第32話 白い毒熊と不穏な影
レグルスは、白い体毛から視線を外さないまま口を開いた。
「……たしかに、どうしてコイツは体毛が白いんだ?」
低く、思案するような声音だった。
「パープルベアーは名前の通り、基本的に紫毛だ。なのにこいつは白い」
言葉の意味は分からなくとも、自分の話をされていることだけは察したのだろう。白いパープルベアーは、ぴたりと尻尾の動きを止め、こちらを窺うように身を縮めた。
ドクペインが静かに続ける。
「我々人間も極度のストレスを何度も受けたりすると、色素が抜け落ちる例がありますが……」
「追われ続け、逃げ続け、生き延びることだけを優先した結果こうなったってことっすか?」
そんなまさかと、若干引き気味なフリッツ。その隣でレティシアが低く息を吐く。
「見た目は強そうなのに、残念過ぎる……」
「!?」
その言葉に、白い巨体の熊が『がーん』とショックを受けたようにビクリと震えた。
巨体の魔獣は、ぺたん、と腹ばいになる。分厚い前脚をきちんと揃え、額を地面に擦りつけるようにして、シクシクと鳴き始めてしまった。
「……あーあ、レティシアちゃんが泣かせた」
「な、なによ。アタシが悪いっていうの?」
時おり、ちらり。
本当に恐る恐るといった様子で、パープルベアーも上目遣いにレティシアの様子を窺う。
「ちょっと、こっち見ないでよ!」
「くぅ……」
「そんな鳴き声あげたって……わ、悪かったわよ! ちょっとだけ言い過ぎたってば」
喉の奥から漏れる鳴き声は、威嚇とは程遠い。むしろ情けなくて、妙に庇護欲をくすぐってくる。
「……くまさん、どうしたの?」
次の瞬間。
白いパープルベアーは、自分の頭に生えている小さなキノコへと前脚を伸ばした。
ぎゅっ。
両前脚で、思いきり掴む。
「くぅ……っ」
小さく声を上げ、歯を食いしばるような仕草。
そして――
ぶちっ。
鈍い音とともに、キノコがもぎ取られた。痛みを堪えるように、白い巨体がびくりと揺れる。それでもパープルベアーは前脚でキノコを包み込み、そっとレティシアへ差し出した。
「ちょ、なにやってんのよアンタ!?」
突然の奇行に、レティシアが驚きの声を上げる。
「落ち着いてください。これがパープルベアーの習性なんですよ」
「え……?」
「臆病な彼らは普段、敵に会わないよう森の中を移動しています。しかし運悪く遭遇してしまったときは、頭にあるキノコを囮に使って逃げるんです」
「キノコを使って……?」
ドクペインは、差し出されたキノコに視線を向ける。
「とても良い匂いがするでしょう? このキノコ、非常に美味らしいんですよ」
ざわ、と一同の視線が集まる。たしかに、食欲を刺激するような匂いが漂ってくる。
「ですが口にしてはダメですよ? 摂取すると、強い多幸感と酩酊感をもたらしますからね。そして同時に、強力な催眠効果も示します」
「えっ!?」
淡々と説明は続く。
「死ぬことはありませんが、解毒せず食べれば、ほぼ確実に眠気に襲われるでしょう。その間に逃げるんでしょうね」
「へぇ~、そうなの……って待ちなさいよ! アンタ、そのキノコをアタシに食わせようとしたわけ!?」
説明を理解したレティシアが怒鳴ると、マールが「まぁまぁ落ち着いて」と宥めた。
「ゆ、油断ならないわねコイツ……」
振り回されて一気に疲れたと、ため息をつきながらがっくりと肩を落とした。だが脅威であるレティシアを眠らせようとするのは、自然な流れだろう。強者と判断されたことに関しては、レティシアもまんざらでもない様子だった。
「そういうわけで、うまく敵に遭遇しないよう危機管理ができている個体ほど、頭のキノコが育つわけですね」
「つまり有能な奴ほどキノコがデカいと……」
「はい。異性のパープルベアーからもモテるそうですよ」
なるほどな~、とフリッツが感心した声を上げた。
「でも……」
マールは思わず目の前にいる熊とキノコを見比べた。
