第44話 偽りの英雄の末路(ざまぁ)
カルデサックの街は、異様な熱気に包まれていた。
昼下がりの中央広場。普段なら街の人々が行き交い、商人の呼び声が飛び交うその場所に、今日は人だかりができている。
理由は、ただ一つ。
凱旋――それも、“英雄の凱旋”だった。
「見ろ! これが災厄の証だ!」
高らかな声が響く。
人々の視線の先、簡易的に設えられた壇上に立つ男――クラウスが、両腕を広げていた。
その手には、乳白色をした革片が掲げられている。着古したシャツのように縁はボロボロだが、太陽の光をキラキラと反射して美しい。それは脱皮したヒュドラの皮の切れ端だった。
確かに、強大な魔獣の一部に見えた。だが本当にヒュドラのものなのか、真偽を確かめられる者はいない。
「我が隊は、魔の森中層にて災厄ヒュドラと交戦した!」
クラウスの声はよく通る。
泥まみれになた軍服や身体の傷跡が、その言葉に重みを与えていた。
「私自らが前線に立ち、部下を率い、あの蛇神と刃を交えたのだ!」
喝采が上がる。
拳を突き上げる者。
興奮した声で英雄の名を叫ぶ者。
クラウスはそれを当然のものとして受け止め、さらに声を張り上げた。
「戦いは苛烈を極めた。多くの犠牲も出た。部下であるブリュンヒルデ率いる部隊は勇敢に戦い、そして散った」
一瞬、表情を曇らせる――ように見せてから、続ける。
「それでも、ヒュドラは討ち果たされた!」
その言葉は、断定だった。
確認など、していない。
だが、誰にも反論できない。
(なにせ魔の森の奥深くで起きた戦いを、目撃した者はここにはいないのだからな。ククク……)
事実など、後からいくらでも上書きできる。
重要なのは、“自分が討った”という物語だ。
誰かがまた魔の森で生きたヒュドラを見たと言い出したとしても。そのときはまた、兵士を準備し、自分がまた討てばいい。
(まぁそのときは、俺様は二度と前線には行かないがな。後方で成果だけあげればいい)
クラウスは内心で冷たく笑う。
「よって我々は、帝都へ帰還する! この戦果を、しかと皇帝陛下へ報告するためにな!」
再び、喝采。
賑やかな拍手が、広場を包み込む。
英雄の名を讃える声。
安堵と興奮が入り混じった喝采。
――だが。
「その者は、嘘をついている!」
女性の鋭い声が、拍手を切り裂いた。
ざわり、と空気が揺れる。
誰もが反射的に、声のした方を振り向いた。
「すまない、そこを通してくれ!!」
人垣が、割れる。
そこを進んでくるのは、一団の傭兵たちだった。
血と泥の匂いを纏い、装備には戦場の痕跡が生々しく残っている。
その中心にいたのは――
「な、なぜお前が生きている……?」
クラウスが、信じられないというように呟いた。
ブリュンヒルデ。
死んだと断定されたはずの女軍人が、確かにそこに立っていた。
両脇を固めるのは、見覚えのある大柄な剣士――レグルス。
そしてもう一人、異様な存在感を放つ騎士。
白銀の鎧。
顔を覆う、鬼の仮面。
街が、どよめいた。
「死んだんじゃなかったのか……?」
「英雄様が、そう言って……」
囁きが、疑念へと変わっていく。
ブリュンヒルデは、一歩前に出た。
その足取りに、迷いはない。
「私は、生きています」
声は落ち着いていた。
感情を抑えた、軍人の声音。
「そして――ヒュドラは、討たれてなどいませんでした」
広場が、静まり返る。
「我々は、囮として前線に投入されました」
一つずつ、事実を積み上げるように語る。
「一度はヒュドラを追い詰めましたが、脱皮により再生し、部隊は半壊。その状況でクラウス少佐は我らを見捨て、自らは戦場を離れました」
視線が、壇上の男を捉える。
「しかしご安心ください。残った戦力と救援者で死力を尽くし、ヒュドラは討伐されました!」
「じゃ、じゃあ英雄様は……」
「もちろん英雄は彼などではない! 私の隣に並び立つ者たちです!!」
