新天地での朝
朝の光が差し込む寝室で、蓮瑛は静かに目を覚ました。
まだ眠気が残っている中、彼女は周囲を見回す。見慣れない家具や絨毯を目の当たりにし、自分が異国の地にいるのだと思い出したのだった。
「おはようございます。蓮瑛様」
彼女の名はメイリン。シンシャが蓮瑛につけてくれた侍女だ。年の頃は蓮瑛の親と同じくらいの世代だろう。
「おはよう……」
蓮瑛は喉が渇いていたのか、声も乾いたようにかすれていた。
メイリンはすぐに用意していた水差しを取り、優雅に蓮瑛に差し出す。蓮瑛は礼を言って一口飲むと、人心地がついた気がした。
碧砂国の王宮は周囲にオアシスが広がり、緑豊かな庭園が美しく整えられている。それでもなお、空気は乾いていた。微かな風が吹いても湿り気を感じることはなく、唇や皮膚が乾燥していると感じる。
「ごめんなさい、メイリン。貴女に面倒ばかりかけてしまって……」
申し訳なくて、蓮瑛の口からは謝罪の言葉が零れ落ちる。しかし、メイリンはにっこりと微笑みながら、蓮瑛の言葉を遮った。
「気にすることは何もございません。慣れない者が旅に出て、体を壊すなんてよくある話です。まして蓮瑛様はこの地へ、たったお一人でいらしたのですから、仕方のないことですよ」
正確には途中までは供はいたのだ。荷車を操る御者が一人だけ。
碧砂国まで送ってくれる予定だったのだが、彼はあまりに見すぼらしい花嫁道中が碧砂国の怒りを買うことを恐れたようだった。気づけば途中の宿に置き去りにされていた。良心が咎めたのか宿代だけは払ってくれたようだが、これで本当に一人になってしまったのだと思うと悲しくて仕方なかった。
蓮瑛の頭には逃げることや諦めるなどということは考えず、ひたすらに碧砂国のある西方を目指した。
慣れないながらも驢馬を操って碧砂国を目指した。その道のりは遠く、見知らぬ土地での旅は不安で満ちていた。だが、彼女は勇気を振り絞り、一歩ずつ進んできたのだ。
けれども旅路の途中で車輪が動かなくなってしまった。見れば車輪と軸の間に砂が入り込んで詰まり、固まってしまっているようだった。荷車を動かすことも出来ず、さりとて直すことも出来ずに途方に暮れていた時に、隊商に出会ったのだ。
隊商に救われた蓮瑛は、親切な彼らの言葉に甘えて共に旅を続けた。そこで蓮瑛は奇跡的な出会いを果たした。
国境を越えた先のオアシスで仲間達と共に休んでいた蓮瑛の前に現れた男達。その内の一人は、厚いローブに顔布をつけて、人相などは何も分からないのに、蓮瑛には他の者達とはどこか違うように見えた。
彼こそが碧砂国の王・シンシャ――龍華国の皇帝に命じられた、蓮瑛の夫となる男であった。
彼は何も持たない蓮瑛が『龍の巫女』であるなんて現実味の無い話を信じてくれた。
王宮に迎えてくれると言われて嬉しかった。龍華国では、蓮瑛が無能だと分かると誰も彼女の話を聞いてくれなくなってしまったから、信じてもらえたことが泣いてしまいそうになるくらい嬉しかったのだ。
差し出されたシンシャの手を取ろうと近づいた時、顔布に覆われた顔から青い瞳が覗き、蓮瑛はその美しさに胸が打たれた。
彼の美しさに心を奪われたまま、彼の手に触れた瞬間、奇跡が起きた。何物も吹き飛ばしてしまうように強く、けれど清涼な冷風は、まるで神の祝福のように感じられた。
蓮瑛は過去に一度だけ、同じことを経験した覚えがある。龍の巫女の任命の儀を行った時も同じ風が吹いたような気がしたのだ。まさかとは思ったが、巫女を解任された今となっては思い過ごしだと蓮瑛は自分の勘違いだと胸の内にしまったのであった。
王宮に着いた蓮瑛は客間に案内され、諸々の世話を受けて休まされた。
長旅の疲労が顔に出ていたのか、蓮瑛の華奢な体躯は碧砂国の人々の心配を煽ったようだった。本来なら、すぐさま話をすり合わせるべきだったのだろうが、彼女は彼らの厚意に甘えてしまった。心地よいベッドに身を委ね、蓮瑛は安堵の眠りに落ちていった。
休息を与えられて既に三日が経過していた。静寂な客間を訪ねる者はなく、蓮瑛はゆっくりと静かに体を休めることが出来た。メイリンを始め、王宮の侍女達が優しく世話をし、疲れを癒してくれる。だが、有難いと感謝していても、蓮瑛は己の無能さを知っている為に、その優しさを受け取って良いものなのか悩ましく、複雑だった。
「あとで御医者様がいらっしゃいますから、許可が出たら陛下との面会を調整しましょう」
メイリンの優しい声が耳に届き、蓮瑛の気持ちは少しだけ上を向いた。
力を失っている以上、花嫁として相応しくないと判断されるかもしれない――そんな思いが蓮瑛の心を過る。しかし、そんな不安を抱えながらも、蓮瑛は自分に出来る仕事を見つけようと考えていた。碧砂国に置いてもらえるように。
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