第26話 結界トロッコ、実戦投入
魔の森・浅層。
木々の隙間から差し込む光はまだ柔らかく、足元の下草も低い。だが、油断すれば魔獣が現れるのが魔の森という場所だ。
その中をころころ、と。
穏やかな音を立てて、不釣り合いなほど目立つピンク色の結界トロッコが進んでいく。
「魔獣の気配なし。このまま進むぞ」
「「「了解」」」
「はい!」
前方ではレグルスが先行し、周囲を警戒しながら歩いていた。アッポロとドクペインが左右を固め、フリッツは後方を確認する。
そして中央。
マールは、結界トロッコの前方に設けられた子供用のステップに立ち、進行方向を向いたまま中に乗っていた。買い物カートのような簡易的な足場で、両手を前に伸ばしながら結界の動きを操っている。
そしてトロッコのメイン部分――後方の荷台には、これまで隊員たちが背負っていた荷がすべて収まっていた。水袋、ロープ、採取用の籠、予備の武器。さらには、先ほど採取したばかりの薬草や素材まで。
その分、隊員たちの身は驚くほど軽い。
「……これは、楽だな」
思わず漏れたアッポロの声は、実感がこもっていた。
「荷がないだけで、視界も動きも全然違うっす」
フリッツは弓を構えたまま、周囲を見渡す。
これまでの行軍における荷物の存在は、頭を悩ませる要因だった。重ければ移動速度は落ちるし、魔獣との接敵があれば素早く取り外す必要があった。かといって装備を減らせば、緊急時に困る。
先日のヒュドラ遭遇の際も、実を言うとレグルス隊はかなり危険な状態だった。ヒュドラから全力で逃げるために、かなりの荷物を投げ捨てる必要があったし、その後は王国領の魔の森をさまようことになった。あのとき運が悪ければ、隊が壊滅していてもおかしくなかったのだ。
とはいえ、そのおかげでレグルス隊はマールと出逢えたので、両者にとって幸運ではあったのだが。
――話を今に戻そう。
おおかたの荷物は、結界トロッコの中だ。必要になればすぐに止められる。拡張することもできる。
「……馬車や荷車と違って、森の中を移動できる点も優秀だ」
レグルスは歩きながら、低く呟く。
視線の端で、結界トロッコがわずかに速度を落とした。前方の地形が緩やかな下りに差し掛かったのを、マールが察したのだ。
「ここ、狭いからちょっと細くして……」
小さな声でそう言うと、トロッコはほんの少しだけ縦長に伸びた。体積は変わらないので、中の荷があふれることもない。
しばらく進み、今度は採取ポイントに到達する。
「よし、ここだ」
レグルスの声に、マールはすぐに反応した。
結界の側面が、するりと広がる。
荷台部分が少しだけ拡張され、採取物を入れやすい形になる。
「はい、ここに入れていいよ」
言われるままに、アッポロが薬草を刈り取る。続いてフリッツが素材袋に放り込み、ドクペインが慎重に毒草を隔離して収納する。
「本当に便利だな」
「もうマールなしの仕事は考えられないっすね」
「今までは採取を断念していたものまで取れるので、感謝しかありませんよ」
移動は速い。
疲労は少ない。
採取の量も増える。
半日も経つころには、荷台の中はいつもより明らかに多くなっていた。
それでもマールの様子に、変化はない。
息が上がることも、ふらつくこともない。
結界は途切れず、操作も鈍らない。
止めて、動かして、広げて、また進む。
それを当たり前のように、同時にこなしている。
「……なぁ」
アッポロがぼそりと声を落とした。
「普通の魔法使いなら、とっくにへばってる頃じゃねぇか?」
「半日近く維持してるっすよね」
フリッツも頷く。
「しかもまだ余裕そうですしね……」
ドクペインは結界を眺めながら、静かに言った。
三人の視線が、自然とマールへ向く。
結界トロッコの運転席で、マールは小さく伸びをしている。
「疲れたか?」
レグルスがそう声をかけると、彼女は首を振った。
「ううん。だいじょうぶ」
その言葉は、嘘には聞こえなかった。
レグルスは、わずかに眉をひそめる。
(……だが何かあっては困るな。よし。)
「念のため、休憩にしよう」
レグルスの指示で、隊は木立の切れ目で足を止めた。
結界トロッコはその場で静止し、マールは前方のステップからぴょんと降りる。草の上に腰を下ろし、少し遅れてパンを頬張り始めた。ハンナ婆さんが作ってくれた特製の河豚フライバーガーである。
その間、レグルスたちは自然とトロッコへ視線を向けていた。
「……なぁ」
最初に声を漏らしたのはフリッツだった。
「さっきまで、こんな模様……ありましたっけ?」
言われて、全員が改めて結界トロッコを見る。
目立つピンク色の結界の表面に、いつの間にか細やかな装飾が走っていた。縁取りのような曲線、絡み合う蔓を思わせる模様、小さな実を象った意匠。
どれも浮き彫りのように立体感があり、ただの線ではない。
「……貴族の馬車みてぇだな」
アッポロが目を丸くする。
確かにそうだった。
街で見かける高位貴族の馬車――職人が手間を惜しまず彫り込んだ、あの装飾に酷似している。
「マール」
レグルスが静かに呼ぶと、彼女はハンバーガーの最後のひとかけを飲み込み、顔を上げた。
「なに?」
「……その模様は、いつ付けた」
マールは少し考えるように首を傾げてから、あっさり答える。
