第三章 配信部屋
屋敷の奥にある配信区画へ連れて行かれた。
廊下は長く、窓がない。等間隔に扉が並び、それぞれに番号だけが付いている。
・001
・002
・003
・004
・…
「部屋は既に用意してある。別途必要なものがあれば手配する」
その言葉を聞いても、誰も安心しなかった。
扉を前に、全員がまず中を確認する。
001号室。
扉が開く。
デスクの上にはモニターが二枚。ゲーミングPC。ウェブカメラ。
コンデンサーマイク。ミキサー。壁にはLED照明と防音パネル。
小型冷蔵庫とベッドまである。
窓はない。
つみきは真っ先に機材へ目を向けた。
ロングヘアを背中へ払い、さっきまでの警戒した表情を切り替える。
機材を前にした瞬間だけ、仕事の顔になった。
「……」
PCの構成。カメラ。マイク。
配信機材。
つみきはファンの回転音にまで耳を澄ませた。ドワーフの血を引く彼女には、機械の微細な振動や音の違いが妙にはっきり聞こえる。
どれも安物ではない。
「……は?なにこれ。めちゃくちゃ金かかってんじゃん」
りんが呆れた横で、るるは別のものを見ていた。
「……冷蔵庫ある」
「そこ?」
「大事」
「いや、まあ大事だけどよ……」
つみきが機材から目を離さないまま口を挟む。
「触るなら雑に扱わないで。マイク結構するから」
「壊さねえよ」
「今ケーブル踏んでる」
「……」
りんは無言で足をどけた。
「ほら」
「うるせー」
そのまま次の部屋へ進んだ。
002。003。004。
大まかな設備は同じだが、壁や照明、机の配置が少しずつ違っている。
せなは002号室を覗く。
青を基調にした部屋。
みことは003号室を見て、眉を寄せた。
「……趣味が悪い」
コンクリート調の壁。無骨な部屋なのに、照明だけが妙に豪華だった。
「でも照明すごいね」
ななの声に、みことは眉を寄せたまま返す。
「高ければいいってものじゃないでしょ」
「そこは同意」
つみきが頷くと、みことも小さく頷き返した。
「でしょ?」
004。005。006。
りんは005を確認する。
一度、壁を強く叩いた。
傷一つつかない。
「……頑丈すぎだろ」
ななは006の中を覗き、しばらく固まった。
「……この部屋、ピンクだ」
一瞬だけ、ななの表情が明るくなる。
「こういう色、ちょっと好きかも。セレネは?こういう部屋好き?」
「え、わたし?……見る分には」
「住むのは?」
「毎日起きた瞬間に目が疲れそう」
「そこまで!?」
一瞬だけ、二人の間にいつもの調子が戻った。
怖がってはいる。それでも誰かに話しかける時だけは、普段の親しみやすさが戻った。
可愛らしい色合いだった。
だが、この場所ではその可愛らしさすら檻の装飾にしか見えない。
007、008、009。
つみきが、廊下の奥を一度だけ見た。
それから何も言わず、近くの扉へ向かった。
つみきは007へ入り、PCの電源ボタンへ指を伸ばした。
「……ねぇ。ネット環境は?配信できるってことは回線通ってるんでしょ」
「……つみき、こういう時だけちょっと楽しそうじゃない?」
「楽しんでない。確認してるだけ」
「目が機材の時だけ元気なんだけど」
「必要な確認でしょ!」
「ほら声でかい」
みことの視線が、一瞬止まった。
設備の確認が一通り終わる。
全員が再び廊下へ集まった。
そこで初めて、「どの部屋を誰が使うのか」という問題が残っていることに全員が気づいた。
オーナーが十人を見渡した。
「好きに決めろ」
廊下に沈黙が落ちた。
好きに決めろ。
つまり、割り当ては決められていない。
早く動いた者から選べる。
せなが最初に口を開いた。
「……じゃあ決めよう。揉めてても時間の無駄」
