13話 第一王子と破られた手紙
「……とても綺麗な令嬢だったな」
レシリア公爵家からの帰りの馬車の中で、シアンはぽつりと呟いた。
脳裏に浮かぶのは、激昂しながらも気高く振る舞っていたミリルの姿。
そして同時に、遠い昔の記憶が蘇る。
◇ ◇ ◇
五年前。
第一王妃である母、エレノアは亡くなった。
もともと身体が弱く、子を産めたこと自体が奇跡だったと聞いている。
シアンが生まれてからも、母は寝室で過ごす時間が長かった。
だから幼い頃の思い出のほとんどは、あの静かな部屋の中にある。
あの頃の僕は、聖女の絵本が好きだった。
ベッドに横たわる母の隣で、シアンはうつ伏せになって絵本を開いていた。
「お母様。僕、女の子だったら良かったな」
母がゆっくりと体ごとこちらを向く。
「あら、どうして?」
「だって、聖女になればお母様を治せるでしょ?男の子じゃ治せないよ」
すると母は、ふっと優しく笑った。
「私はね、シアンが男の子で嬉しいのよ?」
「僕が王様になれるから?」
「違うわ」
母は細い指で、そっとシアンの髪を撫でた。
「シアンは男の子だから、きっと大切なものを守れるもの」
「守れる……?」
「ええ。悲しいけれど、女の子では本当に守りたい時に、力で敵わないこともあるの」
その表情は少しだけ寂しそうだった。
「だからね。シアンが男の子で、私は安心しているのよ」
幼いシアンは勢いよく顔を上げ母を見つめた。
「それなら僕がお母様を一生守る!」
母の目が優しく細められる。
「……ありがとう。やっぱり、シアンが私の子で良かったわ」
その腕がシアンを抱き寄せる。
「あのね、僕が絶対に聖女様を見つけるから!そしたら、お母様すぐ元気になるからね!」
「ふふっ、ありがとう。私も頑張るわね」
母の顔は見えなかった。
けれど、その声は少し震えているような気がした。
それから年月が流れた。
八歳の誕生日を迎える少し前。
シアンにも火属性魔法が発現した。
貴族としては遅い方だった。
それでも、シアンは嬉しかった。
これで少しは母を安心させられると思ったからだ。
だが、聖女はいまだ見つからない。
母の身体は確実に衰弱していた。
ノエルの話では、父は一度も母の部屋を訪れていないらしい。
「お母様!火魔法が使えるようになりました!」
ベッドの上の母は、嬉しそうに身体を起こした。
「まあ、本当に?お祝いしなくちゃね」
その言葉に、シアンは少し俯く。
母は毎年、誕生日に手作りのケーキを焼いてくれていた。
きっと今年も作るつもりなのだろう。
無理しないだろうか、体調が心配だった。
「お母様。ケーキはもう大丈夫です」
「……え?」
「その気持ちだけで、僕は十分嬉しいので」
すると母は、わざとらしく拗ねた顔をした。
「そう……?男の子の成長って早いのね。もう抱っこもさせてくれないし……」
「お母様!僕はもうすぐ八歳です!第一王子として抱っこなんて……」
だが、悲しそうに眉を下げる母を見て、シアンは折れた。
「……今日だけですよ」
ぱっと母の顔が明るくなる。
細い腕がシアンを抱き寄せた。
「シアン。あなたは本当に優しい子ね」
その声は、どこか愛おしむようだった。
「辛いことがあっても、一人で抱え込んでは駄目よ。ちゃんとお父様に相談するのよ」
抱き締める力が少しだけ強くなる。
「あなたの素敵なところなら、私は何個でも言えるわ。人を思いやれるところも、努力家なところも、小さいのに私よりずっと強くてしっかりしているところも」
母は小さく笑った。
「その笑顔だって、たくさんの人を幸せにできるのよ」
「お母様……?」
「だからね。私がいなくなっても、絶対に自分を嫌いにならないで」
シアンの胸がざわついた。
「大切な人を、ちゃんと守るのよ」
しばらくの間、母は腕を離さなかった。
そして、八歳の誕生日の早朝。
激しく寝室の扉が叩かれた。
「シアン殿下!!」
侍女の悲鳴のような声。
シアンは飛び起きた。
「エレノア第一王妃殿下が……ご逝去されました……!」
「……え?」
頭が真っ白になった。
気づけば、母の部屋へ駆け出していた。
「なんで……」
ベッドの上で眠るように横たわる母。
手を握っても、もう握り返してはくれない。
その手は、恐ろしいほど冷たかった。
シアンは母の手を握ったまま、俯いた。
僕が聖女なら助けられたのに。
男の子でも、大切なものを守れないじゃないか。
どうか神様。
お母様を返して。
「……シアン様、こちらを」
母付きの侍女が、ケーキと手紙を差し出した。
手紙に綴られた文字は弱々しく、形も崩れていた。
それでも必死に想いを伝えようとしていたことだけは、痛いほど伝わってくる。
『シアンへ。
八歳のお誕生日、おめでとう。
大切な日に悲しい思いをさせてしまってごめんなさい。
本当はね、私は八年前に余命一年と言われていたの。
でも、貴方が来てくれた。
毎日話しかけてくれて、笑ってくれて……気づけば七年も生きることができたわ。
それって、奇跡だと思わない?
