第一話 『翡翠荘の殺人』 出題編(二)
幼なじみの心配
「くるみ、大丈夫?」
目を覚ますと、心配性の幼なじみが私の顔を覗き込んでいた。
「理子先輩は?」
私が訊くと、文香ちゃんは悲しげな顔で首を横に振った。
「わからない。くるみの悲鳴を聞いて皆駆けつけたけど、真壁先輩の部屋の扉には鍵がかかっていて誰にも開けられなかった。呼びかけても返事はない。でも、もしあの出血が真壁先輩のものだったら、多分――」
文香ちゃんは言葉を飲み込んで、話を変える。
「くるみは大丈夫なの? どこもおかしなところはない?」
ゆっくりと体を起こす。
「平気。びっくりして気を失っただけみたい」
「無理しなくていいからね。休んでて」
「ううん。それよりも、病院や警察に連絡は?」
文香ちゃんは首を横に振った。
「スマホは、タイムロッキングコンテナに入ってて取り出せなかった。翡翠荘には固定電話も置いてないし。この雨の中、山道を下りるのも危険だし」
「他の皆は?」
「黒瀬先輩は真壁先輩の部屋の扉を見張ってる。橘先輩はくるみを私の部屋に運ぶのを手伝ってくれて、その後は屋敷を調べてる。佐々木先輩は……わからない」
「わからない?」
「真壁先輩の部屋の前には来なかったの。橘先輩が確認してきてくれるって言ってたけど」
私は考え込む。静香先輩のことだから、騒ぎに気づかず寝ているというのもありえる。でも、私の頭からは嫌な予感が離れなかった。もし静香先輩も理子先輩と同じように殺されていたら……?
頭を振って嫌な想像を振り払おうとする。
「文香ちゃん、私たちも理子先輩の部屋に行こう」
文香ちゃんは不安そうに私を見つめる。
「大丈夫だよ。こんな状況で先輩たちが頑張ってるのに、私だけ寝てるわけにはいかないもん。ね?」
部長の検証
「綾野君。起きたんだね」
理子先輩の部屋の前でしゃがんで何かを調べていた瑠璃部長は私に気づくとそう言った。
「はい」
「調子はどう?」
「あんまりです。部長はここで何してるんですか?」
「見張りさ」
「見張り?」
「そう、見張り」
わかるだろう、と言いたげに視線を投げる。私たちが困惑しているのを見てとって部長は溜息をついた。
「綾野君は犯人を見たのかな」
「犯人って――」
「無論、真壁君殺しの犯人だよ」
私は呼吸を止めた。
「まだ、理子先輩が死んだと決まったわけでは……」
部長は既に乾き始めている血溜まりを指差す。
「この出血だ。死んでいると見るのが妥当だろう」
「で、でも、これだって血とは限らないですよね。絵の具とかかもしれないし」
「いや、本物の血液だ」
部長はあっさりと断言した。
「どうして言い切れるんですか?」
「私が確かめた」
「確かめたって、ルミノールでも持ってきたんですか?」
部長は小さく笑った。
「いや、違う。舐めたんだ」
そう言ってちろりと舌を出す。
「間違いなく、血の味だったよ」
ひっ、と文香ちゃんが息を飲む。
「やはり、綾野君は鋭いね。これが本物の血液なのかは私も疑問だったんだ。だから、確かめた。疑わしいなら君も確かめるといい」
「……遠慮します」
そうか、と部長は頷いた。
「さて、話を戻そう。綾野君は真壁君殺しの犯人を見たのかな?」
私は首を横に振った。
「いいえ、見てません」
「ふむ。それで、君はこんな朝早くに真壁君の部屋の前で何をしていたのかな?」
「ちょっとそれ、どういう意味ですか?」
質問が尋問めいてくると文香ちゃんが割って入った。部長は悪びれずに肩をすくめる。
「気を悪くしたならすまない。単なる形式的な確認のつもりだったんだ」
「黒瀬先輩。先輩は警察でも探偵でもありませんからね」
文香ちゃんは静かに怒っていた。
「そうだね。それはその通りだ」
部長は素直に認めた。
「文香ちゃん、私は大丈夫。それよりも部長の話をもっと聞きたい。理子先輩のためにも」
「そっか。わかった。くるみがそう言うなら」
「感謝するよ、綾野君。それで、聞かせてもらえるかな? 君の話を」
私は見聞きした出来事の要点をまとめて二人に話して聞かせた。
「なるほど。綾野君は犯人を見ていないし、真壁君も見ていない。そもそも、この部屋の扉が開いているのも見ていないということだね」
「はい」
私は黒瀬部長の言葉を認めた。
「それで、黒瀬先輩は何が言いたいんですか?」
「綾野君の証言は重要な事実を示唆している。つまり、真壁君は部屋の中で殺害され、そして綾野君が悲鳴を上げた瞬間まで扉は施錠されていたという事実だ」
