第41話 銀色は黒に染まる
「カハッ……アッ!?」
「雫さん!」
雫の身体が私の横をかすめ吹き飛んでいく。
直後、背後で激しく何かに叩きつけられる音。
白亜ちゃんの声が遅れて耳に届いた。
「何、何が起きてるの……?」
後ろを振り返ることができない。
雫の様子を確認することもできない。
――目が、離せない。
視線の先。
それだけで、すべての時が止まる。
流れるように魔物を倒していた身体がぴたりと硬直する。
赤く染まる大剣を握る指先が、わずかに震えた。
理解を、拒む。
心が、体が、魂が。
目に映る光景そのものを、全力で否定しようとする。
ありえない。
そんなことは、あってはならない。
黒い髪。
赤い瞳。
見た目が違っても、わかってしまう。
あれが、誰なのか。
魔物の群れの上に立ちこちらを見下ろす影。
その魔物は。
その人は。
その、女の子は―――
「せな……ちゃん?」
小さく名を呼ぶ。
けれど返事はなかった。
向けられた瞳に、思わず息が詰まる。
それはこれまで一度も向けられたことのない――凍りつくような冷たさだった。
まるで。
まるで、こちらを敵だと断じているかのようで。
頬を冷たいものが伝う。
ドォン!
私が呆然と立ち尽くしていると、音が世界を破る。
金城さんが一切の躊躇なく踏み込み、黒髪の少女へ拳を叩き込んだのだ。
全力に近い一撃。
けれど少女はそれをあまりにも容易く受け止める、まるでじゃれつく子供の手を軽く制するかのように。
想定内だったのか金城さんは止まらない、もう片方の拳が間髪入れずに少女の胴へと伸びる。
その刹那。
少女の空いた手が金城さんに向けて振り抜かれる。
速い――認識が追いつかない。
だが衝突の直前に光が割り込む。
展開された防壁――フラウ隊長の魂源。
軌道がわずかに逸れ、致命打は外れた。
金城さんが即座に距離を取る。
「分かってはいましたが、強くなったわたくしたちでも、彼女にとっては赤子ですわね」
そう言って優雅に髪を払う。
その仕草はいつも通りのはずなのに、指先がわずかに震えていた。
……金城さんが恐怖を感じている?
「あぁ、全くだよ。私のデビュー戦が負けイベントとはね」
フラウ隊長が肩をすくめてみせる。
軽口のような言葉、けれどその声はわずかに掠れていた。
こんな二人を見るのは、初めてだった。
「あの子は、せなちゃんではありませんよね……?」
―――私はまだ認めたくなかった。あれが、せなちゃんだなんて。
場違いだと分かっていながら、言葉がこぼれる。
目の前の現実を、どうしても受け入れたくなかった。
「……」
少女と対峙している二人からの返事はない。
否定をして欲しかった。
代わりに金城さんが無言で腕を上げる。
その先にいる少女へ、静かに指し示す。
「あの耳飾りが見えませんの?」
視線が、導かれる。
そこにあったのは――
「っ!!」
思わず、自分の耳に触れていた。
同じ形。
同じ輝き。
――あの日せなちゃんと雫と一緒に選んだ、あのイヤリング。
視界が揺れる。
まっすぐ立っていられない、膝が今にも崩れ落ちそうになる。
それでも――
倒れることだけは拒むように大剣を地へ突き立てる、柄を握り辛うじて体を支えた。
白く霞む視界の中で、記憶が浮かび上がる。
最悪だった、最初の出会い。
必死に誰かを助けようとする姿。
魔女になった日の眩しいほどの笑顔。
配信中にくるくると変わる表情。
人と向き合うたびに見せる、あの戸惑い。
ステージを駆ける度に揺れる衣装。
すべてが、まるで最初から嘘だったかのように、歪み始める。
ひび割れた鏡のように、記憶が砕けていく。
「赤里さん!!」
その直前。
金城さんの鋭い声が現実へと引き戻した。
それ以上は許さないとでもいうように。
「きっとあの子は寝ぼけているのですわ、呼びかける前に動きを止めてしまいましょう」
