神の手のひらの上
分からないことばかりだ。誰も彼も、神からすれば同じ人間でしかないはずだったのに、神は今、恐ろしいほどまでにエリザだけを見ている。
あれほどまで振り向かせたかった存在が、自分だけを見つめている。
「聖女、は……?」
混乱した頭で出てきたのは、先ほどまでずっと占めていた恋敵の存在だ。
「聖女……?」
こんな状況下で、脈絡もなく飛び出した名前に神はきょとりと首を傾げる。
カッとエリザは頭に血が上った。
「だって、だって!神の花嫁は聖女じゃなければならないのでしょう!私は聖女じゃないわ!!ずっとあなたを想い続けてきたのに、だから、私、そんな、急に、……わからないわ、どうしたらいいの?わた、私」
反論するように捲し立てながら、気がつけば涙が滲んだ。
迷子のような顔で、エリザは途方にくれるしかなかった。
そこで、ようやく神は少しだけ張り詰めた空気を緩めた。
「泣かないで、エリザ」
困ったように優しく囁く神に、幼い日の思い出がよみがえる。
壊れ物に触れるかのように、そっと指先でエリザの涙を拭う。
「君は、自分が聖女じゃないことを気にしていたの?」
こくりと頷く。
神は逡巡するように沈黙した。
「……君が聖女じゃなくて、困るのは僕じゃないよ」
「どういう意味ですの……?」
「聖女は人間でありながら、神に対抗する力を持つ存在だ」
「だから神にふさわしいのでしょう」
不貞腐れた顔で、エリザは反論する。
「ふさわしい?そういう見方も出来ないわけじゃない。人間は僕に対抗し得る手段が一つもないからね」
「私、あなたのおっしゃることが難しくてわかりませんわ」
「つまり、簡単に言えば、困るのは君自身だ、というだけのことだよ」
困るのは、エリザ自身。
神はエリザを見下ろして、笑う。
「現にほら、かわいそうに。手も足も出ないじゃないか」
そう言われて、エリザはようやく気がついた。
ここは何処なのか、何が起きているのか、全てがわからない。
エリザの全ては、目の前の神に全て委ねられていた。
「僕は一人で良かったのに。あの日からずっと、本当に、何度だって僕に恋をする君が、僕をずっと追い求めるから、僕は、もう君の愛なしでは生きられなくなってしまった。だけど、君の理を歪めたくなかった。だから干渉しすぎないよう、我慢をしていたのに」
エリザは、神の言っていることの半分も理解できない。
ただ、途方もなく深く長い年月をかけて熟成された彼の愛の重さに、怖気が滲む。
「どうして、よそ見をするんだ」
紛れもなく、嫉妬に塗れた顔で、神はエリザを押し倒した。
「よそ見、なんて……!」
不名誉な言われように、エリザは言い返そうとした。
けれど、つう、と白い指先が、エリザの唇をなぞり、封じ込める。
「いいや。どうしようもなく、君が、悪いよ。僕だって、自分がこんなにも狭量だとは思っていなかった」
覆い被さるように神はエリザを爛々と輝く瞳で見下ろした。神の怒りに呼応するように、辺りの家具が音を立てて崩れ落ちる。
「ああ、いくら君の願いとはいえ、聖女とダンスなんて踊っている場合じゃなかった」
心底後悔しているかのように、頭を掻きむしる。美しい黒髪が乱れ、前髪の隙間から裏目しそうな瞳が覗いた。
「君の父親の差金だ。聖女という人柱を立てて、君を僕から遠ざけようとして……逆効果だったね。爪が甘かったんだ」
ハハハッといつもの穏やかで、優しくて、陽気な笑顔を浮かべる。




