17話 婚約破談と事件の幕引き
それから五ヶ月。
ミリルは魔力操作に慣れ、常時微弱な身体強化魔法を全身へ巡らせられるまでになっていた。
認識阻害や精神干渉など、闇属性と相性の良い魔法も一通り習得していた。
剣術では、超高速モモンガことキュー師匠の捕獲にも成功し、今はレオルド相手に実戦形式の訓練を行っていた。
あの毒事件以降、大きな問題は起きていない。
不気味なほど平穏な日々だった。
そんなある日の朝。
いつものように朝食を取っていると、ウォルダリアが静かに口を開いた。
「ミリル。シアン殿下との婚約の話だが、白紙になった」
「へ……?」
驚きのあまり、変な声が漏れる。
ウォルダリアが怪訝そうに眉を寄せた。
「……嫌だったか?」
「いえ、良かったです」
思わず口元が緩みそうになるのを、慌てて押し殺す。
「でも、どうして急に……?」
王家からの婚約話だ。
公爵家とはいえ、簡単に断れるものではない。
「あの毒の件を説明して、縁談の辞退をお願いした。陛下も納得されたよ」
「そんな簡単に……?」
あまりにもあっさりした返答に、ミリルは拍子抜けする。
「あぁ」
短い返事。
しかし、隣に控えるジェラルだけは知っていた。
婚約を白紙にするため、ウォルダリアが裏で何をし、国王と何を話したのかを。
数日前。
王城の謁見の間。
ウォルダリアは玉座の前へ進み出た。
その後ろには、執事ジェラルが静かに控えている。
「グランディア国王陛下。お久しぶりです」
片膝をつき、恭しく頭を下げる。
「なんだよ、かしこまって。立てよウォル。久しぶりだな」
グランディアとウォルダリアは幼馴染だ。
もっとも、親しい関係ではない。
長く腐れ縁が続いているだけである。
立ち上がったウォルダリアは、早速本題へ入った。
「先日、シアン殿下が私の不在時に我が家を訪問されました。その際、殿下付きの侍女が、亡き妻の形見であるティーカップを破損しました」
「あぁ……その件は聞いてる。悪かったな」
「それだけではありません」
ウォルダリアの声は淡々としていた。
「側近が侍女の挙動を不審に思い、ティーカップや食器を調べたところ、毒味用のカップにのみ、シソシリアの猛毒が仕込まれておりました」
「っ……!」
グランディアの表情が強張る。
「侍女は殿下の許可を得て預かりました。干渉魔法で尋問した結果、“毒を飲めば奴隷身分から解放する”と約束されていたそうです」
「つまり……」
「殿下を狙った犯行ではありません。我が家を陥れるための計画です」
重い沈黙が落ちた。
「……その侍女の雇い主は?」
「ボストン公爵家です。当日、同行させるよう指示したのも公爵家次男とのことでした」
「証拠は、あるのか?」
「奴隷として連れ回されていた頃、侍女は荷馬車に木の葉の紋章を見たと証言しています」
ウォルダリアは一枚の紙を差し出した。
そこに描かれていたのは、ボストン公爵家の家紋。
「これと同じか確認したところ、間違いないと」
グランディアは目を細めた。
「ボストン公爵家が裏で人身売買をしている件、お耳に入っておりますか?」
ウォルダリアは尋ねた。
「いや……知らないな」
返答は妙に早い。
「侍女一人の証言だけでは弱い。お前がボストン公爵家を陥れようとしている可能性もある」
嫌な笑みを浮かべるグランディア。
対してウォルダリアは、無表情のまま続ける。
「そこで少し調べておりましたところ、ボストン公爵家の従者が聖女を誘拐しようとしている現場を、我が家の騎士が“偶然”目撃しまして」
「なに……!!?」
流石のグランディアも声を荒げた。
「無論、聖女は保護しております」
ウォルダリアは一通の封書を差し出す。
「そして、この件が“なぜか”聖女信仰の強いシェリエル国へ伝わったようでして。隣国の国王陛下から書状を預かっております」
グランディアが封を切る。
読み進めるにつれ、その顔色が変わっていった。
『ボストン公爵家の爵位返上及び、正式な処罰を要求する』
シェリエル国。
聖女を神聖視し、聖女が生まれる土地である我がアステリオ国に多額の支援金を送り続けている大国だ。
その支援だけで、この国の予算収入の三分の一を占めている。
敵に回すことなどできない。
グランディアは深く頭を抱えた。
「陛下はご存知なかったようですので」
ウォルダリアが静かに微笑む。
「“たまたま”手に入れた人身売買の記録も、お渡ししておきますね」
「…………」
数秒の沈黙。
そして。
