第34話 龍帝国調査隊、来訪
リヴィア龍帝国の外郭都市カルデサック。
普段は傭兵たちや、彼ら相手に商売する屋台の店主らの掛け合いで賑やかな街だ。
だが今日に限っては、街は静まり返っていた。
街道沿いに、整然と並ぶ影。
規則正しい足並み。無駄のない陣形。
それを一目見ただけで、傭兵たちは察する。
「……軍隊が来たぞ」
しかも、地方領主の軍隊ではない。
龍帝国の帝都軍――それも、調査任務に特化した部隊だった。
先頭に立つのは、女性士官。
背筋を伸ばし、余計な動作は一切ない。短く、的確な指示を飛ばしながら、地形と街の出入口を瞬時に把握していく。
「第三班は北側。街道封鎖は最低限でいい。住民は威圧しないように」
淡々とした声。
感情を削ぎ落としたような口調だった。
――彼女の名は、ブリュンヒルデ中尉。
金髪の長い髪を後ろでまとめた、長身の美女だ。龍人らしく、頭部には美しく湾曲した一対の角がある。
無駄のない軍装は体格にぴたりと合い、立っているだけで視線を集める。その名を知らずとも、彼女がこの部隊の“要”であることは、誰の目にも明らかだった。
その背後。
一歩遅れて歩く男がいる。
「ふん……想像以上に田舎だな」
彼はクラウス。
階級章は少佐。ブリュンヒルデ中尉より三つ上の階級だ。だが身体つきは軍人としては頼りなく、細くひょろりとしている。筋肉の厚みはなく、神経質そうな印象が先に立った。
軍服にはまるでアクセサリーのように、バッジがいくつも取り付けられている。戦功や所属を誇示するかのように、胸元はやたらと賑やかだ。
「ちっ、さっさと目的を果たして帝都に帰るぞ」
吐き捨てるような物言い。その声音には、常に誰かを見下している感じが滲んでいる。
その様子を、少し離れた位置から静かに見ていた男たちがいた。
レグルス隊だった。
(どうしてクラウスがこんな所に……いや、出世欲しか頭にないアイツのことだ。狙いは“ヒュドラ”の討伐、王の好感度稼ぎでもするつもりか)
軍装。
部隊配置。
階級章の形状と位置。
かつて軍に所属していたレグルスは、視線を走らせただけで、すぐに察知していた。
「……ん?」
クラウスの視線が、ふと止まる。
次の瞬間、口元が歪んだ。
「おいおい……まさかと思ったが」
一歩、前に出る。
値踏みするような視線が、レグルスに突き刺さった。
「まだ生きていたのか、レグルス曹長……いや、元曹長か」
周囲の空気が、一気に冷えた。
「軍を捨てた男が、今度はド田舎で傭兵ごっこか? 楽しそうでなによりだなぁ、オイ?」
嘲笑。
明確な侮辱。
だが、当の本人は――
レグルスは、視線を逸らした。
「……用件はそれだけか」
短い一言。
怒りも、反論も、そこにはない。
その態度が、火に油を注いだ。
「なっ!? 貴様、上官に対してその言い草はなんだ!」
「上官? 今の俺はド田舎のしがない傭兵のはずだろ? “元”上官どの?」
「くっ……相変わらず口だけは達者なようだな!」
負け惜しみのような呪詛を躱すように、レグルスは踵を返す。そして隊の仲間を連れて、その場を離れた。
「隊長……」
「いいから行くぞ」
何か言いたげなフリッツを、レグルスは視線だけで制した。
そうして無言で移動し、軍の姿が見えなくなったころ。沈黙に耐えきれず、真っ先に声を上げたのはレティシアだった。
「ちょっと! 何なのよアイツの言い草! レグルス! アンタもなんでもっと言い返さないのよ!?」
後ろに控えるもふもふの生き物――クラウディも、ぴきっと毛を逆立てる。
「きゅう!」
威嚇するような声に、レグルス隊の面々も同調した。
「そうだぞ隊長」
「一発殴ってやれば良かったっす」
「今からでも遅くありませんよ?」
あーだこーだと騒ぐ中、マールはぎゅっと口を結んでいた。
(……なんだか、胸がモヤモヤする)
胸の奥に、はっきりとした不快感が広がっている。自分が悪く言われることには慣れ切っている。だが、大切な人がああも悪意を向けられるのを見るのは、初めての経験だった。
そのときだった。
「お前ら、やめろ」
低く、短い声。
それまで無言を貫いていたレグルスが、一歩前に出る。
「いいんだ。アイツと俺の問題だ」
それだけ言って、街の雑踏の中へと消えてしまった。
周囲に残ったのは、収まりきらない感情と、語られない過去だけだった。
◆
龍帝国軍は、ヒュドラの調査を目的として、この地に一時的に駐留することを決めたらしかった。街道沿いでは、軍の兵が一定の距離を保ちながら巡回を始め、いつもより張り詰めた空気が街に漂っている。
その喧騒の中で、レグルスは一人、街の雑踏へと姿を消した。隊としての指示はなく、この日はそれぞれ自由行動となる。
マールとレティシアは行き場のない感情を抱えたまま、並んで石畳の道を歩いていた。
「……納得いかない」
先に口を開いたのは、レティシアだった。
腕を組み、明らかに機嫌が悪い。
「なんで、あんな言い方されて黙ってるのよ! 軍を辞めたからって、あそこまで言われる筋合いないでしょ!」
感情を抑えきれず、言葉が早口になる。
マールは、少し遅れて頷いた。
「マールも、嫌だった」
それだけ。
珍しく、言葉は少なかった。
胸の奥に残る、あのざらついた感覚。
レグルスの背中を思い出すたび、上手く飲み込めない感情がこみ上げてくる。
「はぁ~、もう! やめやめ、気分転換しましょ」
レティシアが、ふいに言った。
「アタシ、腹が立ちすぎてお腹が減ってきたわ」
マールは少し考えてから、こくんと頷く。
「……マールもごはん、食べたい」
「そうこなくっちゃ!」
即答だった。
「ほら、前に聞いたでしょ? アッポロがオススメしていたステーキ食べ放題のお店。もうすぐお昼だし、行ってみましょうよ!」
その名前を聞いて、マールの表情がわずかに和らぐ。
「あ、でも一回お家に帰らないとお金がないや」
今日の予定は魔の森で依頼をこなすことだった。マールも自分のお小遣いを持てるようにはなったが、今ある持ち合わせのお金は最低限しかない。
仕方なく二人は、拠点のある街の一角へと足を向けた。
――だが。
拠点の前まであと少し、というところで、耳に飛び込んできたのは、鋭い怒鳴り声だった。
「帰りな!」
年季の入った、聞き覚えのある声。
「アンタみたいなのに、あの子の居場所を教える気はないよ!」
思わず、足が止まる。
「……え?」
視線の先。
玄関先で腕を組み、仁王立ちになっているのは――ハンナ婆さんだった。
「お婆さんが話してるのって、さっきの……」
レティシアが、目を細める。
「どうか会わせてください……私はレグルスの知り合いなんです!」
ハンナ婆さんの前に立つ軍服姿の女性――ブリュンヒルデ中尉。だが最初の凛とした態度とは全く異なり、必死に懇願する弱々しい姿だった。




