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第24話 結界は走るためのものじゃない


 その日は、朝からマールの機嫌がよかった。


 レグルスたちの拠点、その一角にあるマール用の小さな部屋。簡素な寝台と木箱、壁際の鏡しかないが、彼女にとっては今の居場所だった。



 マールは鏡の前に立ち、胸元に下げた小さなペンダントに、何度も視線を落としてしまう。

 素朴な円環の意匠が刻まれたそれは、昨日レティシアからもらったものだった。ピンチのときに音が鳴る、簡易の魔導具。


 指先でそっと円環をなぞり、マールはえへへ、と頬を緩める。


(レティシアちゃんと、仲良しの証……)


 派手でも高価でもない。

 それでも、自分のことを考えて選んでもらった、その事実が嬉しかった。


 しばらく、鏡の前で首元のペンダントを揺らしては、にやにやしていた、そのときだった。



「マール、居るか?」


 低い声が、扉の外から響いた。

 びくっと肩が跳ねる。


「……は、はい」


 慌ててペンダントを服の内側にしまい、外へ出ると、そこには腕を組んだレグルスが立っていた。表情は落ち着いているが、いつもの優しい気配はない。


「少し話がある。こっちに来てくれるか」


 連れて行かれたのは、拠点の食堂だった。

 椅子に腰を下ろしたレグルスは、しばらく黙ったままマールを見つめる。


「先日、カルデサックの街中で王女様と鬼ごっこをしたそうだな?」


 胸が、きゅっと縮む。

 ――街中で走ったこと。人目についたこと。少し、楽しくなりすぎたこと。


「み、見間違いじゃないかな……」


 反射的に、そう答えてしまう。

 レグルスは否定も肯定もせず、淡々と続けた。


 街では、奇怪な魔法を使い、子どもが一瞬で視界から消えたという目撃談が出回っているという。それに、あまりの速度のまま岩にぶつかった――そんな話まで混じっている。



「それでも、マールじゃないと言うか」


 逃げ場は、なかった。


「……ごめんなさい。マールです」


 俯き、小さくそう認める。

 レグルスは短く息を吐き、少しだけ声音を和らげた。


「街で少し騒ぎになったくらいなら、気にするな」


 マールが思わず顔を上げる。


「大人の傭兵連中のほうが、よっぽど馬鹿なことをしている。酔って喧嘩だの、賭けに負けて泣きわめくだの……毎度のことだ」


 肩をすくめるようにして、続ける。


「それに比べれば、子どもが走り回った程度だ。いちいち叱る話でもない……命に関わらなければ、だ」


 一拍置いてから、視線を戻す。


「今度は、結界で何をやった」


 責める調子ではない。ただ事実を求める声だった。



「えっと……足と地面に結界をはって……」


 マールは言葉を探しながら続ける。

 足の裏と地面、それぞれに結界を張り、摩擦を消す。触れるとつるつる滑る状態にして、その上を移動したのだと。


「それでね、すごく速く移動できるようになったんだよ!」


 説明を聞き終えた瞬間、レグルスの眉がわずかに動いた。


「あー……駄目だ、マール。それは危険すぎる」

「え……」


 即断だった。


 転べばマールが怪我をする。最悪の場合は周囲を巻き込む。そもそも自分で制御できない魔法は何が起きるか分からない――そうした危険性を、一つひとつ噛み砕くように告げる。