グランディアはため息をついた。
「お前たち!! ボストン公爵家の者を直ちに拘束しろ!!」
グランディアの声が響き渡る。
騎士たちが一斉に動き出した。
それを見届けたウォルダリアは、再び口を開く。
「さて。今回の件ですが」
「……まだあるのか」
グランディアが露骨に顔をしかめた。
「ミリルとシアン殿下の婚約話が進んだが故に、仕組まれたものと考えております」
「あぁ…悪かったよ」
軽い謝罪だった。
ウォルダリアの目が僅かに冷える。
「娘は元より病弱です。母の形見を壊され、さらには毒殺未遂の噂まで耳にした」
静かな声だった。
「心を病み、今では塞ぎ込んでいます。身の危険を感じている限り、回復は見込めないでしょう」
「……何が言いたい」
「シアン殿下と娘の縁談を辞退します」
空気が凍る。
「それは断じて認めん!」
グランディアの声と共に、謁見の間が重く軋んだ。
しかし。
ウォルダリアは気にも留めない。
「調査の過程で、陛下とボストン公爵家の繋がりも把握しております」
「……」
脅迫にも取れる言葉だ。
「俺を脅すのか?」
「いいえ」
「ただ、私たちに何かあれば……情報がシェリエル国へ渡るよう手配してあるだけです」
ウォルダリアが静かに微笑む。
目は一切笑っていない。
「陛下が過去に犯した“大きな罪”についても」
その一言に、空気が鋭く張り詰める。
グランディアは小さく息を吐いた。
「……分かったよ」
軽く肩を竦める。
「その代わり、病弱なお嬢様本人の意見も聞きたい。俺が会いに行くくらい、いいだろ?」
その瞬間。
ウォルダリアの瞳から温度が消えた。
「陛下」
低い声。
「私との約束を、お忘れですか?」
「……ん? なんの話だ?」
とぼけた口調。
だが、その瞬間。
ウォルダリアの膨大な魔力と殺気が、謁見の間を満たした。
その場に残っていた騎士たちが次々と膝をつく。
「っ……!」
普通の人間であれば、息すら苦しい状況だ。
それでも玉座のグランディアは動かなかった。
ウォルダリアが睨み据える。
「貴様が妻にしたことを、忘れたとは言わせんぞ」
グランディアが息を呑む。
ほんの一瞬だけ。
その顔から、薄ら笑いが消えた。
「……ごめんごめん。冗談だって」
いつもの軽薄な笑みに戻る。
「ちゃんと覚えてるよ。反省もしてる」
その態度に、ウォルダリアは僅かに眉を歪めた。
「……では、婚約は白紙ということで、失礼致します」
浅く一礼し、踵を返す。
ジェラルも静かに続いた。
扉が閉まる。
静寂。
誰もいなくなった謁見の間で、グランディアは玉座に深く身体を預けた。
「………本当に、反省してるんだよ…」
その呟きは、どこまでも空虚だった。
玉座に座る男の瞳には、底の見えない闇だけが映っていた。
そして現在。
「……毒を仕込んだボストン公爵家はどうなったのですか?」
ミリルが尋ねた。
「一家全員が投獄された。爵位は返上され、公爵は監獄の中で毒を飲み自死したと報告を受けている。母子は国外追放にでもなるのだろうな」
ウォルダリアは淡々と答える。
「今回の件、陛下は“知らなかった”らしい。公爵が独断で動いたのか、あるいは誰かの指示だったのか……死んでしまった以上、もう分からん」
ウォルダリアが冷たく笑った。
あまりにも都合の良い幕引きだと、ミリルは感じた。
「そうなのですね……」
ミリルは国王が黒幕ではなかったことに安堵しつつも、公爵は口封じのために殺されたのではないかと考えていた。
「…お手柄だったな」
ウォルダリアがぽつりと呟く。
「え?」
意外な言葉に、ミリルは思わず聞き返した。
「お前が毒に気づき計画を阻止したおかげで、我が家は助かった。よくやったな」
「ありがとうございます……」
思いがけず褒められ、ミリルは気恥ずかしそうに視線を逸らす。
対するウォルダリアも、どこか落ち着かなさそうに紅茶へ口をつけた。
普段なら平然としている男が、僅かに視線を泳がせている。
その様子を見ていたジェラルは、誰にも気づかれぬよう小さくガッツポーズをした。
第一章はここで完結です。
ここまでお読みいただき、
本当にありがとうございます((。´・ω・)。´_ _))
第二章では、新たな問題がミリルたちを待ち受けています。そしてミリル・レシリアという少女が、“自らの死”を実行するまでの葛藤と、その結末が描かれます。
次回更新は、5/22(金)です。
この先に待つ、彼女の結末まで見届けていただけたら嬉しいです。




