9話 魔術訓練-初級魔法-①
ミリルは自室のソファに沈み込み、クッションを抱えたまま項垂れていた。
「なんで私、あんなこと言ってしまったの……」
せっかく剣術の教師をつける話までは順調だったのに。
『私が死んでも何とも思いませんか?』
最後の最後で感情に飲まれ、余計な言葉を口にしてしまった自分が情けない。
頭の中で何度も父の表情が蘇る。
思い出すたび、胸の奥がじくりと痛んだ。
その時。
カーン、カーン――。
壁掛け時計が重たい音を鳴らした。
「……え?」
ミリルは反射的に時計を見る。
「もう十時!?」
落ち込んでいる場合ではなかった。
彼女は慌てて立ち上がると、ドレスを脱ぎ捨て、動きやすい服へ着替える。髪も適当に一つへまとめた。
鏡を見る余裕すらない。
「はぁ、はぁ……っ」
急ぎながら、ミリルは念じる。
“魔法塔へ”
次の瞬間。
視界がふっと歪み、足元の感覚が消えた。
「……え?」
目を開けたミリルの前には、一面の大草原が広がっていた。
遠くには山々が連なり、風が草を揺らして波のような音を立てている。
空はどこまでも青かった。
「ここ……どこ……?」
魔法塔へ行くはずではなかったのだろうか。
困惑して周囲を見回した、その時。
「待たせるなんて、いいご身分だな」
低い声が背後から降ってきた。
「っ!」
振り返ると、そこには黒髪の青年が立っていた。
夜を切り取ったような黒髪。
冷たく鋭い瞳。
クロノスだった。
「クロノス様。大変申し訳ございません……!」
ミリルは慌てて頭を下げる。
クロノスはミリルを上から下まで眺め、露骨に眉をひそめた。
急いで準備したせいで、服は前後逆。髪も崩れかけている。
「あ……」
自分でも今さら気づき、顔が熱くなる。
その瞬間、ふわりと黒い魔力が身体を包み込んだ。
乱れていた服が直り、髪も綺麗に整っていく。
「ありがとうございます……」
便利すぎる魔法に感動しつつ、ミリルは小さく頭を下げた。
「今日は何をするのでしょうか?」
「初級消滅魔法の練習」
「消滅魔法……」
クロノスは気だるげに近くの草を指差した。
「一本だけを消す練習をしろ」
「一本……?」
「見本を見せてやる」
クロノスは草を見ることすらせず、淡々と唱えた。
「《ヒューム》」
次の瞬間。
指先を向けた一本の草だけが、音もなく消えた。
燃えたわけでも、切れたわけでもない。
まるで最初から存在しなかったかのように、綺麗に消滅している。
(すごい……)
感動すると同時に、ミリルは気づく。
(この魔法の色…クロノス様はやはり闇属性なんだわ)
以前ユリスが「相性がいい」と言っていた意味を、ようやく理解した。
「やってみろ」
「はい……!」
ミリルは草へ向き直る。
集中し、魔力を練り上げた。
「《ヒューム》!」
淡い黄金色の粒子がキラキラと舞い上がる。
瞬間。
ズバァッ――!!
一角の草原が、まとめて綺麗さっぱり消え去った。
「…………え?」
ぽっかりと抉れた地面。
「これは……ひどいわね…」
ミリルは自分に引いていた。
これまで様々な魔法を見てきた。
高威力の攻撃魔法でさえ、ここまで広範囲を一瞬で消滅させるものなど聞いたことがない。
もし悪用されたら。
そんな想像をしただけで背筋が寒くなる。
歴代の闇属性が魔力暴走で命を落としていたことは、世界にとって救いだったのではないか。
そこまで考えてしまうほどだった。
すると。
背後から、くすくすと笑い声が聞こえる。
「さすが闇魔法の聖女様」
完全に馬鹿にしている声音だった。
「草一本消すだけの魔法で草原削った感想は?」
妙に腹が立つ言い方だが、教わる立場である以上、反論はできない。
「鍛錬します……」
クロノスは面倒臭そうに欠伸をした。
「俺は寝るから」
「え?」
「やっておけ」
「ちょっと待っ――」
言い終わる前に、クロノスは木陰へ瞬間移動し、そのまま芝生へ寝転がってしまった。
(もう少し教えてくれてもいいのに……!)
