第28話 毒舌女王蟻とツンデレ王女様
空気が張りつめた。
女王蟻が完全に姿を現した瞬間、魔の森の浅層とは思えないほどの圧が周囲を満たす。肥大した腹部が地面に沈み込み、複眼がぎらりと光った。
「……毒舌女王蟻か」
低く呟いたのはレグルスだった。
「出たっすね……あの、性格も性質も最悪なやつ」
フリッツが顔をしかめる。
「なんで“毒舌”なの?」
思わずマールが小さく尋ねると、アッポロが即答した。
「舌から毒フェロモンが出るからだ。それを使って配下の蟻たちに命令している」
「しかもその命令が過激なんですよ」
ドクペインが淡々と補足する。
「女王のフェロモンを浴びると、配下の兵隊蟻は痛覚が鈍化して、むしろダメージを受けるほど興奮する。だから通称――」
「ドM蟻、ってわけね」
レティシアが鼻で笑った。
その直後。
女王蟻の口器がゆっくりと開き、舌のように伸びた器官から、紫がかった霧が噴き出した。
毒フェロモンだ。
甘ったるく、鼻の奥を刺す匂い。
同時に地面の下で、無数の気配が蠢いた。
「来るわよ!」
ぼこぼこと地面が盛り上がり、2メートル近い体躯の兵隊蟻が次々と飛び出してきた。
レティシアがタイミングよく踏み込み、拳を振るう。
響く炸裂音。
彼女に襲い掛かろうとしていた蟻たちが、まとめて弾け飛んだ。殻が砕け、体液が飛び散る。
「……相変わらず火力おかしいっすね」
フリッツが呆然と呟く。
だが、次の瞬間だった。
「次が来るぞ!」
レグルスの声と同時に、別の地面から兵隊蟻が飛び出した。
レティシアは即座に倒そうとするが、女王蟻の毒フェロモンが再び放たれた。すると今度は、レティシアの死角を突くようにドM蟻たちが連携した動きを見せ始めたではないか。
「……ちっ、数で来るのは反則でしょ」
苛立ちを滲ませた声。形勢が不利になることはないが、ドM蟻が次から次へと湧いてくるので、肝心の女王蟻まで近づけない。
その背後で、マールは状況を見極めようとしていた。
(女王さんが、全部、命令してる……なら……)
小さな手が、きゅっと握られる。
次の瞬間。
透明な結界が女王蟻を中心に、円状に展開された。毒フェロモンが、壁にぶつかって弾かれる。
『!?!?』
女王蟻の複眼が揺れた。
さらに女王蟻からレティシアまでの間に、壁のような結界が地面から生えた。まるでモーゼの海のように、兵隊蟻が邪魔してこないよう道を作ったのだ。
「……っ」
レティシアは、はっきりと感じた。
敵の動きが、制限されている。
邪魔が入らない。
自分の攻撃に、集中できる――。
「……なるほど」
口元が、自然と吊り上がった。
「アンタ、ただの荷物運びじゃないのね」
踏み込む。
女王蟻の目前まで、一気に距離を詰める。
拳が唸りを上げた。
次の瞬間――。
女王蟻の巨体が、地面に叩き伏せられた。
――毒舌女王蟻、討伐。
魔の森に、静寂が戻った。
しばし、誰も動かなかった。
倒れ伏した女王蟻の巨体から、毒フェロモンの残滓がゆっくりと霧散していく。地面の下で蠢いていた気配も、嘘のように消えていた。
「……終わった、か」
レグルスが周囲を警戒しつつ、低く息を吐く。
その直後だった。
「じゃあ、今のうちに――」
マールが迷いなく動いた。
女王蟻の腹部へと駆け寄り、両手を前に差し出す。次の瞬間、毒腺を包み込むように、透明な結界が幾重にも重なって展開された。
「女王蟻の毒腺は、触れただけで即死級だぞ」
アッポロが唸るように言う。
「うん。でも、こうすれば大丈夫だよ?」
マールは屈託なく答え、結界の形を微調整する。その手つきは慎重で、無駄がない。やがて、安全を確保したまま、毒腺だけが綺麗に切り離された。
「……信じられない」
ぽつりと漏らしたのは、レティシアだった。
戦闘の強さだけではない。
危険物を、危険だと理解したうえで扱い切る。その姿は、彼女がこれまで一人で魔の森を生き抜いてきた中でも、見たことのない“在り方”だった。
(戦えるだけじゃない……魔の森に、適応してる……)
「レティシアちゃん!」
マールが振り返り、ぱっと笑った。
「すごかった! あんな大きいの、一撃で倒しちゃうなんて!」
「……え? ま、まぁね! アタシにかかればアレぐらいどうってことないわよ!」
ふん、と胸をそらして自慢げにするレティシア。そんな彼女へマールは抱き着いた。
「かっこよくて、強くて……大好き!」
「なっ――!?」
一瞬、思考が止まる。レティシアの顔が、一気に熱を持った。
「そ、そういうこと、簡単に言わないで!」
語気は強いが、視線は完全に迷子だ。
そして、ぽつりと。
「……アンタも凄かったわよ。怪我、してなくて……よかったわ」
その一言で、空気がふっと緩んだ。
マールは満面の笑みを浮かべる。
「ホントに? じゃあ、また一緒に依頼受けてくれる?」
少しの沈黙。
レティシアは顔を背けたまま、間を置いて。
「……か、考えてあげる」




