第五章 第一ノルマ――一万人
配信を始める前に、つみきは外部への通信も試していた。
検索はできる。配信サイトにも繋がる。だが、メールもメッセージアプリも送信できない。
外部のサーバーへ直接接続しようとしても、途中で弾かれた。
試しに、救援を求める文字と音声を配信へ乗せた。
公開側では、その部分だけが消えていた。
「……必要なところだけ通してる」
何度か方法を変えた。結果は同じだった。
助けを呼ぶための回線ではない。
通報を促す書き込みもあった。
すでに当局へ連絡したという者もいる。
――通報は、されている。
つみきは検索結果を開いた。
『現在確認できる映像だけでは、所有権者への強制介入は困難――』
そこまで読んで、閉じた。
九人は一か月の配信を開始した。
つみきのモニターには、配信画面とは別にいくつものウィンドウが開いていた。
サムネイル案。
タイトル候補。
切り抜き用の時間メモ。
流入元の数字。
一つ確認して、閉じる。
また別の画面を開く。
「……入口が弱い。中身だけじゃ足りない」
小さく呟き、次のサムネイルを作り直した。
せなは高難度アクションの配信を終えたあと、何度も登録者数を更新した。攻略そのものは安定している。けれど、本人はタイトルや告知で人を呼び込むことには驚くほど無頓着だった。
増えている。
けれど足りない。
別のタブには、ルールを書き出したメモが残っていた。
期限。
一万人。
脱落。
その最後の二文字だけを、何度見ても消せなかった。
「……意味分かんない」
数字では整理できないものだけが、画面の外に残っていた。
みことは配信アーカイブを無音で見返した。
笑う位置。
目線。
コメントを拾う間。
一度止めて、自分の表情を見る。
「……ここ、少し固い」
次の配信では、同じ場面で笑うタイミングを半拍だけ変えた。
りんは強気な態度を崩さない。配信では視聴者を煽り、勢いのまま大きなことを言ってしまうこともあった。
『今日も態度でかくて安心した』
『登録したから歌え』
『煽られに来た』
「登録したくらいで偉そうにすんな。……まあ、ありがとな」
『今ちょっとデレた?』
「デレてねえ!」
しかし配信を切ったあと、一人になると急に静かになる。
「……さっきの言い方、ちょっとやりすぎたか」
りんは椅子の背にもたれた。普段はほとんど意識しない細い竜尾が、その時だけ脚へきつく巻き付いていた。
「……別に、間違ったこと言ってねえし」
誰も聞いていない。
翌日、配信開始のランプが点く。
「よし。今日も来たな。逃げんなよ、お前ら」
昨日より少しだけ大きな声だった。
短い連絡時間に、りんはるるの歌枠を一度だけ見たことがあった。
「お前、もっと感情出して歌えよ」
「出してる」
「どこがだよ」
「全部」
「分っかりづれえんだよ!」
「りんは分かりやすすぎ」
互いの歌い方は正反対だった。だからこそ、自分にはないものを相手が持っていることも分かっていた。
だが「達成できなければ何が起きるか」という問いには、誰からも答えが返ってこない。
なな、セレネ、ゆい、いぶき、るるも、それぞれの得意分野で登録者を集め続けた。
セレネは配信開始直後こそ、コメントを読むだけで何度も言葉に詰まった。初見の視聴者へ自分から話題を振るのが苦手で、沈黙してから慌てて大声を出すこともある。
けれど一度空気に慣れると、セイレーン由来の広い音域を使った声真似や即興アフレコ、絶叫を次々と繰り出し、本来のにぎやかさが出てきた。
『音量注意つけて』
『今日も鼓膜終わった』
『その声どこから出してるの』
「初見さんいる!?一番うるさいところだけ見て帰らないでよ!?」
画面越しなら、知らない相手の言葉にも勢いで返せた。
一方つみきは、数字や機材のトラブルに対しては終始冷静だった。普段の話し方も落ち着いている。ただし想定外のエラーが出た時だけは例外だった。
「なんで今そこで落ちるの!?」
『今日一番声でかい』
『マイク割れたかと思った』
『普段静かなのにエラー相手だとキレるの好き』
「好きじゃない!こっちは本気で困ってるの!」
部屋の防音壁がなければ廊下まで聞こえそうな声だった。
004号室では、別の意味で部屋の様子が変わっていた。
配信開始からまだ日が浅いのに、床には資料、ケーブル、飲み物の空き容器、描きかけのラフ、クッションが広がっている。ベッドの上にも物が積まれ、椅子まで半分埋まっていた。