シアン。
いつかバレて貴方に嫌われたくないから、今伝えるわね。
実は私が、聖女だったの。
貴方が一生懸命、聖女を探してくれていたこと知っていたわ。
言えなくて、ごめんなさい。
でもね、私にとって貴方は、どんな魔法よりも奇跡だった。
貴方が生まれてから、私の世界はとても明るくなったの。
だから、どうか自分を責めないで。
私は今とても幸せよ。
天国からなら、今までよりもっとたくさん貴方を見守れるもの。
ねえ、私の顔、幸せそうでしょう?』
涙で文字が滲む。
『以前、大切なものを守ってねと言ったわね。
でも本当はね。
私は、貴方が傷つくことが一番怖いの。
辛い時は、ちゃんと泣いていいのよ。
誰かを頼っていいの。
一人で全部抱えなくていいのよ。
それでも、第一王妃として聖女としてお願いをするわ。
この国を皆で守って、シアン。
ずっと愛しているわ。
貴方の幸せを、母は永遠に祈っています。
シアンのことが世界一大好きな母より
PS.
シアンが甘いもの苦手なの、実は知っていたのよ。
だから今回は少し小さめに作ったわ』
「……お母様……全然小さくないですよ……」
最後の力を振り絞って作ったのだろう。
いつもより少し不格好なケーキ。
それを見た瞬間、シアンは堪えきれず涙を零した。
改めて母の顔を見る。
そこには確かに、穏やかで幸せそうな笑みが残っていた。
その時だった。
「第一王妃が亡くなったって本当なの!?」
鋭い声と共に部屋へ入ってきたのは、シャルロッテ第二王妃だった。
「感染症だったらどうするの!?遺品は全部燃やしなさい!その遺体も早く棺へ入れて!」
侍女たちが戸惑う。
「ですが、エレノア様は感染症では……」
「私に口答えする気?」
「申し訳ございません…!」
侍女が焦ったように謝る。
空気が凍った。
この国では第一王妃が亡くなれば、第二王妃が第一へ繰り上がる。
つまり、この場で最も権力を持つのは彼女だった。
シャルロッテの視線がシアンへ向く。
「あんた。その汚らしいケーキと手紙、捨てなさい」
「……っ」
「何?逆らうつもり?」
言い返せなかった。
もしこれが原因で恨みを買い、第一王子としての立場を失えば、母の願いを守れなくなる。
『この国を守って、シアン』
その言葉が脳裏を過る。
「……承知しました。シャルロッテ第一王妃殿下」
シアンは静かに頭を下げた。
「分かればいいのよ。ほら、貸しなさい。私が手伝ってあげるわ」
差し出した瞬間。
ビリッビリッと音を立てて、どんどん手紙が破られる。
「ああ、汚い汚い汚い汚い汚い!!!!!」
破られた手紙がその場を舞った。
その顔は、醜悪でとても嬉しそうだった。
シアンはそれを見つめながらも、その拳を握り締めることしかできなかった。
シャルロッテが去ったあと、シアンはその場に残されたケーキを一口、また一口と食べ進めた。
「作らなくていいって…いったのに…」
涙で、味なんてほとんど分からなかった。
それでも。
「…おいしい」
母の作るケーキは何よりも美味しかった。
数日後。
母の病気は、厄災を追い払うために受けた呪いのせいだったと知った。
その事実は、僕には伏せられていたらしい。
母付きの従者は全員解雇されたという。
その部屋からは、何もかも消えていた。
それから、時折母の部屋へ行っては、何もない天井を見上げながら、ただ目を閉じる。
そして今日。
ミリルと出会った。
母の遺品を勝手に使われ、激昂していた彼女を見て、シアンは驚いた。
だが、それ以上に羨ましかった。
割れたティーカップは、あの日破かれた手紙と重なり、それを壊した侍女に怒りを向けられる彼女が、酷く眩しく見えた。
もし昔の自分が、何も考えずにあのように怒れていたなら。
「そんなこと考えたって意味ないのにな…」
シアンはそう呟き、馬車の窓から空を眺めた。