「というわけで、その移動方法は本当に必要な時以外は、基本的に禁止だ」


 マールは、ぎゅっと拳を握る。


「……はい」


 言葉が、そこで途切れた。


 マールがしょんぼりしているのは明らかだった。けれど、それは“叱られたから”ではない。


 椅子の上で小さく身じろぎし、視線を落としたまま指先をもじもじと動かしている。その仕草に、戸惑いと迷いがにじんでいた。



「……レグルスおじさん」


 呼びかける声は、いつもより少しだけ弱い。


「……マール、だめ、だった?」


 確かめるような問いだった。

 レグルスは、すぐには答えなかった。


 その沈黙に耐えきれず、マールは言葉を継ぐ。


「はやく移動できたら……荷物はこぶのも……食べ物集めるのも、楽になるかなって……」


 膝の上で指を絡め、ぽつりと続ける。


「はやかったら……すぐ、逃げられるし……」


 結界で速く走れたことが、ただ楽しかっただけじゃない。“できた”ことよりも、“もっと役に立てるかもしれない”と思えたことが、何より嬉しかったのだ。



 レグルスは一瞬、言葉に詰まった。

 そして、低く息を吐く。


「勘違いするな。お前の努力や思いを否定しているわけじゃない」

「……うん」

「それにな。なんでもかんでも他人の役に立つかどうかで考えるな」


 叱る声ではなかった。


「他人からの評価を基準に自分の価値を確かめてばかりいては、いつか心がしんどくなるぞ……まぁ、マールはまだ幼いんだ、それは段々と分かればいい。それよりも」


 そう言ってレグルスはしゃがみ込み、マールに目線を合わせると、彼女はきょとんと目を瞬かせた。


「お前はもっと子どもらしく、我儘になっていい」


 少しだけ、口元が緩む。


「王女様に『友達になれ』って迫ったんだろ? そんなふうに、自分の気持ちや願いをもっともっと、相手に言えるようになれ」



 ◇


 その日の午後。

 レグルスとマールは気分転換がてら、街へ買い出しに向かった。


 そしてひと通りの必要物資を手に入れた二人は、並んで石畳の通りを歩いていた。昼下がりのカルデサックは人通りも多く、荷を積んだ馬車や商人、冒険者たちの声が行き交っている。


 その流れの中で、マールは不意に足を止めた。



「おじさん、あれって……」


 通りの先を、大きな影がゆっくりと横切った。土色をした二足歩行の亜龍種が、荷車を引いている。


「あぁ、リザード馬車か。マールは見るのは初めてか?」


 トカゲに似た鱗の身体に、三メートル近い小型恐竜を思わせる骨格。歩幅は大きく、地面を踏みしめるたびに、ズシリと重たい音が響く。だがその背中から尾にかけての動きは滑らかで、見ていて不思議な安心感がある。



(おっきくて、力持ち……すごい!)


 そして今度は別の方向から、緑色のリザードがやってきた。マールは、その亜龍種の身体をじっと見つめてから、レグルスの袖を引いた。


「ねえ、レグルスおじさん。違う色の子もいるの?」

「ああ。鱗の色で役割が違うんだ。脚力に向いた個体もいれば、山登りに強い色の奴もいる。水辺で使うなら、泳ぎに特化した種もいるぞ」


 マールは目を丸くする。


「……みんな、ちがうお仕事?」

「そうだ」


 レグルスは頷いた。


「用途に合わせて役目を分ける。まぁ、そこは俺たち人間と同じだな」


 そんな説明を受けている間も、マールはリザードと荷車をじっと見つめている。しばらくして、小さな声がこぼれた。



「……すべるんじゃなくて……乗せて、動けたら……?」


 レグルスは、ゆっくりとマールの方を見た。

 ――あ、まただ。

 新しい結界の使い方を思いついたとき。この子は決まって、自分の世界に入り込んでしまう。


(どうする? 危険なことを始める前に止めるか?? いや――)


 レグルスは顎に手を当て、しばらく悩んだ末に、


「……まずは、安全な場所で実験してからにしろよ?」


 考えを180度変え、彼女の後押しをすることにした。


 その一言に、マールの顔がぱっと明るくなった。レグルスは、思わず小さくため息をつく。


(まったく……俺に厳しい親は無理だな)


 そう思いながらも、口元はわずかに緩んでいた。



 ――今日も今日とて。

 この保護者は、めっぽう娘に弱いのであった。




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― 新着の感想 ―
あまりこういったことは言いたくないのですが、今回のおまけ部分のようなあからさまな『☆評価くれくれアピール』は個人的には逆効果でした。 ☆は読ませてもらったお礼代わりにいつも押していますので、強請られて…
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