
今に道の先に彼女の姿が見えてくる筈だ。
今に。
そう、今に。
逸る心につられるようにして、駆ける足も速くなる。
「糞、どうして昨日の晩にあんな話をした…!」
少し考えればこうなる可能性にも気付けただろうに。
自分で何かしたところで結局こうだ。
何をしてもしなくても他者を傷つけてしまう。
だったらいっそ。
「ケイン!」
ふと後ろから蹄の音と共に呼ぶ声があった。
バップだ。
「ケイン、お前どうして…?」
夜明けまではまだ時間がある。こんな闇の中で馬を走らせる理由など。
「バップ、何かあったのか?」
差し出された手に引き上げられ、速度を緩めた馬の背中、バップの後ろに跨る。
「聖騎士団の連中が予定より早く着いた。辺境伯の息子にせっつかれて急いだらしい。もう現場入りしていると知らされて慌てて来た」
「こういう時に限って…っ!」
「お前こそどうした。集合時間はまだだいぶ先だぞ」
「道中でゴブリンの女を見なかったか」
バップの家は町の西外れにある。キャロルが西の街道に出るつもりであればどこかで遭遇していた可能性が高い。
「ゴブリン?いや、飲んだくれて潰れてるエルフしか見てないな」
「糞っ!」




