サイフェイ
シンシャと話し合いがなされるまでの間、蓮瑛はとにかく体調を整えること第一に過ごしていた。
碧砂国の食事は羊肉や小麦粉を使った料理が主流で、龍華国人の蓮瑛にはなれない味付けや食材であったのだが、王宮の料理人達が蓮瑛が食べやすいように工夫を凝らしてくれたお陰で、少しずつ食事量も増えていったのだった。メイリンが、シンシャからの指示だと教えてくれたので、その気遣いに蓮瑛はますます心惹かれていくのだった。
医師の許可が下りると体を動かす為に、王宮を探索して回った。龍華国の建造物とは違う、碧砂国の王宮は異国情緒あふれる建築様式は見ていて飽きないものばかりであった。
特に中庭は静謐な美しさに包まれていた。高い壁に囲まれ、外部からの喧騒から隔てられているかのようだった。中庭の中央には小さな噴水があり、その水の音が更に静寂を深めている。噴水の周りには植物が配置され、蓮瑛が見たことも無い花々が風に揺られていた。
穏やかな空間に身を置いたことで、蓮瑛は自分を見つめている視線に気づいた。回廊から誰かがこちらを見ていたのだ。若い女性の集団であった。声は聞こえないが、何事かをこそこそと話し合っているように見える。
蓮瑛が気づいたことに気づいた彼女達は逃げるように去っていく。それを蓮瑛の傍らで見ていたメイリンは憤慨していた。
「一体どこの者達かしら。大事な御客様に対して、何て恥知らずな!」
「いいのよ。他の国の人間がいたら誰だって珍しく思うわ」
そう言って蓮瑛は鷹揚に振る舞ってみせたものの、同じようなことは度々あり複雑な気持ちを抱えることとなった。
ある時、今度は蓮瑛の方が少女達の集団を見つけたのだ。何を話しているのか気になって、お喋りに夢中で仕事を怠けている者達を叱りつけようとしたメイリンを蓮瑛は止めて身を潜めたのだった。
「あんな見すぼらしい小娘を連れてきて、陛下は一体どういうおつもりなのかしら?」
「愛人にでもするつもり、とか?」
「やだぁ!陛下はそんな浅ましい真似をされる御方じゃないわよ」
蓮瑛は、その言葉が心に突き刺さるのを感じた。そして自分が周りからどのように見られているか理解した。
「もしかして御妃様にするとか?」
「まさか!陛下にはサイフェイ様がいらっしゃるのよ」
「そうよ!サイフェイ様より、あのどこの馬の骨とも知れない女を選ぶなんて有り得ないわ」
キャハハと静謐な王宮には似つかわしくない甲高い声を上げながら、少女達は去っていく。
しかし、蓮瑛は少女達の発言に傷つくよりも、隣で今にも飛び出さんばかりに怒り狂っているメイリンを止めることの方が重要であった。事を荒立てたいとは思わないのだ。彼女達の発言は人間性を疑うものではあるが、内容としては間違ってはいない。民達から愛される王であるシンシャの隣に立つには蓮瑛は相応しくないのだから。
「サイフェイ様、という方がいらっしゃるの?」
メイリンの怒りの矛先を逸らす為に、蓮瑛は少女達が話題にしていた『サイフェイ』という人物の名前を口にした。思った通り、メイリンは少しバツが悪い顔になって口を噤む。先日、『シンシャに恋人はいない』と言った手前、気まずいのだろう。
「あの方達の話の様子だと、シンシャ様とはお似合いの方のようね」
「い、いえ!サイフェイ様は陛下の従姉様でございます」
「従姉?」
首を傾げて聞き返すと、メイリンは渋々とサイフェイという女性の話を始めた。
「サイフェイ様は陛下の叔父君の御息女でいらっしゃいます。摂政であった父君と共に幼い頃から王宮に住んでいらっしゃいます」
幼い頃に父王を亡くしたシンシャが国を運営する為には、彼を導く存在が必要であった。そこで選ばれたのが先王の弟で、シンシャの叔父が摂政として政務を執り行ったのである。
「陛下が成人され、政務に御自身で携わるようになってから、すぐに摂政の座を退かれましたが、お身体が優れない為、王宮にお留まりになっています。陛下も叔父とはいえ、親子のような御関係でしたからお世話をしたいのでしょうね」
蓮瑛はメイリンの説明を興味津々で聞き入っていた。
「サイフェイ様は非常に賢明で、幼少の頃から陛下と共に過ごされてきた御親戚でもあります。あの方は陛下にとって、家族同然の存在であり、王宮内外からも尊敬と信頼が厚いのです」
メイリンの声には敬意が感じられた。蓮瑛もその言葉から、サイフェイが碧砂国の王宮に置いて非常に重要な立場にあることを理解する。
「だから、あの方達はシンシャ様はサイフェイ様を御妃様に迎えると思っているのね」
蓮瑛は、心に微かな喪失感が広がるのを感じた。シンシャとの距離が遠くなっていくような心地が悲しくてたまらなかった。けれども自分の寂しさなどシンシャの幸せの前ではどうでも良いことだと彼女は気づいたのだ。
恩人の娘であり、シンシャと深い絆を持ち、誰もが敬意を払う女性――国の為に結婚すると考えるシンシャにとって、これほど最良の相手は他にいないだろう。二人の結婚は彼が望む幸せに違いない。碧砂国が繫栄し、シンシャが幸せである限り、蓮瑛は自分の感情を抑え、二人の幸せを応援し続ける覚悟を決めたのだった。
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