8話 老執事ジェラルの憂い
ミリルお嬢様が退席してしまわれた。
執事は静かに扉を見つめ、小さく息を吐く。
レシリア公爵家に仕えて、およそ四十年。
旦那様が産まれる前からこの屋敷を見守ってきた。
この方は昔から肝心な言葉が足りないのだ。
(これには奥様がどれほど苦労していたか…)
「ジェラル。この後、私は出かける必要がある。レオルド副団長に、今日から娘の稽古をつけるよう伝えてくれ」
「承知しました」
後継者である嫡男ならまだしも、令嬢の稽古相手にレシリア公爵家の副騎士団長を抜擢するなど前代未聞である。
「ふふっ…本当にミリルお嬢様が大切なのですね」
そう口にすると、旦那様は露骨に眉を寄せた。
「それにしてもお嬢様は変わられましたね」
ミリルお嬢様は、公爵夫人が亡くなられてから、あまり感情を表に出されなくなった。
まるで“完璧な令嬢”を演じることで、自分を守っているようだった。
幼い頃は、よく庭を駆け回っていたものだ。
旦那様の後ろを追いかけ、転んでは泣き、泣いてはまた笑っていた。
そんなお嬢様が最近は自ら望みを口にされるようになった。
『他人を、まもれる人間になりたいのです』
あの言葉を聞いた時、その成長に胸が熱くなった。
きっと旦那様も、同じだったのだろう。
「あぁ……変わったな」
旦那様は小さく呟き、僅かに目を細める。
その表情は、どこまでも優しかった。
(そのお顔を、お嬢様にも見せて差し上げればよいものを……)
この不器用さもまた、旦那様らしさではある。
だが厄介なのは。
ミリルお嬢様を誰より大切にしていることに、旦那様ご自身が気づいておられないところだ。
「旦那様も、少しは変わられてみてはいかがですか」
執事としては、随分と無礼な言葉である。
だがジェラルは、ただ仕えるだけではなく、幼い頃からこの方を見守ってきた。
ウォルダリア公爵にとっては、父親のような存在だといっても過言ではない。
「……そうだな」
小さな声で公爵は呟いた。
その横顔はただ一人の、不器用な父親のものだった。