「さっき」
「さっき?」
「うん。街で見た、きれいな馬車。あれ、すごく好きだったから。森の中を移動してる間につけてみたの」
そして、指先で装飾の一部を指した。
「これはね、コブラ苺のツタ。こっちは実」
確かに、よく見れば蔓の曲がり方や実の配置は、魔の森で見慣れた植物を思わせる。だが、それを装飾として再構成する発想も、仕上がりも――
「……天才か?」
ドクペインがぽつりと漏らした。
「マールは、見たものをそのまま結界にできるのか?」
レグルスの問いに、彼女はこくんとうなずいた。
「うん。見たまま、思い出せば……できるよ」
それがどれほど異常なことかを、本人だけが分かっていない。しばしの沈黙のあと、レグルスが冗談めかして言った。
「じゃあ俺を作ってみろ」
「え?」
一瞬きょとんとしたマールだったが、すぐに目を輝かせた。
「いいの?」
「……ああ」
彼女はその場に小さく息を整え、指先で空間をなぞる。次の瞬間、結界が淡く輪郭を持ち、人型の形状が組み上がっていった。小さな手の動きに合わせて、迷いなく形が与えられていく。
数分後。
そこに立っていたのは――レグルスだった。
鎧の比率、肩幅、立ち姿。
無骨な輪郭と、癖のある髪の流れまで。
目の前に立つ本人を、そのまま切り取ったかのような出来映え。
「…………」
隊員たちは言葉を失った。
「こわ……」
フリッツが本音を漏らす。
「いや、すげぇけど……」
アッポロも引きつった笑みを浮かべる。
レグルス自身も、わずかに目を細めたまま動けずにいた。
「……もう一つ、確かめてみましょう」
ドクペインが紙と炭を差し出す。
「これで、絵を描いてみてください」
マールは素直に受け取り、地面に座り込む。炭を走らせる手に、迷いはない。
森の景色。
隊員たちの姿。
結界トロッコ。
歪みはなく、距離感も狂っていない。
縮尺すら、ほぼ正確だった。
「マールは結界魔法の才能が異常だと思っていたが……空間把握能力、観察力、再現力。それらの方も別格だったわけだ」
レグルスはそう結論付けると、フリッツが口を開いた。
「でも、どうしてそんなことまでできるように……」
ポツリと呟かれた疑問に、マールは恥ずかしそうに頬を染めた。
「昔ね、……おなか、すごく空いてたときに、地面に、ご飯の絵を描いてたの。パンとか、くだものとか」
小さな指が、炭で描いた丸をなぞる。
「そうすると……ちょっとだけ、気分がまぎれる気がして……」
その言葉に、レグルスは理解した。
ただの才能ではない。想像したものを正しく形にする訓練を、彼女は何度も何度も重ねてきただけだ。
「……結界が精密なのも、納得だ」
低く呟き、レグルスはトロッコを見る。
「だが、この異様な魔力量はどういう理屈なんだ?」
――――――――――――
【王城・執務室にて】
夜更けの執務室は、静まり返っていた。
書類の山と燭台の火だけが、白い壁に揺れる影を落としている。
「……陛下」
低く、ためらいがちな声。
国王ダグレスは筆を止め、顔を上げた。
「言いたいことがあるなら、はっきり申せ」
声は穏やかだが、疲労がにじんでいる。
「恐れながら……」
側近は一歩前に出て、深く頭を下げた。
「マール様の件です」
その名を聞いた瞬間、国王の指がわずかに強張った。
「……陛下が、あの子に十分に目を向けてこなかったこと。それが、今の状況を招いたのではありませんか」
空気が張りつめる。
「もっと早く、陛下ご自身が様子を見に行かれていれば……」
その言葉を、国王は低い声で遮った。
「――言うでない」
ゆっくりと椅子から立ち上がり、机を回って側近の前に立つ。
「余が、マールのもとへ行きたいと言った時。そなたたちは、なんと言った?」
側近は、言葉に詰まる。
『マール様の命を狙う者がはっきりするまで危険です』
『陛下が不在になれば王国は一大事です』
国王の声は次第に強くなる。
『今は耐えるべきです』
『父ではなく、王でいてください』
一つ一つ、突きつけるように言い放つ。
「それを言ったのは、誰だ?」
沈黙。
「……余は王だ」
国王は、深く息を吐いた。
「だが同時に、父でもある」
窓の外、月明かりに照らされた王都を見下ろす。
「会いたかったに決まっている。声を聞きたかった……抱きしめたかった」
震えを抑えるように、拳を握る。
「それでも余は、王国を守る選択をした。そして、あの子を守るために、離れることを選ばされた」
しばしの沈黙の後、国王は静かに続けた。
「間違っていたとは、思わぬ。だが……苦しくなかったといえば、嘘になる」
側近は、深く頭を下げる。
「……無礼をお許しください、陛下」
国王は小さく首を振った。
「よい」
机の上には、折り畳まれた一通の手紙が置かれていた。
「余は、あの子が笑っているなら、それでいい」
そして、誰に向けるでもなく、静かに言葉を落とす。
「……今も、マールを見守り、応援してくれている者たちへ」
国王は、深く、ゆっくりと頭を下げた。
「心より、感謝する」
「余の娘を、見つけてくれてありがとう。想ってくれて、ありがとう」
燭台の火が、静かに揺れた。
作者からも、皆様へ心よりの感謝を!!
本作をご覧くださり、ありがとうございます!




