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第47話 大魔獣のあとしまつ(ざまぁ②)

 

 マールたちが祝勝会で笑い声に包まれていたころ。魔の森・中層深部では、まったく別の地獄が進行していた。


 レティシアの鉄拳制裁をまともに受け、クラウスは文字どおり“吹き飛ばされた”。木々をなぎ倒し、地面に叩きつけられ、気づけば見覚えのない暗がりに転がっていた。



 それから、どれほど歩いただろう。足を引きずり、息を切らし、何時間も彷徨(さまよ)っているというのに、カルデサックの街へ戻れる気配は一向にない。森はただ、奥へ奥へと続いていた。


 装備は見る影もない。

 剣はどこかで失い、防具は割れ、服は布切れのように垂れ下がっている。かつて“英雄”を名乗っていた面影は、そこには欠片もなかった。



「……くそ……っ」


 吐き捨てた声は震えている。

 戦える力など、もう残っていない。


 毒舌女王蟻の集団に遭遇したときは、悲鳴を上げて逃げるしかなかった。

 ポイズンフロッグがぬめりを帯びた身体で跳ねてきたときも、剣を構える余裕すらなく、転げ回って距離を取るだけ。


 転倒。

 泥に顔を打ちつけ、草を掴み、必死に()う。


 汗と涙で視界は滲み、恐怖で精神は削れ、気づけば下半身を汚し、強烈な悪臭を放っていた。


 ――惨めだった。

 自信満々で胸を張っていた頃の自分が、遠い昔の幻のように思える。


 それでも。

 クラウスは、決して自分の過ちを認めなかった。



「……あいつらのせいだ」


 歯を食いしばり、恨み言を吐き散らす。


「ブリュンヒルデ……レグルス……!」


 あいつらがいなければ。

 あの場で、あんな恥をかかされなければ。


「帰ったら……ただじゃおかない……!」


 か細い呟きが、湿った空気に溶けて消える。

 魔の森は、その言葉に何の反応も示さない。



 やがて。

 暗がりの向こうに、人影が二つ、揺れているのが見えた。


 それに気づいた瞬間、クラウスの胸に、久しく忘れていた感情が灯る。


「……人、だ」


 喉が鳴った。


「助かった……ははは、さすがは俺様! 豪運の持ち主だ!!」


 理性より先に、身体が動く。

 足をもつれさせながらも、必死にその影へと駆け寄っていった。


 ――それが、さらなる破滅への入口だとも知らずに。



 ◆


 同じく魔の森・中層――王国と龍帝国の狭間にて。


 魔獣あふれる場所に似つかわしくない二人が居た。



「……もう、最悪」

「本当だわ、お母さま!!」


 アルマティア王国辺境伯家、ヴァネッサとプリシラである。


 ヴァネッサは、汚れたドレスの(すそ)を掴みながら舌打ちする。足元は不安定で、靴はとっくに泥だらけ。枝に引っかかり、何度も転びそうになりながら、彼女は歩いていた。


 隣では、プリシラが息を荒くしている。


「ねえ、まだなの……? 本当に、ここ抜けられるの?」


 答えは、ない。

 二人は今、完全に道に迷っていた。


 ルシアンに悪行を暴かれ、罪人として捕まる――その直前。ヴァネッサとプリシラは、屋敷の金庫を荒らし、宝石と現金だけを掻き集めて夜陰に紛れて逃げ出した。


 実家に戻ることもできず、国外へ逃げるしか生き残る道はない。そう考えて、二人は魔の森へ踏み込んだ。


 ――だが、現実は甘くなかった。

 戦闘の心得は皆無。地図の読み方も分からない。焚き火もおこせず、食料の確保もできない。サバイバル能力は、壊滅的だった。



「どうして、こんな目に……」

「決まってるでしょう。全部、あの小娘のせいよ!!」


 プリシラが、半泣きで呟く。

 ヴァネッサは苛立ちを隠そうともせず、吐き捨てた。


 マールの顔が、脳裏に浮かぶ。


「役立たずのくせに、周りを巻き込んで……!」


 プリシラも、それに乗る。


「そうよ。王国だって、ひどいわ。私たちを見捨てるなんて……貴族に対する扱いじゃない!」


 自分たちの判断が間違っていたとは、微塵も思っていない。それでも、今まで生き延びてこられた理由は、一つだけだった。


 ――運。


 正確には、ルシアンがこの周辺を通過した直後だったこと。彼が討ち払った魔獣たちの死骸が、まだ腐臭を放つ程度には、新しい。結果として、この一帯は一時的な“安全圏”になっていた。


