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第40話 過去と今

 霧が低く垂れこめていた。


 魔の森・中層手前。

 空気は重く湿り、吸い込むたびに喉の奥がひりつく。


 不自然に隆起した木々の根。

 絡み合う(つた)

 踏みしめるたび、足裏からかすかな魔力の脈動が伝わってきた。


 その中を進んでいるのは、クラウス率いるアウトロー傭兵の一団だった。



「ちっ……気色の悪い場所だな」


 誰かが悪態をつく。

 だが足取りは止まらない。


 彼らは粗野で、品がない。言葉遣いも荒く、統率も軍ほど整ってはいない。しかし魔の森で生き残るだけの経験と勘は、確かに本物だった。


 瘴気の濃度が、わずかに高い地点。

 地面に残る、巨大な何かが這った痕跡。

 周囲の毒性植物が、異常な成長と変質を遂げている兆候。


 それらを一つずつ拾い上げ、突き合わせていく。


 クラウスは足を止め、地面に残る痕を見下ろした。指でなぞるように確認し、短く鼻で笑う。


「……間違いない」


 低く、確信に満ちた声。


「ヒュドラは、この先にいる」


 その瞬間、彼の口元が歪んだ。


 誰よりも先に辿り着いたという優越感。

 ギルドを通さず、独自に動いた判断が正しかったという自己肯定。



(やはり俺の判断は間違っちゃいなかった)


 胸の奥で、快感が膨らんでいく。


 クラウスにとって、“情報”は武器だった。

 剣や魔法よりも、他人より一歩先を知っていること。

 それ自体が、力だと信じている。


「英雄はな、ただ強い奴じゃない」


 振り返り、仲間たちに向けて言い放つ。


「勝利への筋道を描ける奴――つまり俺様のような男だ! クハハハッ!!」


 下卑た笑い声が上がった。

 誰かが酒の話をし、誰かが戦利品の皮算用を始める。


 その騒がしさを背に、クラウスは一人、霧の奥を見据えていた。


(あとはこの情報をどう“利用”するかだが……)


 討伐そのものよりも。

 倒す“前”の立ち回りの方が、よほど重要だ。


 誰に渡し、誰を動かし、誰を前に立たせるか。


 ――そして、自分はどこに立つのか。



「……“アイツ”を踏み台にするか」


 小さく呟き、口角を吊り上げる。



 ◆


 場面は変わり、カルデサック近郊。


 街道の先に、簡易的な補給拠点が設けられていた。行商の荷車と軍の物資が行き交い、街の人々と兵士の声が混じり合う。魔の森とは違い、ここでは落ち着いた空気が流れている。


 ブリュンヒルデの隊は、補給と警戒を兼ねて、ここで一時的に足を止めていた。



「……ああ、手伝わせてくれ」


 年老いた男性が抱えていた木箱を見て、ブリュンヒルデは短く声をかける。躊躇いはない。次の瞬間には、その大きな体でひょいと箱を肩に担ぎ上げていた。


「お、おお……すまんねぇ」

「気にするな。足元、段差があるぞ」


 ぶっきらぼうな口調だが、動きは丁寧だった。荷を運び終えると、男性が何度も頭を下げる。その様子に、ブリュンヒルデは少しだけ困ったように眉を動かし、手をひらりと振る。