「なんだって!?」
「じゃああの男はただのホラ吹きじゃないか!!」
ざわめきが、怒号に変わりかける。
「嘘だ!」
叩きつけるような声。
クラウスだった。
「誰が、そんな話を信じる!」
顔を紅潮させ、叫ぶ。
「証拠はあるのか!? 貴様の言葉一つで、英雄譚が覆ると思うな!」
怒声とともに、彼は胸を張った。
再び――“英雄の仮面”を被ろうとする。
「この私が! 龍帝陛下より剣を預かる、この私が!」
声量と肩書で、空気を押し潰す。
――その瞬間だった。
「そこまで言うのなら、私が証言しましょう」
澄んだ声が、広場に響いた。
空気が、変わる。
人垣の奥から、一人の少女が姿を現した。
年若い――だが、その歩みには一切の迷いがない。
普段の、わがままで感情を隠さない姿とは違う。背筋を伸ばし、堂々と前を見据えるその姿は、王族にしか出せない品性があった。
「……な、なぜ殿下が……」
王女レティシア。その瞳には、はっきりとした怒りが宿っていた。
広場に、ざわめきが走る。
クラウスの顔が、一瞬で強張った。
「ば、馬鹿な……! いや、偽物に違いない……そうだ、そうに決まって――」
言い終わる前に、空気が震えた。
レティシアの身体が、淡く光を帯びる。
次の瞬間、彼女の一部が龍のそれへと変質した。
鱗。
角。
溢れ出す、圧倒的な魔力。
――証拠として、これ以上のものはない。
群衆が息を呑む。
「王族である私が保証します。ヒュドラを討伐したのはブリュンヒルデたちです」
もはや彼女の言うことを疑う者は、この場には誰も居なかった。クラウスの英雄譚は、音を立てて崩れ落ちる。
「……ち、違う……」
言葉にならない声が、喉から漏れた。
クラウスの膝は、みるみるうちに力を失っていく。
「クラウス少佐」
レティシアの声は低く、冷え切っていた。
「あなたの行いは、戦場で命を賭した者たちを踏みにじり、王国の信用を損なう重大な反逆行為です。軍法会議で相応の処罰がくだると覚悟しなさい」
逃げ道は、もはやどこにもない。
宣告と同時に、クラウスの全身ががたがたと震え始めた。
「た、助けてくれ……!」
彼は縋るように視線を巡らせ、最後にブリュンヒルデを見た。
「ブリュンヒルデ……俺が悪かった……! あの時は仕方なかったんだ……!」
必死に、みっともなく言葉を重ねる。
「俺は逃げなかったと口添えするだけでいい! 待遇も、名誉も……全部、用意する!」
広場の視線が、一斉にブリュンヒルデへと集まった。
彼女は、静かに首を横に振る。
そこにあったのは怒りではなく――失望だった。
ようやく自身の運命が詰んだと理解したのだろう。クラウスは踵を返し、その場から逃げようと駆けだした。
「マール」
レティシアが名を呼んだ。
小さな少女が、一歩前に出る。
「まかせて!」
次の瞬間、結界が展開された。
透明な結界が、クラウスの足首を枷のようにロックした。
「なっ――!?」
「ったく……最初からアンタをこうしておくべきだったわ!」
レティシアは、躊躇しなかった。
小さな右拳を握り――
一直線に、叩き込む。
鈍い音。
グギャッ、という短い悲鳴。
クラウスの身体が宙を舞い、広場の端を越えて吹き飛ばされた。そのまま、魔の森の方角へと消えていく。
「ふぅ~スッキリした。でも堅苦しい喋り方は肩がこるわ……」
「ふふ。私の代わりに制裁してくださって、ありがとうございました殿下」
肩をグルングルンと回しながら愚痴を吐くレティシア。幼女のくせに中年のようなことを言う彼女に、ブリュンヒルデが労いの言葉をかけた。
「ねぇねぇ、みんな! マール、ヒュドラのお肉でお祝いしたい!」
その一言に、張り詰めていた空気が一気に緩む。偽りの英雄は去り、大事な人のために戦った者たちだけが報われた。
――ようやく、カルデサックの街に平和が帰ってきた。