「この子のキノコは、すっごく小さいよ?」
傘は、せいぜいシメジ程度。
ご立派とは言い難い。
「あ~、まぁつまりだ」
レグルスがまとめる。
「コイツは判断力も逃げ足も、あまり期待できない“ポンコツ個体”ってわけだ」
「~っ!?!?!?」
その言葉が分かったのかどうか。
ショックを受けたパープルベアーは、再び『くぅくぅ』と鳴き始めてしまった。
「……」
一同、沈黙。
気まずいというか、このパープルベアーをどう扱うべきか迷っている様子だった。
最初に口を開いたのは、レグルスだった。
「……見逃してやるか」
「ですね」
フリッツが乾いた笑いを浮かべる。
「必死すぎて、逆に可哀想っす」
「ここまで来ると、殺る気も失せますね」
アッポロも肩をすくめた。
完全に、殺意は霧散していた。
「でもこの子、この後どうなっちゃうの……?」
心配そうなマールに、アッポロが腕を組みながら答えた。
「今のままじゃ、いずれ魔の森で淘汰されるな」
「浅層にも中層にも、もう居場所がないだろうしな」
フリッツが、ぽつりと付け足す。
白いパープルベアーは、その場にぺたりと伏せたまま、小さく鳴いた。
「……くぅ~ん」
限界を悟った声だった。
「はぁ~、これだから弱っちい奴を見てるとイライラすんのよね!」
その様子を見て、レティシアが一歩、前に出る。
腕を組み、白い巨体を真っ直ぐ見下ろした。
「アンタ、本当にこのままでいいの?」
はっきりとした物言い。
情けも、誤魔化しもない。
白いパープルベアーの身体が、びくりと跳ねた。
「このアタシを騙した度胸に免じて、特別にチャンスをあげる。もし、このまま野垂れ死にたくないのなら……」
一拍置いて、レティシアは告げる。
「アタシの舎弟になりなさい」
「……?」
「だから、アタシが守ってやるって言ってんの。どうすんの!? 断れば死ぬしかないわよ!」
一瞬、きょとんとした顔。
だが数秒後、意味が繋がった。
「くぅっ! くぅっ!」
白いパープルベアーは、激しく何度も頷いた。勢い余って前脚がもつれ、転びかけるほどだ。
「ちょ、ちょっと落ち着きなさい!」
思わず、レティシアが声を張る。
「いい? その代わり条件があるわ」
白い巨体は、慌てて姿勢を正すように伏せ直した。
「アタシに歯向かったら、即破門だから」
全力で、首を横に振る。
「それに最強なアタシの舎弟になるんだから、誰かに負けるなんて許さないわよ。もし二度と命乞いなんてしたら――」
言葉を切り、睨みつける。
「頭のキノコ、二度と生えてこなくなるまで引っこ抜いてやるから」
白いパープルベアーは、慌てて両前脚で自分の頭を押さえた。
その必死な様子を見て、マールがぽつりと呟く。
「……レティシアちゃんって、意外と面倒見が良いよね?」
「――っ!?」
「厳しいことも言うけど、この子のためを思ってなんでしょ?」
レティシアの肩が、びくっと跳ねた。
「う、うるさいわね!」
顔を赤くしながら、言い返す。
「コイツを見捨てたら、今日の夕飯が不味くなりそうだったからよ!」
白いパープルベアーは空気を察したのか、小さく鳴いて、さらに深く頭を下げた。
その白い毛並みを見上げながら、マールが首を傾げる。
「そういえば、この子の名前はどうするの?」
「え?」
「くまさん、だと変だし。呼ぶときに困るでしょ?」
レティシアは「たしかに。でも何がいいかしら」と腕を組み、しばらく白い巨体を見つめた。
「……くも、みたい」
ふわふわとした、真っ白な体毛。
空に浮かぶ雲を思わせる色。
レティシアは、ちらりとマールを見る。
「雲か……いいわね、それ」
即決だった。
「決めたわ。今日からアンタの名前は『クラウディ』よ」
龍帝国語で、雲を指す言葉だ。
「くぅっ!」
クラウディと名付けられた白い毒熊は、嬉しそうに鳴き、尻尾をぶんぶんと振った。
こうして魔の森界最弱の毒熊、クラウディはレティシアの舎弟として、新しい居場所を得たのだった。