「礼はいらん。民のために動くのが我らの仕事だ」


 その背中を、周囲の街人たちが自然と見送る。

 子どもが一人、恐る恐る近づいてきた。


「おねちゃんは“善い兵隊さん”なの?」


 一瞬、言葉に詰まる。

 どう答えるべきか迷い、視線を彷徨わせ――それから、照れ隠しのように子どもの頭を軽く撫でた。


「……そうでありたいが、な。ほら、ここは危ないから向こうで遊んでくるがいい」


 不器用な言葉だったが、子どもは安心したように笑い、友達のもとへ駆けていく。


 ――軍人である前に。

 街の人々にとって、頼れる“善人”であろうとする姿勢は彼女らしい振る舞いだった。



 その空気を、わざと壊すように。

 街の入り口から、ざわついた足音が近づいてきた。


 視線が集まる。

 現れたのは、武器を見せつけるように肩に担いだアウトロー傭兵たちだった。歩き方は大仰で、声はやけに大きい。誇示するためだけに存在しているような一団。


 先頭に立つ男――クラウスが、薄く笑う。


「よぉ、こんなところで何をしていた?」


 ブリュンヒルデは、ちらりと視線を向けただけで、何も言わない。


「ヒュドラの居場所が分かった。準備が整い次第、討伐に向かうぞ」


 その言葉に、背後の兵が小さく息を呑む。


「しかし少佐、危険なのでは……」


 制止の声を、クラウスは鼻で笑い飛ばした。


「なにをビビっている。神? 災厄? 所詮は魔獣。デカい蛇だ」


 アウトロー傭兵たちが、下卑た視線を向ける。


「よぉ、姉ちゃん。軍人のくせに良いツラしてるじゃねぇか」

「俺たちが遊んでやろうか?」

「なんなら手取り足取り、鍛えてやってもいいぜ?」


 嫌悪感がねっとりと身体にまとわりつくような笑い声。


 だがブリュンヒルデは、一切反応しなかった。


 反論もしない。

 睨み返しもしない。

 表情すら、変えない。


 ただ、静かに立っている。


「なんだ? ビビっちまって声も出せねぇか?」

「……私は軍人だ」


 低く、淡々とした声。


「野良犬が吠えた程度で、動揺する理由はない」

「あぁ!?」

「……おい、お前ら。仮にも俺の部下だぞ。手ぇ出すんじゃねぇ」


 クラウスがつまらなさそうに言い、肩をすくめる。


「いいか、ブリュンヒルデ中尉。このクラウス様が、かならず蛇を倒す。そうすれば聞き分けの悪いお前も、俺のことを認めざるを得ないだろう」

「……それが実現できるといいがな」

「クハハハ! 生意気な口を叩けるのも今のうちだけだ。楽しみにしておくがいい」


 高笑い。

 一行は、そのまま街の酒場の方へと歩き去っていった。


 残された静けさの中で、ブリュンヒルデは彼らの背中を見送らない。ただ視線を街へ戻し、次の荷を抱えた兵に向き直る。



「……作業を再開する。手が空いている者は、こっちを手伝え」


 その声に、隊が動き出す。


 彼女は英雄の誘惑にも、挑発にも、動じなかった。守るべきものは、すでに手の中にあると知っているかのように。



 ◆


 翌日。


 カルデサックのギルドは、朝から人の出入りが多かった。

 依頼掲示板の前では冒険者たちが言い争い、受付周辺では報告待ちの列ができている。いつもと変わらない、雑多で騒がしい光景だ。


 その中へ、レグルスたちは足を踏み入れた。


 顔色一つ変えず、いつものカウンターへ向かおうとしたところで――



「あ、レグルスさん! ちょっとこちらへ」


 受付の女性が、少しだけ声を落として呼び止める。


「なんだ?」

「……ここだけの話なんですけど、軍についての情報が入りました」


 その一言で、空気が変わった。


 帝国軍がカルデサックの街にきてからというもの。軍は――というよりクラウスはギルドを無視してやりたい放題してきた。ギルドはあえて静観してきたが、だからといって何もしていなかったわけではない。


 軍がどういった動きをしているのか、狙いはなんなのか。魔の森への影響はどう起きるのか、などなど。起こりうる事態を想定するためにも、情報収集を徹底的に重ねていたのだ。


「それにしても、随分と早く情報が集まったな。相手は軍なのに、よくやる」

「我々ギルド員や“マトモな”傭兵さんたちも、今回の件でだいぶお怒りでしたからね。それに傭兵さんたちも、偵察や情報収集を本業としてされているプロが沢山いらっしゃいますから」


 自信満々な表情で差し出された書類に目を通した瞬間、レグルスは眉をひそめた。


 ブリュンヒルデの隊が、ヒュドラ討伐に向かったこと。

 正式な軍命であり、前線投入――拒否は不可能であること。


 淡々と書かれた文面は、ただの事実を並べているだけだ。


 だが、続く一文が、わずかに引っかかる。



「……軍の配置について?」


 ヒュドラ討伐のためにクラウスは軍を魔の森に投入した。だが本隊はブリュンヒルデのいる部隊ではなく、クラウス率いる傭兵部隊であること。そしてブリュンヒルデたちはヒュドラを引き付ける役――囮であることが示されていた。


 レグルスは、表情を変えない。

 感情を、意識的に切り離す。


「おいおい、マジっすかこれ」

「どうする、隊長」


 横で見ていたフリッツとアッポロがレグルスに尋ねる。


「……アイツが決めたことだ。俺たちが関わる話じゃない」


 自分はもう軍人じゃない。それにブリュンヒルデとの関係も終わっている。


(今さら俺が手を差し伸べたところで、アイツは……)


 そのときだった。



「……本当に、いいの?」


 マールの声が、静かに響く。

 レグルスは、視線を落とした。


「ブリュンヒルデさんね」


 マールは、続ける。


「前に言ってたよ。あのとき……レグルスおじさんを庇えなかったこと、ずっと後悔してるって」


 その言葉が、胸の奥に沈んでいた何かを揺らした。


 軍を去ると告げた日。

 引き留められたところで、レグルスは意見を変えるつもりはなかった。


 それが彼の中にある、軍人としての誇りだったから。


 かといって、心に傷を負わなかったわけじゃない。レグルスも心から彼女を愛していた。だがあのまま考え方やスタンスの違うまま同じ時を過ごしていても、いずれ上手くいかなくなっただろう。だから当時の判断に後悔はしていない。


 だがもし……もう少しだけ互いに歩み寄れていたら、今とは違う未来もあったのかもしれない――。



 過去の記憶が、重なっていく。

 レグルスは、しばらく黙ったままだった。

 やがて、短く息を吐く。


「……助けに行こう」


 それは、誰に言うでもない結論だった。アッポロ、フリッツ、ドクペインは互いに視線を交わし、ニッと笑った。



「おじさん……」

「マール。お前の力が必要だ」


 レグルスは、その場で膝をつき、マールと視線を合わせる。


「危険だが、必ず守る。だから……力を貸してほしい」


 マールは、一瞬も迷わなかった。


「うん! だれかを助けるなら、マール、がんばる!」


 その即答に、レグルスは小さく笑顔で返した。




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