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第46話 マールのひみつ


「……マールちゃん」


 店主が、声を潜めて近づいてくる。

 周囲の客や、レグルスたちから視線を逸らすように、そっと手元を隠しながら。


 差し出された小皿の上には、

 親指ほどの、小さな肉片が一つだけ載っていた。


「……なに、それ?」


 レティシアが、怪訝そうに覗き込む。

 マールは少しだけ言いづらそうにしてから、説明した。


「えっと……ヒュドラの、心臓のところのお肉」


 一瞬、空気が止まる。


「鬼仮面の騎士さんが……ヒュドラを消し飛ばしたあと、なぜかこれだけ残ってたんだって」

「え、そうなの!?」

「最後の力で心臓を守ろうとしたみたいだけど……魔力が尽きて、再生できなかったみたい」


 量は、ほんのわずか。

 だからこそ、扱いに困り、ここまで残っていたのだろう。


「それでアンタ、ひとりでこっそり食べようと思ったワケ?」

「えへへ……店主さんにお願いして、焼いてもらってたの」


 小さくそう付け足す。

 マールは、ためらいながら皿を少し前に出した。


「レティシアちゃんも……半分、食べる?」


 だが、レティシアは首を横に振った。


「いいわよ。アンタが手に入れたものなんだから、アンタが食べなさい」


 きっぱりとした声。マールは小さく頷き、フォークでその肉片を口に運ぶ。



「……っ」


 言葉を失った。


 美味しい、という感想では足りない。

 舌に触れた瞬間、全身に熱が走る。

 濃縮された旨味と魔力が、一気に身体の奥へ流れ込んでくる。


 次の瞬間だった。

 視界が、わずかに揺れる。


(……あれ?)


 細かった手足に、確かな重みが戻っていく。骨ばかりだった身体に、血と肉が巡る感覚。


 内側から、魔力が溢れ出す。

 制御していないのに、勝手に満ちていく。


 そして毒に対する拒絶感が、消えた。

 それどころか――


(……食べられる、気がする)


 毒食材ですら、栄養として取り込めてしまう。

 そんな、ありえない確信。



「……マール?」


 レティシアが異変に気づいた、その瞬間。

 ぞわり、と。

 腰の上あたりに、異質な感覚が走った。


「――っ!?」


 視線を落としたレティシアが、息を呑む。


 蛇のような、細長い尻尾。

 いつの間にか、マールの身体から伸びていた。


「アンタ、それ……どうしちゃったのよ!?」


 反射的に、レティシアは自分のマントでそれを隠す。周囲に気づかれないよう、素早く、慎重に。


「バレたら変な目で見られるわ。いい? とりあえず今は黙っておきなさい」


 マールは、顔を青くしてこくこくと頷いた。


「……うん」


 胸の奥が、きゅっと縮む。


「レグルスおじさんに……怒られちゃうかも」


 その言葉に、レティシアは一瞬だけ目を伏せ、すぐに視線を戻した。


「だから今は、二人だけの秘密よ」


 いったい何が起きたのか。ヒュドラという神話級の魔獣を食べたせいなのか、はたまたマールの特殊体質なのか。それを判断するには、現段階では情報が何も足りなかった。



 ――そのときだった。

 店の扉が、静かに開いた。


 きぃ、と小さな音。

 それだけのはずなのに、空気が変わる。


 賑やかだった店内のざわめきが、波打つように揺れ、自然と収束していく。誰もが理由を説明できないまま、無意識に視線を入口へ向けていた。


 そこに立っていたのは――


 黒い外套。

 全身を覆う、異様な気配。

 そして、顔を隠す鬼の仮面。


 鬼仮面の騎士だった。



 場の視線が、一斉に集まる。

 酒を飲んでいた手が止まり、肉を切っていたナイフが宙で静止する。


 騎士は、ゆっくりと店内を見渡した。

 その視線が、迷うことなく――マールの元で止まる。


 一歩、近づく。

 靴音が、やけに大きく響いた。


 そして、マールの前で立ち止まる。

 仮面にかけられた指が、ゆっくりと動いた。


 ――外す。


 露わになったのは、白銀の髪と、整った顔立ち。だがその表情には、取り繕いも威圧もない。ただ、切実な安堵だけがあった。



「……お探ししておりました、マール様」


 静かな声。

 それは、この場にそぐわないほど、丁重だった。


 マールは、きょとんと目を瞬かせる。


「……え?」


 言葉が、そこで止まる。

 騎士は一歩下がり、膝を折るほどの深さで頭を下げた。


「アルマティア王国近衛騎士、ルシアン・ヴェイルです。貴方様を、お迎えに参りました」


 一瞬、沈黙。

 ガタン、と音を立てて、椅子が引かれた。


「……やはり、貴様か」


 低く、警戒を孕んだ声。

 立ち上がったレグルスが、騎士を睨み据える。


「その白銀鎧にその顔……あのときの――」


 言葉の続きを、敢えて飲み込む。

 過去の因縁を、知る者だけが察する間。



「ちょっと待って」


 割って入ったのは、レティシアだった。


「王国の騎士が、どうしてマールを……?」


 当然の疑問。

 場にいる全員が、同じことを思っていた。


 ルシアンは、首を傾げることすらしなかった。当然の事実を述べるかのように、淡々と告げる。


「マール様は、アルマティア王国の救世主」


 一拍。


「――そして、王女殿下だからです」


 時間が、止まった。


「……は?」


 誰かの、間の抜けた声。

 次の瞬間。


「「「「マールが王女様!?」」」」


 驚愕が、店内を貫いた。



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