部長は唇を舐めて湿らせた。
「私は、綾野君が悲鳴を上げてからすぐに来た。長く見積もっても十五分はかかっていないだろう。桐生君は私よりも早かったね。後から茜も来た。扉が施錠されていたことは、その場に居合わせた三人が確認した。それから、私はずっとこの扉を見張っている。扉は一度も開いていない。何が言いたいか、わかるね?」
私は唾を飲みこんだ。
「この鍵のかかった部屋の中には、真壁君の死体と一緒に犯人が閉じ込められている可能性がある」
空気が張り詰めていた。耳を澄ませると扉の向こうの犯人の息遣いが聞こえてくるような気がした。
「無論、この推理には穴がある。綾野君や私が犯人を見ていないと嘘や間違いを言っているかもしれないし、綾野君が気絶してから桐生君が駆けつけるまでの間に犯人が逃げた可能性も十分あるだろう。 ――桐生君はどれくらいでここに来たのかな?」
「くるみの悲鳴が聞こえてから五分くらいでした」
「ふむ、そうか。短いな。 ……ああ、もしくは桐生君が犯人、という可能性もあるね」
文香ちゃんが疑われて私はむっとした。
「それを言うなら、私が犯人って可能性だってありますよね」
部長は目を見開いた。
「まさか。もしそうなら君は、自分の犯行に驚いて悲鳴を上げて気を失ったということになる。それはあまりにも……間抜けじゃないか?」
斧
「あれ、皆揃ってる感じ? 静香はまだいないか。くるみはだいじょぶそ?」
明るいトーンの声に振り返ると茜先輩が立っていた。
「やあ、茜。……おやおや、何やら物騒なものを持っているね」
瑠璃部長の言う通り、茜先輩の両手には異様なものが握られていた。無骨な木の持ち手の先に赤い刃がついている――斧?
「うん、この斧ね。消防斧っていうんだって。説明書に書いてあった。火事とかの非常時に扉や障害物を壊すための斧。倉庫にあったから借りてきちゃった」
茜先輩はそう言って消防斧を掲げる。斧は、華やかなネイルとはあまりにも不釣り合いだった。私は思わず一歩後ずさる。
「ふむ。まさか、その消防斧で扉を破るとは言わないだろうね?」
「そのつもりだけど」
茜先輩は斧を肩に担いだ。少しの間、部長は目を伏せて何かを思案している様子だった。
「私は、この部屋の中には犯人がいるのではないかと思っている」
「そうなんだ」
「そうだ。それに、この出血だ。犯人は刃物を持っている可能性が高い。扉を破って直接対峙するのは危険だ」
「うん、そだね。じゃ、瑠璃はどうするのがいいと思うの?」
「ひとまず、皆で一階の一番広い客室に鍵をかけて立て籠もろう。考えられる中では一番安全な選択肢ではないかな」
「その部屋の中にトイレはあるの?」
「……ないな」
「あたしらのスマホが使えるようになるまで、まだ二十四時間以上ある。お腹だって空くし、トイレにも行かなきゃ。それまで立て籠もるのって本当に安全かな?」
茜先輩は斧をドンと床に下ろして続ける。
「あたしは、ここで扉を破るべきだと思う。少なくとも人数的には四対一だし、斧だってある。もちろん、あたしが先頭に立つよ。何より――目と鼻の先にいる犯人をみすみす取り逃がすなんて、あたしは耐えられない!」
「茜、その考え方は危険だよ」
瑠璃部長は弱々しく、それでも断固とした口調で言った。
「わかった」
茜先輩は毅然と提案した。
「それじゃ、多数決にしよう。扉を破って犯人を追い詰めるか、部屋に立て籠もるか。ここにいる皆で決める。瑠璃もそれならいいでしょ」
瑠璃部長は大きく溜息をついた。
「……部長として、部員たちの決定に従わないわけにはいかないな」
茜先輩は満足気に頷いて、それから挙手する。
「まずはあたし。もちろん、扉を破るべきだと思う」
次に、瑠璃部長が手を挙げた。
「私は立て籠もるべきだと思う。最も安全な選択肢だからだ」
少しして、文香ちゃんが手を挙げた。
「その、私は扉を破るべきだと思います。間違いなく部屋の中には重要な証拠があります。それを放置して逃げることはできません」
私の番だった。手を挙げて言った。
「私も、扉を破るべきだと思います。もしかしたら、理子先輩はまだ生きていて助けを必要としているかもしれません。一刻も早く確かめたいです」
茜先輩は瑠璃部長を見つめた。
「これで、文句ないでしょ」
瑠璃部長は暗い表情で深い溜息をついた。諦めたようにひらひらと手を振る。
「お好きなように」
「じゃ、皆。危ないからちょっと下がって」
茜先輩は消防斧を大きく振りかぶった。




