住職3
「向井美希という女性を御存じですよね?」
刑事と名乗る男が急に寺を訪れた。職業柄同じく人の死に関わる警察とは縁があり、供養や慰霊法要等を依頼されることがある。今回もその手の類のものかと思ったが、あの女の名前を聞かされた瞬間思わず表情が歪んだ。縁などとうに切れたと思っていたのに皮肉なものだ。
知っていると答えると、亡くなられましたと告げられた。
あの不届きな女が死んだ。あれから一年、罰当たりが当然の結末だ。やるべきことをしないからこんなことになる。そう思ったが刑事の次の言葉で雲行きが怪しくなった。
「住職であれば見解などお聞きできるかと思うのですが、実は見ていただきたいものがありまして」
「一体何を?」
「できれば実物を見ていただけるとありがたいのですが、御足労願えますか?」
本音は嫌だった。あの女に関わりたくない。死は決して終わりではない。死から始まる縁も存在する。彼女の死が何かしらの縁を繋げようとしている。その縁に巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。そう思ったが、刑事から彼女の死を聞かされた時点で、いや、そもそもあの女の親と繋がった時点でとっくに俺も巻き込まれている。
「……わかりました」
刑事に連れられ、彼女が一人で暮らしていたというアパートを訪れた。入った瞬間むわっとした熱気と臭気が鼻腔をつき、鼻を塞いだ。
人が死に腐った臭いだ。既に死体は運ばれた後だが、まだ現場確認もあるため完全に清掃が終わっていない部屋はいまだ死の臭いに満たされていた。
しかしそんな事はどうでもいい。死には慣れている。問題は刑事が気にする彼女の死より気がかりなものについてだ。
嫌な予感しかしない。
魂を抜き、法事もせず実家を潰し、一人でこの部屋に移り一体何をしていたのか。
「ここです」
開けますねと一言断ってから刑事がクローゼットを開いた。その瞬間、死臭とは違う悪臭が密閉された空間から解放された。
中には少ない衣類や棚などが入っているが、完全にスペースを持てあましており空間には余裕があった。
「あれなんですが」
刑事がクローゼットの隅を懐中電灯で照らした。見ると何やら箱のようなものが奥に追いやられたように置かれていた。それが仏壇と骨壺だと気付いた瞬間、この場所を訪れたことを心底後悔した。
どこまで罰当たりな女なんだ。
間違いない。やはりあの女は狂ってる。
見えにくいが、壁の方に向けられた仏壇の前に腐りきった果物と花と水が見えた。そしてその横に置かれた骨壺。あの女が、向井美希が何をしたかったのかがようやく分かった。
腐り仏、もしくは鎖仏。
それは仏が説いた救いに糞便を塗りたくるような最悪の行為の一つ。死者を仏壇に閉じ込め、供養とは真逆の行為をあえて行ういわば呪術だ。供え物を腐敗させ、手を合わせることもなくひたすら放置する。四十九日の間、あの世に渡る前の彷徨う魂がこんな扱いを受ければどうなるか。穢された魂は天から忌み嫌われる代わりに別の世界が涎を垂らし求め手を伸ばしてくる。
地獄。向井恭一の魂はもうとっくに地の底へ堕ちているだろう。そして、地獄を招いた彼女自身も。
そうまでして父を地獄に落としたかったのか。自らを犠牲にしてでも。
“ありがとうございます”
唯一穏やかだった瞬間の彼女の顔を思い出す。
先に亡くなった母親の魂抜きを行った時だ。俺は結局言われた通り、彼女の母の御霊を別の場所に移した。あの時その意図が全く俺には分からなかったが、おそらく地獄へ堕とした父と絶対に関わらない世界に母を遠ざけたかったのだろう。
ーー何がありがとうだ。
馬鹿女が。
思わず漏れた乾いた笑いに刑事がぎょっとした顔でこちらを見た。
狂っているだけならいい。その上で馬鹿で愚かとはどこまでも救いようのない女だ。
腐り仏なんて今時こちらの世界の人間でも知っている者は少ない。ただの一般人であるあの女が正しい手順や手法を知っているわけがない。
誰がどうやって伝えた?
だが問題はもはやそれだけではない。。
大間違いだ。彼女の手順は間違っている。
まぐれか直観か、はたまた恨みの深さが成せる業だったのか、大枠でやるべきことは押さえている。それがまた質が悪い。
本来は恨みの対象だけを地獄に堕とす術だ。だが今、腐敗と浸食の進んだ仏壇を媒介に完全に地獄と繋がり、全てを引き摺り込もうとしている。
「あまり刑事がオカルトを信じるのもどうかと思うんですが、最近変な夢を見るんですよ」
仏壇を照らしていた刑事が笑いながら話しかけてきた。
「全裸で髪も眉毛もない全身つるつるの真っ白な男が出てくるんですよ。軟体動物みたいにぐねぐねうねうねしながらこっちに近付いてきて気持ち悪いのなんの。ちょうど、この仏壇見つけてから何ですよね。住職、これ何なんですか?」
へらへら笑う刑事の男の言葉が右から左へと抜けていく。
ーー罰が当たったか。
今更自分の行いを後悔した。
もっとまともに住職をやっていれば、もっとちゃんとあの女を止めていれば。
もう全て、手遅れだ。
あの女が守ろうとした母親も、俺達も、皆まとめて地獄行きだ。