りんが並んだ扉を見回した。
「んで?誰がどこ取んの」
誰もすぐには動かなかった。
部屋ごとの差は大きくない。
それでも、どこを選ぶかという行為そのものが、この場所では何かを試されているように思えた。
「……あの」
一度口を開いたものの、セレネはそこで止まった。
全員の視線が集まったことに気づき、セレネは服の袖口を握る。
「……いや、その。ちなみに、なんだけどさ」
つみきが続きを促した。
「聞きたいことがあるなら普通に聞けばいいでしょ」
「それができたら苦労してないんだけど……」
「そこ自覚あるんだ!?」
思った以上に大きな声が、奥の見えない廊下へと響いた。
セレネの肩がびくっと跳ねる。
「……ごめん。今のは大きかった」
「うん。すごく大きかった……」
少しだけ間を置いて、セレネが廊下の先へ視線を向けた。
「部屋、途中で移ったりできるの?」
他の者たちも、その返答を待つ。
オーナーが答えた。
「脱落者が出たら、その部屋は空き部屋となる」
「脱落者」。
その言葉が廊下に残った。
りんが眉をひそめる。
「……脱落って、途中でいなくなるってことだろ」
ななの顔が強張った。
「脱落って……死んじゃうの……?ねぇ、死んじゃうの……?」
誰も答えない。
そこにも答えはなかった。
ひなたは、ななの顔を見ていた。
みことは、並んだ扉を見ていた。
みことが重い空気を断ち切った。
「……部屋、決めるわよ。今すぐ」
感傷に浸っている時間はない。
「つみき。あんた機材わかるんでしょ。どこがマシか見て」
「……正直に言う。スペックは全部同じ。部屋ごとに違いはない。差があるとすれば照明の色味と壁の素材くらい」
一度言葉を切り、廊下に並んだ扉を見た。
「たぶん、わざと揃えてる」
「わざと?」
「機材差を言い訳にできないように。同じような条件で数字だけ比べたいんじゃない?」
オーナーが口を挟んだ。
「その理解で構わない」
それを聞いて、誰もすぐには返事をしなかった。
「じゃあ、わたしが今まで悩んでた時間って……」
「だから最初からそう言ってるでしょ!見た目以外ほぼ同じ!」
また声が廊下に響いた。
「声でっか……」
「セレネが変なところで悩むからでしょ!」
「そんな大声で言わないでよ……みんなこっち見るじゃん……」
「……ごめん。つい」
「その『つい』が毎回大きいんだけど……」
つみきは全員を見る。
「配信映えを気にするなら照明は重要。でも視聴者に届くのは画面だから、中身は結局コンテンツ次第」
動画編集、音響、映像制作、配信画面の設計。
自分に使える手札を、つみきはもう頭の中で並べ始めていた。
それを聞いて、判断を先延ばしにする理由がなくなった。
最後に、オーナーが短く告げた。
「幸運を祈る」
それだけ残して、背を向けた。
黒服もその後を追う。
残された十人だけで、部屋を決めることになった。
「……行くよ」
せなが最初に002の扉を掴んだ。
その背中を追うように、ひなたが一歩だけ動く。
「……せな」
七本の尾の一本がせなの影へ伸びかけたが、重なるより先に、せなは002へ入った。
迷えば負ける。
そう言わんばかりに、そのまま扉の向こうへ消える。
「私も行く」
みことは003へ。
「私は007」
つみきはベッドも確認した。
「……ちゃんと寝られるなら助かる。私、長く寝ないと効率落ちるから」
「あたしは005」
部屋のベッドを一度だけ見て、りんは鼻を鳴らした。
「配信終わったら寝る。歌ならどうにでもなる」
強がりにも聞こえるが、歌うこと自体はりんにとって馴染んだものだった。普段の荒い口調からは想像しにくいほど、その歌声は細く繊細だった。