「……だいぶ仕上がってきた」
本人だけは満足そうだった。
カメラに映らない床まで含めれば、十人の中でもぶっちぎりで散らかっている。
以前なら、ひなたが真っ先に何か言っていただろう。
『いぶき、それ部屋じゃなくて巣だよ』
そんな声を思い出して、いぶきの手が一瞬だけ止まった。
髪に混じる葉が、淡い青へ沈む。
「……別に、寂しくない」
誰も聞いていない部屋で、無感情に聞こえる声が落ちた。
競争開始から数日後、短時間だけ参加者同士で連絡を取れる機会があった。
「ゆいー。数字伸びねえんだけど」
「それを私に言われても困るわよ。配信内容を見直したら?」
「見て。あたしの配信見て。どこを直せばいいか教えて」
「さっきまで『一人で余裕』って言ってなかった?」
「それはそれ。これはこれ」
ゆいは小さくため息をつきながらも、結局いくつか改善点を挙げた。
「やっぱゆい頼りになるわ」
他の相手にはまず見せない素直さだった。
ななが全員の顔を順番に見た。
「みんな、ちゃんと寝てる?」
「寝ない方が効率落ちるから寝てる」
「つみきは寝すぎじゃない?」
「必要睡眠時間!」
ゆいが、つみきへ少しだけ厳しい目を向ける。
「つみき、配信を切ったあとも編集してるでしょ。無理はしないの」
「分かってる。無理して効率落とす方が嫌だから」
「寝るの大事」
るるが眠そうに言うと、ゆいの表情がわずかに緩んだ。
「るるは、その点は心配してないわ」
「……そう」
「るるは食うのも大事だろ」
りんに言われても、るるは真顔で頷く。
「大事」
「……部屋も大事」
突然いぶきが付け加えた。
「いぶきはまず片づけよ?」
「完成してる」
一瞬だけ、以前と同じような空気が戻った。
しかし画面の隅には、それぞれの登録者数が表示されていた。
相互登録について尋ねられると、短い返答があった。
「それでノルマが達成できると思うなら、好きにするがいい」
つみきが確認を重ねた。
「再生数でも収益でもなく、登録者だけを見るの?」
「今回はな」
「……基準はそっちが決めるってこと」
返事はない。
別館――二週間目
配信区画で九人が数字を追っている頃、ひなただけは別館にいた。
七本あった黒い尾は、いつの間にか六本になっていた。残った尾も、毛先から少しずつ艶を失っている。九尾狐の尾は、魂の成熟とともに増える。
だから、減るということは本来あり得ない。数が減ることの意味を、ひなた自身がまだ理解できているのかは分からなかった。
最初の数日は、誰かが扉を開けるたびに顔を上げた。
「……せな?」
返事がなくても、何度か同じ名前を呼んだ。
やがて、その呼びかけは短くなった。
「……せ……」
さらに日が経つと、名前を口にすること自体が減っていった。
それでも、完全に何も残っていないわけではなかった。
床に指先が触れると、ひなたは無意識に線を引いた。
一本。
もう一本。
丸い形。
その横に小さな三角。
意味のある絵にはならない。
それでも、以前から人や風景を形にしていた手だけは、何かを描く動作を覚えているようだった。
黒服が近づくと、その指は止まる。
誰もいなくなると、また床をなぞり始める。
言葉は減っていく。
だが、名前と、描く動作だけが、しばらく残っていた。
* * *
長い一か月が過ぎた。
結果発表。
ひなたは既に最初の脱落者として競争から外れているため、第一ノルマの新たな未達者は二人だった。
せな。
りん。
せなのモニターに表示されていた登録者数は8,900。
一万人まで、あと1,100。
「……嘘でしょ」
声が震えていた。
せなは「8,900」の表示を閉じた。
すぐにまた開く。
数字は変わらない。
椅子の上で膝を抱え、額を押しつけた。
「……あと千百なのに」
計算すればするほど、間に合わなかった事実だけが残った。
005号室では、りんが壁を殴った。
歌枠を中心に最後まで粘った。眠る時間まで削った。
それでも一万人には届かなかった。
「ふざけんな……!あとちょっとだったんだよ……!」
もう一度壁を殴ろうとして、拳が止まった。
視線が扉へ向く。
表示灯は赤いままだった。
「……くそ」
さっきまでより、声が小さかった。
配信部屋のドアロックが解除された。
外へ出るためではない。
回収のために。
黒服が入ってくる。
せなが黒服へ声をかけた。
「……待って。ひなたに、会わせて」
返事はない。
せなとりんは、配信区画とは別の場所へ連れて行かれた。