「……なんで、急に静かなのかと思ったけど」

「今考えると、気味が悪いわね……」


 プリシラが周囲を見回す。

 そのとき。


 背後から、ばき、と枝を踏み折る音がした。



「――おい!」


 突然の男の声に、二人は飛び上がる。

 振り向いた先にいたのは、泥と汗にまみれた見覚えのない男だった。


「助けてくれ……!」


 クラウスだった。

 一瞬の沈黙。

 そして、空気は一気に荒れる。


「なに、その格好……」


 ヴァネッサが、露骨に眉をひそめる。


「知らない人だけど……ずいぶん情けないわね」

「は? 俺を誰だと思ってる!」


 男が、勝手に声を荒らげた。


「俺様は少佐だぞ! 英雄だ!」

「はぁ?」


 プリシラが、心底どうでもよさそうに吐き捨てる。


「そんなの、知るわけないでしょ」


 ヴァネッサも鼻で笑う。


「私たちは貴族よ。見ず知らずの男に、助けてくださいなんて言われても困るわ」


 助けを求める言葉は、いつの間にか、罵り合いに変わっていた。


 責任の押し付け合い。

 誰が悪いかの言い争い。

 醜い本性が、むき出しになる。



 ――そのときだった。


 バサバサ、と。

 鳥のようでいて、どこか湿った羽音が響く。


 空気が、冷えた。


 闇の奥から、

 巨大な黒い影が、ゆっくりと姿を現す。


 月光を受けて、(はね)が鈍く光る。

 美しく、どこかエレガントな輪郭。


「……なんだ、あれは。鬱陶しい、虫の魔獣か?」


 クラウスが、苛立ったように舌打ちする。


 だが。

 ヴァネッサとプリシラはそれを見た瞬間、声を失った。


 顔面が蒼白になる。

 (ひざ)が笑い、その場に崩れ落ちそうになる。



「ち、違う……」


 震える声で、ヴァネッサが呟く。

 恐怖で、言葉が詰まる。


「あれは王国で……“死を運ぶ蝶”って呼ばれてる。龍帝国のヒュドラと同じ、災害級魔獣よ……」


 プリシラが、歯を鳴らしながら続けた。


「その名も……不死蝶ゾンビ」


 その名を告げた瞬間。

 夜の静寂が、完全に凍りついた。


「何度でも蘇る。不死性を持った、ゾンビの蝶……生きているものに卵を産み付けて……そうして、ゾンビの仲間を増やすの」



 次の瞬間。 

 闇の中で黒い蝶が、ゆっくりと羽ばたく。

 どうやら“獲物”を見定めているようだ。


 クラウスは、一歩、後ずさった。

 そして女性たちの盾になるという騎士道精神も持ち合わせていない彼は、踵を返してその場を逃げ出す。


 だが次の刹那、不死蝶の脚が伸び、クラウスの身体をがっちりと掴み取った。


「……う、うわぁああ!!」


 黒い翅の影が覆いかぶさり、腹の先がクラウスのうなじへと押し付けられた。


「ぎゃあああああっ!!」


 叫びは途中で途切れ、声は泡立った音へと変わる。


 ゾンビ化は、あまりにも早かった。

 身体が、内側から侵されていく。

 皮膚の下を、何かが(うごめ)く感覚。視界が歪み、思考が途切れ途切れになる。


(……にげ……)


 瞳から光が失われ、関節の動きはぎこちなく。声は、もはや意味を成さない唸りへとなった。


 

「い、いや……来ないで……!」


 不死蝶が新たな獲物をロックオンする。ヴァネッサとプリシラが、我に返って逃げ出す。


 だが変わり果てたクラウスの腕が、二人を掴み取った。


「――っ!!」


 振りほどけない。力は、生前の比ではない。


「離しなさい! 触らないで!!」


 叫びは、森に吸い込まれる。

 黒い影が、再び舞い降りる。


 ――逃げ場は、もうない。



 二人の悲鳴が、重なった。

 恐怖と後悔。怒りと否定。


 だが、どの感情も、助けにはならない。

 誰も来ない。誰も救わない。



 こうして――

 英雄を騙り、幼子を虐げ、責任を他者に押し付け続けた者たちは、“死ねない罰”という形で、魔の森の住人となった。


 魔の森は、善悪を選ばない。

 ただ、生き残る価値のないものを、 淡々と、飲み込むだけだ。



 闇の中で、不死蝶が羽ばたく。

 次の獲物を探して――





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