娘4
『向井恭一さんが亡くなられました』
突然の訃報は警察からだった。
あの家であの男は死んだ。母が死に、私が出て行き、一人になった。
そこからあの男の生活は廃れていった。浴びるように酒を飲み続け、飲んでも飲んでも満たされない身体はボロボロになり、最後は母と同じようにリビングで突っ伏して死んでいたそうだ。
なんと無様な死だ。思わず父の死体を見て笑みを浮かべた私を周囲は奇異なものを見るような目を向けたが気にもならなかった。所詮外側しか知らないお前らに私の気持ちなど分かるはずもない。
両親を亡くした私に気を遣ってか親戚連中が勝手に動き葬儀等一通りの処理を勝手に済ませた。
「大丈夫よ」
「しっかりね」
周りは私が悲しみに打ちひしがれて無気力になっていると勝手に勘違いし優しい言葉をかけてきたが、全て余計なお世話だった。
あんな男に葬儀なんて仰々しいものなど必要ないのに。私は父だったものの欠片が詰まった骨壺を抱えさせられ、吐き気を抑えるのに必死だった。
そして、あの男の遺骨を前にして私は一気に血の気が引いていった。
【恭一さん、もう疲れました。どうかあなたは地獄へ落ちてください。私とは違うあの世へ行って無限に苦しんでください。あなたが私達に与えた苦痛を存分に知って下さい】
決して忘れていたわけではない。だがあの男の死に安心と悦びを感じてすっかり気が抜けてしまっていた。
駄目だ駄目だ駄目だ。このままでは駄目だ。
これではあの男が天国に行ってしまう。母がようやく手に入れたであろう安らぎの場を、あいつに穢されてしまう。
焦った私は四十九日を迎える前にまず母の魂抜きを行った。魂の行き場所は住職に任せた。とにかくどこか遠く、私も知らないようなどこか安全な場所に移してくれればそれでいい。そして早急に業者に依頼し、仏壇と実家の処分を行った。
携帯には知らない番号から鬼のように電話がかかってきた。留守電を聞くと親族達で、皆一様に怒りと呆れと困惑を綯交ぜにした喚き声をあげていた。彼らからすれば、父の魂が入るべき場所をなぜ娘である私が一掃しようとしているのか理解できないようだった。
ーー腐らせればいいんだ。
どうしたらよいか分からず持ち帰っていた父の遺骨を前に、ふいに天啓が降りてきた。それらはもしかすると全て母からの導きだったのかもしれない。
導かれるように私は遺骨をさらに細かく砕いてすり潰した。そこからは答えあわせをするかのように中古の仏壇を買い、花と果物と水を用意し、向井恭一と殴り書いた位牌に見立てた段ボールの破片を適当に立てかけ、クローゼットの奥へと押し込んだ。
お前が今まで積み上げたものなどもうどこにもない。
お前が私達を縛り付けたあの家ももうない。
ここがお前の家だ。
水も花も果物も、誰も替えてくれない。
もちろんお前に誰も手など合わせないはしない。
お前は供え物と同じく、放置され腐敗していくのだ。
お前が重んじた規則など全て無視してやる。
当たり前のようにあの世に渡れると思うな。
お前を母と同じ安息の地へは行かせない。
*
代償。
夢から覚めるといつも通り汗だくで、身体は日に日に鉛のように重くなっていった。
「大丈夫だよ。皆大丈夫だから」
仏壇の腐敗と共に、あれが現れた。
全身真っ白の裸の男。毛髪は一切なく、産まれた赤子のようにつるつるの肌が暗闇でてらてらと光っていた。
「皆一緒だから、大丈夫だよ」
大丈夫と繰り返しながら徐々に男は夢の中でこちらに近付いてきた。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
そう、大丈夫。すべて順調だ。
私の不調は、あの男を地獄に堕とす手順が順調に進んでいる証だ。
その代償に私も連れて行かれるのなら、それぐらいは覚悟している。こんな罰当たりな儀式を行ってただで済むとは思っていない。
ーーいいさ。連れていけ。
もうお前に縛られるだけの私じゃない。
腐り果てたお前など怖くはない。
「大丈夫だよ母さん。生きてる間だけが全てじゃないもんね」
どこに眠っているかも分からない母を想いながら、私は心の中で穏やかに掌を合わせた。