ゆいも迷わず続いた。
「私は008、いただくわ」
次々に扉が閉じていく。
残ったのは、なな、セレネ、ひなた、いぶき、るる。
「……なな、006にする」
涙を袖で拭いながら、006へ向かう。
「……じゃ、じゃあ、わたしは009……もらっとくね」
セレネが009号室へ入ると、残ったいぶきが004号室を指した。
「……じゃあ、私は004」
「いぶき、ちゃんと片づけて使うんだよ?」
「……片づいてる方が落ち着かない」
「えぇ……」
「床が見えてると不安になる」
「それ、たぶん逆だよ」
「……そう?」
声だけ聞けば本気で分かっていないようだった。
「あとその喋り方、感情なさすぎ」
「あるよ」
「葉っぱ、今ちょっと赤いよ?」
いぶきが一瞬だけ黙る。
青緑だった葉が、ほんの少し赤みを増した。
「……怒ってない」
「怒ってるじゃん」
いぶきは004へ入り、扉に手をかけた。
閉まる直前、ひなたが一歩だけそちらへ動く。
「……いぶき」
いぶきが振り返る。
ひなたは何か言いかけて、やめた。
一緒にいたい気持ちはあった。
いぶきとなら、こんな場所でも少しは笑える気がする。
けれど視線は、自然と廊下の先へ向いていた。
002。
せなが入った部屋。
檻の中でせなの影へ重ねていた尾の感覚が、まだ身体の奥に残っている。
いぶきはそんなひなたをしばらく見てから、何も言わず扉を閉めた。
閉じる寸前、いぶきの髪に混じる葉が、ほんの少しだけ青へ沈んだ。
ひなたは004の扉を見つめたあと、もう一度002へ視線を戻した。
三人が決まる。
残ったのは、ひなたとるる。
るるは迷わなかった。
淡い亜麻色から灰金へ溶ける髪を揺らし、廊下の端から端まで一度だけ視線を走らせる。
扉の位置だけではない。黒服の立ち位置まで見ていた。
「001」
そのまま001の扉を開ける。
るるは照明を少し落とした。
明るすぎるより、その方が目が楽だった。
ひなただけが廊下に残った。
扉を見る。
・001:るる
・002:せな
・003:みこと
・004:いぶき
・005:りん
・006:なな
・007:つみき
・008:ゆい
・009:セレネ
九室。
九人。
ぴったり埋まっている。
「……あれ?」
七本の黒い尾のうち一本だけが、ぴくりと持ち上がる。
もう一度、扉の番号を数える。
間違っていない。
ひなたの顔から血の気が引いた。
「……002、は……」
黒服が近づいてくる。
「002は御影せな様がすでにご入室でございます」
「え……じゃあ、せなと同室は……だめ?」
「個室となっております」
事務的な声だった。
ひなたの七本の尾が一斉に膨らむ。艶のある黒が、廊下の光を硬く返した。
九つの部屋に、九人。
最初から、ひなたのための部屋はなかった。
廊下の奥から、もう一人の黒服が現れる。
「七尾ひなた様。お部屋の割り振りについてご連絡です」
ひなたの体が跳ねた。
「空き部屋がございませんので、別室をご用意しております。こちらへどうぞ」
「……べ、別室って……なに……?」
他の九人の扉は、すでに閉まっている。
廊下に残っているのは、ひなただけだった。
「一人目は君か」
廊下の突き当たりに、オーナーが立っていた。
「一人目」。
その言葉を聞いた瞬間、ひなたは自分だけが何か別の扱いを受けることを理解した。
「あ……あの……」
黒服が廊下の奥を示す。
「こちらへ」
九人の配信部屋とは反対方向。
照明が暗くなっていく。
「ま、待って……ひなた、何かした……?何もしてないよ……?」
返事はなかった。
黒服に背中を押され、ひなたは別区画へ連れて行かれた。
配信部屋へ向かった九人とは、そこで完全に道が分かれた。




