貴方じゃないなら、誰でも同じ
周囲の喧騒が別世界のことのように思えた。
エリザはぼんやりと壁の側に立ち、華やかに踊る人々の輪を見つめていた。
次第に、聖女に張り合うために着飾った姿が無駄に思えてきて、エリザは派手なアクセサリー類を外していった。周りの人たちはギョッとした顔でエリザを眺めていたが、エリザがひと睨みすればすぐにわざとらしく慌てて視線をそらした。後ろに控えている給事の者たちに適当に与えていくうちに、エリザを飾り立てるのはドレスと、たったひとつの髪飾りのみとなった。
エリザの特別な、あの日の髪飾り。
今のエリザには、流行遅れで少しだけ幼いデザインかもしれない。
けれど、本当に大切な時には必ず身につけていく。お守りのような物だった。
そっと髪飾りを外して、エリザはそれを両手できゅっと握りしめた。
あの日、私に声をかけてきたのは、あなたの方なのに。
エリザだけがいつまでも、あの日に囚われている。
神の気まぐれな優しさに、あの日の美しさに。
思い出は色褪せない。
それどころか、日が経つにつれて、過去は美化されていく。
まだ、音楽は続いている。
エリザは不自然なほどホールの中心から視線をそらし、物思いにふけった。
「随分とつまらなそうな顔をして、折角の美人が台無しだ」
唐突に落とされた声に、エリザはのろのろと顔を上げた。
見覚えのない褐色の肌の若い男性が、悪戯っぽく笑ってエリザを見下ろしていた。
ブロンドの長髪に、黒い瞳が星空のように煌めいて、蠱惑的にエリザを見つめている。
「こんな美しい人を放っておくなんて、この国の男たちはどうかしているな」
「軟派な男に用はないわ」
「へえ、手厳しい」
異国風の男は、おどけたように肩をすくめ、ニッと笑う。
「美しい人。どうか、私にあなたと踊る幸運をいただけませんか?」
歯の浮くような台詞。
エリザの心は石のように固く、男の容姿、声、態度、全てに対して何の感情も抱くことはなかった。
ただ、一つ。愚かな変わり者だ、とだけ。
だって、はしたなくも神に恋焦がれ続けるエリザに、周囲の者たちはいつも呆れていた。
恥も外聞も無く、自ら神にアピールをするエリザを、哀れなものを見る目で見ていた。
それでいて癇癪持ちで高飛車なエリザを、気狂い女のように遠巻きにしていた。
腫れ物のようなエリザに、誰も、
「お手をどうぞ」
目の前に伸ばされた、たくましい腕をエリザはじっと見つめた。
顎を引いて、男の顔を見れば、男は首を傾げて微笑む。
男は充分美しい顔をしていた。
愚かにも神に手を伸ばすから、目を焼かれてしまうのだ。
わざわざ自分から惨めになりにいくなんて、愚かな選択ばかりをしているエリザに、救いのように差し伸べられた手。
けれどエリザの心はちっとも動かなかった。
「別に難しく考えなくてもいい、いい気分転換と思えば、さ?」
男はこめかみを指先で掻いて、辛抱強く待ちながら、気障ったらしくウインクをして囁いた。
その時、ホールの中心でワッと一際大きな歓声が上がった。
反射的に人々の視線を集める方向を見れば、不慣れなダンスでつまずいて転びかけた聖女を、支える神の姿がエリザの目に飛び込んできた。
エリザは思わず息を止める。先ほどまでひとつも動かなかったエリザの心が軋み、ぐつぐつと煮えたぎり、吐き気がした。
男はちらりとエリザの視線を追って、少し面白そうに目を細めた。
「────君は、惨めな女なんかじゃないだろ?」
ハッとしてエリザは男を見上げた。
見透かすような黒い瞳が、夜空のようにきらめいて、エリザの心を覗き込む。
どくどくと心臓が痛いほど鳴っている、聖女への怒りか、それとも図星を指されたことへの屈辱か。
「ホールの中心に行かなくたって、ここで踊ればいい。さあ、君の美しさを皆に見せて、見返そう」
的確なほどに、エリザの心を掴もうとしてくる言葉。
高貴な繋がりを目当てに果敢にも近づいてくる者に対しては、こっぴどく振るのがいつものエリザだ。
いや、そもそもダンスを申し込まれること自体がめずらしいことだ。
いつだってエリザは神のことしか見ていない。
でも、それはエリザだけだ。
神の目に今映っているのは、エリザではない。
「……いいわ」
エリザの心は、酷く消耗していた。
だから、そっとその手を取った。
けれど、
────その瞬間、ぞくりとエリザの背筋に寒気が走った。
「どうした?」
優男が身をかがめてエリザをうかがう。
エリザはハッとして首を振った。
「いいえ、何でもないわ。それより、あなたに付き合うのはこの曲が終わるまでよ」
「この曲だけ?もう終盤じゃないか」
情けない顔で、男は手厳しいと嘆いた。
エリザの周りにいたものたちは、少し驚いた様子ではあったが、所詮衆目を集めているのは聖女たちの方だ。
ホールの端で控えめに踊る、こちらなど比べ物にはならない。
エリザはもう、見たくなかったのだ。あの二人の姿を。