不満を抱えながらも、ミリルは再び草へ向き直る。
「今度こそ……!」
先ほどより、ずっと慎重に魔力を抑える。
草一本だけを意識して。
「《ヒューム》」
バシュン!!
しかし、また周囲の草まで巻き込んで消えた。
「もう一回……!」
何度やっても失敗する。
魔力が強すぎる。
抑えようとしても、溢れてしまうのだ。
ミリルは一度深呼吸した。
(待って……)
魔力が開花した時、フローティアを使った。
あの時は、一冊の本だけを浮かせられたはずだ。
クロノスは指先へ魔力を集中させていた。
同じように。
ミリルは草へ指を向ける。
あの時と同じように魔力の流れを意識しながら、糸のように細く、ほんの少しだけ指先へ集めた。
「《ヒューム》」
すると。
指先の草だけが、ふっと消えた。
「やった……!」
一本だけ。
今度は確かに成功している。
「できた……! できたわ!!」
嬉しくなったミリルは、思わずクロノスの方を振り返る。
しかし当の本人は、芝生の上で気持ちよさそうに眠っていた。
(……まだ時間はあるわよね?)
ミリルは実はかなり負けず嫌いだった。
どうせなら、あの余裕そうな顔を驚かせてやりたい。
そう考えたミリルは、自主練を始めた。
魔法の発動には通常、詠唱が必要となる。
言霊の力を借りることで、魔法は安定して発動するのだ。
だが無詠唱は違う。
呪文という補助なしで、魔力の流れを完全に再現しなければならない。
つまり身体に叩き込むしかないのだ。
ミリルは何度も《ヒューム》を繰り返した。
発動。
失敗。
発動。
失敗。
それでも止めない。
莫大な魔力を持つ彼女だからこそできる、力任せの反復練習だった。
やがて。
詠唱と同時に魔法が発動するまでの時間が、ほとんど消え失せる。
(今なら……!)
ミリルは詠唱をやめた。
《ヒューム》
だが発動しない。
光の粒子だけが、指先で虚しく弾けた。
(…呪文じゃなくてもいい?)
呪文は魔法を形にするための補助。
ならば。
自分が最もすぐにイメージしやすい“意味”を直接ぶつければいい。
ミリルは草へ指を向ける。
そして心の中で、静かに呟いた。
“消滅”
次の瞬間。
草が音もなく消えた。
「できた……」
成功した高揚感に胸が熱くなる。
ミリルは勢いよくクロノスの元へ駆け寄った。
「クロノス様! 起きてください!」
だがクロノスは起きない。
起きている時の威圧感が嘘のように、穏やかな寝顔だった。
(この人……やっぱりどこかで会ったことあるのかしら……)
クロノスを見ると、不思議と懐かしい気持ちになる。
気づけばミリルの手は、そっと彼の頭へ伸びていた。
「おい」
ぱちり、と目が開く。
「申し訳ございませんっ!」
ミリルは飛び上がる。
「起こそうと思って……それで……!」
撫でようとしていたことが恥ずかしくなり、顔が熱を持った。
誤魔化すように、ミリルは慌てて尋ねる。
「私たち、昔どこかでお会いしたことはありませんか?」
「ない」
即答だった。
その返事で、クロノスは塔の外へ出られないとユリスが言っていたことを思い出す。
「……そうですよね」
なぜだか少しだけ寂しい。
「ただ」
クロノスが、にやりと口角を上げた。
「クロって呼び方はしてもいい」
「い、いえ! 呼び捨てですら失礼なのに、殿方を相手に愛称で呼ぶことなんてできません…!」
「殿方、ね……」
クロノスは少し嬉しそうだった。
「で、教えた魔法はどうなった?」
「できました!見ていてくださいね!」
ミリルは得意げに笑う。
今度こそ驚かせてやる。
そう思いながら
草を指差し、
"消滅"と心の中で唱えた
その瞬間
ぐらり、と視界が揺れた。
「……え?」
急激な倦怠感が身体を襲う。
力が一気に抜け落ちていく感覚。
足に力が入らない。
倒れ込む寸前、クロノスがものすごく焦ったように駆け寄ってくる姿が見えた。
(この人は……)
ぶっきらぼうで。
意地悪で。
高圧的で。
けれど。
優しい人なのかもしれない。
そう思いながら、ミリルの意識は途絶えた。
はじめまして名日田です。
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