肩に、そっと手が置かれる。
優しいはずのその重みがやけに現実的だった。
「わたくしと隊長でなんとかいたしますので、その前に」
穏やかな声のまま金城さんの視線が動く。
黒髪の少女から、周囲へ。
「雫さんが動けない今、他の魔物をお願いしたいんですの」
ぼやけたままの視界で周囲を見る。
蠢く闇。
肌を刺すような、濃密な敵意。
吐き気がこみ上げる。
それでも――
唇を噛みしめ、大剣を空へと掲げた。
「うわあああああああああああああああっ!!」
叫びとともに、魔力が解き放たれる。
星のない夜空に、無数の光が生まれた。
ありったけの魔力を宿した、炎の妖精たちが。
◇◇◇◇◇◇
私はもう一度自慢の巻き髪を払う。
赤里さんには酷な役を押しつけてしまった。
目の前にいるのはこれまで姉妹のように過ごしてきた少女。
それでも戦えと命じたのだから。
彼女によって放たれた魔力の妖精が周囲の魔物を焼き払っていく。
闇が、赤く塗り潰される。
……明るくなってよかったですわね。
現実を逃避するかのような思考がふとよぎってしまった。
肩越しに振り返る。
そこには木に叩きつけられ意識を失った雫さん。
その傍らでは白亜さんが静かに見守っている。
あの二人は今、戦力にならない。
ならば――
「隊長? やれますわね?」
視線を前へ戻す。
黒髪の少女は、なぜか動かない。
「当然だ。私を誰だと思っている?」
「声に力が入っていませんわよ?」
「……フッ」
軽く指摘するも、いつものような余裕のある応酬ではなかった。
状況を思えば当然の事。
それでもこの瞬間だけは、隊長らしくあってほしかった。
「鼓舞しろと言いたいのだろう?」
意図を見抜かれる。
「申し訳ないがさすがに無理だ」
わずかに口角が上がる。
それがせめてもの抵抗だと分かるほどに、その余裕は薄かった。
「それならば、隊長らしく隊員を見事に守ってくださいまし」
拳を握り直し、低く構え重心を落とす。
踏み込む寸前足元の砂がジャリと鳴った。
少女は動かない。
本来なら、こちらから仕掛ける必要はない。
だが――
先手を取られれば対応など不可能。
あの速度に後出しで追いつけるはずがない。
ならば、意識をこちらへ向けさせる。
―――死地に自ら足を踏み入れるようなものですわ。
湧き上がる恐怖を足で地面を踏み鳴らし押さえ込む。
その反動のまま少女へと飛び込んだ。
真正面から、拳を振り抜く。
彼女の手のひらが、ふわりとそれを受け止めようとする。
だが振り抜きを力任せに止め、そのまま体をひねり、回転。
背後へ回り込み足を振りぬく。
「ハァッ!」
遠心力を乗せた蹴りが、少女の膝裏へ叩き込まれる。
「!?」
確かに当たった。
だが手応えが、ない。
―――防ぐ必要すら、ないということですの……!?
理解が追いついた瞬間に力が抜けそうになる。
その隙を、見逃すほど少女は甘くはない。
彼女がこちらと同じように体を回す。
流れるような動きで、回し蹴りを放つ。
その軌道へ隊長の防壁が割り込む。
だが足先が触れたその一瞬で――それは砕け散った。
一拍の間もなく、崩壊する防壁。
振り抜かれる足先が、そのままこちらへと迫る。
わたくしの顔面へと。
魔力をすべて両腕へ集める。
防ぐ、それしかない。
次の瞬間、蹴りが叩き込まれた。
――メキメキ
「ぐ……うぅ!」
骨が砕かれる嫌な音が体の内側で響く。
それでも倒れない、執念で踏みとどまる。
間髪入れず、拳が叩き込まれた。
防壁が差し込まれるも、勢いをわずかに削ぐだけ。
一撃すら耐え難いそれが連続で襲う。
耐えられるはずがない。
力が抜ける。
両腕が、だらりと落ちた。
無防備になった体に拳が突き刺さる。
衝撃。
――終わりだと、理解した。
あぁ……。どうやらわたくしは、ここまでのようですわね。
どうか。
どうか誰か。
この絶望を止めてくださいまし。




