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12話 始まりの回避



毒味役の侍女の手が、小さく震えていた。

表情もどこか強張っている。


――まるで、これから起こることを知っているかのように。



(やっぱり……)



ミリルは視線を細めた。


侍女が毒入りのティーカップへ手を伸ばす。


その瞬間。



(やるしかないわね!)



「待って!! そのティーカップは……!」



ミリルは勢いよく立ち上がった。


突然の大声に、その場の空気が凍りつく。



ミリルは侍女へ駆け寄り、


毒入りのカップを奪い取るつもりだった。



だが――。


「ひっ……!」


驚いた侍女の手から、ティーカップが滑り落ちる。



バリンッ!!


甲高い破砕音が応接室に響いた。


床に飛び散る紅茶と破片。


ミリルはそれを見下ろし、小さく息を吐く。


(……これは、好都合ね)




そして次の瞬間、怒りに満ちた表情を浮かべ叫んだ。


「お母様の形見のティーカップを割るだなんて……ありえないわ!!!」



その剣幕に、従者たちは息を呑む。


毒味役の侍女は青ざめ、肩を震わせていた。



突然怒鳴られたせいかそれとも別の理由か。


ミリルはさらに声を荒げる。



「このティーポットも、お母様の形見なのよ!!」


今度は左側に控えていた自分付きの侍女へ視線を向けた。


「も、申し訳ございません……! お母様の形見とは知らず……」



侍女たちは慌てて頭を下げる。


毒味役の侍女など、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


胸が少し痛んだが、今は構っている余裕はない。



ミリルはゆっくりとシアンへ向き直った。



「こちらの侍女は、いつからお仕えしているのかしら?」


「さぁ、私には分からないな。ノエル、お前は知っているか?」


シアンに問われ、側近の青年が一歩前へ出る。


「その者は先月入ったばかりでございます。まだ経験も浅いため、毒味役として同行させておりました。粗相をしてしまい、申し訳ございません」



ノエルは深々と頭を下げた。


(この男が同行を決めたのなら……犯人側の可能性もあるわね)


ミリルは冷静に思考を巡らせる。



「母の形見は、父も大切にしております。この者をレシリア公爵家で預かり、直接謝罪させてもよろしいでしょうか?」


「それは……!」



ノエルが焦ったように顔を上げる。


だが、それを制したのはシアンだった。



「構わないよ」



シアンは穏やかに微笑む。


しかし次に放たれた言葉は、13歳とは思えないほど冷酷だった。



「その侍女は、本日付けで解雇だ」



氷のような瞳で侍女を見下ろしている。


――これが、本性でしょうね。



だが同時にミリルは考える。


(この要求を通すということは……少なくとも、シアン殿下自身は毒に関与していない?)



「シアン殿下。取り乱してしまい、申し訳ございません」


先ほどまでとは打って変わり、ミリルは儚げに視線を伏せた。



「本日は少々気分が優れず……お帰りいただくことは可能でしょうか。無礼なお願いとは承知しております。ただ……母を思い出してしまって……」



まるで別人のような弱々しい声音。


我ながら完璧な演技だとミリルは思った。



(情緒不安定さに幻滅してくれれば、最高なのだけど)



しかしシアンは柔らかく微笑むだけだった。



「いや、こちらこそ申し訳なかったね。今日は帰るとしよう」


そして自然な仕草でミリルの手を取る。



「君の顔が見られて嬉しかったよ、ミリル」



――この状況でそんな言葉を言えるなんて。


第一王子として大したものだ、とミリルは内心呆れた。



その後、シアンは毒味役の侍女だけを残し、従者たちと共に応接室を後にする。


扉が閉まったのを確認すると、ミリルは鋭い声を出した。



「ジェラル以外は全員下がってちょうだい。……あなたは残るのよ?」



毒味役の侍女と、執事長ジェラルだけを室内に残す。


(誰が信用できるか分からないもの)


少なくとも未来で最後まで公爵家を守り、処刑されたこの男だけは信じられた。



「ジェラル。この者を拘束して。できれば耳も塞いでほしいわ」


さすがのジェラルも困惑したように目を瞬かせる。


だが、すぐに恭しく頭を下げた。



「……承知いたしました」



拘束魔法(バインド)


低い詠唱と共に草が伸び、侍女の耳や手足へ絡みついていく。


やがて全身を包み込み、顔だけが出た奇妙な姿になった。


まるで巨大なミノムシだ。



(……ちょっとやりすぎでは?)


ミリルは若干引きつつも、すぐに真剣な表情へ戻る。



「これは推測ですが、彼女は毒を仕込んでいた可能性があります」



ジェラルへ事情を説明する。


ティーカップを持つ震える手。

怯えた表情。

そして、あの不自然な緊張感。


話を聞き終えたジェラルは目を見開いた。



「なんと……! すぐに調査いたします。旦那様へも私からご報告しましょうか?」


「ありがとう。でも、父には私から話したいことがあるの」



ミリルは少し申し訳なさそうに微笑む。



「本日の夜、お時間はあるのかしら?」


「でしたら16時頃にはご帰宅予定です。私からお伝えしておきます」



ジェラルはどこか嬉しそうだった。


(ただ相談したいだけなのだけど……)



「ありがとう。では私は部屋へ戻るわ。彼女を絶対に逃がさないで」


「承知しました」



ジェラルが深く頭を下げる。



それを見届けてから、ミリルは静かに部屋を後にした。


今回を防げたとしても、敵はまた動く。


レシリア公爵家を陥れるために。



(……せめて今回の件で、婚約の話が破談になればいいのだけど)


そんなことを考えながら、ミリルは長い廊下を歩き自室へと戻った。

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