忠義と理不尽な陰謀
しかし、出奔するということは全てを国を捨てるということ。これまでの地位や名誉も捨てるということだ。
名実ともに英雄となった天曜に、それらを捨てさせて良いのか、明慧は迷った。けれども、年相応の青年らしく蓮瑛に笑いかける主人の姿も知っている彼は、忠義の狭間で揺れ動いた。
その動揺を見抜いた天曜は、ふっと小さく笑った。
「明慧。お前の言いたいことは分かっている。だが、そもそも私が軍で地位を求めた理由こそ、蓮瑛の為だ」
「そう、なのですか……?」
「あぁ。蓮瑛は皇宮に迎えられてすぐの頃から皇后の手の者から不遇に晒されていた。私も改善に動いてくれと働きかけたが、全く境遇は変わらなかった」
二年前の時点では、丞相の息子とはいえ跡継ぎでもない次男の天曜の話に、皇后の機嫌を損ねてまで耳を傾ける者などいなかったのだ。蓮瑛の窮状知りながらも、手を差し伸べることの出来ない自分に彼は腹立たしさを感じていた。
だからこそ、自分自身の手で力をつかみ取ることを決めたのだ。
「ようやく龍の巫女に相応しい地位を得たと帰還したのに、結果はこのザマだ」
自嘲するような呟きに、明慧は胸が締め付けられるような気持ちになる。天曜は何でも器用にこなしていくように見えるが、努力を欠かすことはない。北方の蛮族達を打ち倒す為に綿密な計画を立て、自らも命を削って戦線に加わったのだ。
あと少しで望みが叶うと思った矢先に、その望みは私利私欲に走る人間達に呆気なく砕かれてしまったのである。
「分かりました。これ以上、何も言うことはありません。今の貴方様の力があれば、どこへ行こうと暮らしていけるでしょう」
覚悟を決めた主人を、これ引き留めるのは無粋と思い、明慧は快く送り出すことを決めた。けれども、その言葉に対して天曜は少しだけ目を見開いて言った。
「何だ。明慧、お前は残るつもりなのか?」
「え?」
「私はこの国に戻って来るつもりはないのだ。であれば、お前も支度をするものじゃないか?」
まるで自分が付いて来るのは当然のことだと言わんばかりの物言いに、明慧は呆れながらも嬉しくて思わず笑ってしまった。幼い頃から忠義を尽くしていたとはいえ、全く省みない主人というものもいる。
「明慧のように、よく働いてくれるものを新たに探すとなると骨が折れるな……」
「いえ!まだお側で働かせてください!」
こうして主従は龍華国を出奔することになったのだった。
荷物をまとめる明慧が、ふと気になっていたことを口にした。
「ところで、天曜様は何故皇宮に行ったんですか?」
今朝、天曜は突然皇宮に行くと言い出し、供回りを揃えている間に飛び出して行ってしまったのだ。追いかけることも出来たが、私的な部分では気まぐれなところがある主人だと知っていた明慧は様子見することにしたのであった。
天曜は平然とした顔で答えた。
「あまりに腹が立ったので、香蘭の阿呆に釘を刺して来た」
元より立雲水の第一夫人と第二夫人の仲は悪いのだが、その子供達にも母親達の関係性は引き継がれていた。
特に天曜は香蘭の、何の根拠も無い高慢さに呆れ果てていたのだ。天曜が大切にしていた蓮瑛を追い落とした香蘭を、たとえ半分は血の繋がった妹とはいえ許せないのは致し方ないことだろう。
「あと馴染みの文官や女官を利用して、『碧砂国へ輿入れしたはずの蓮瑛は、内密に皇帝が囲っている』という噂を蒔いて来た」
「えぇッ!?皇后陛下の御怒りを買うことになりますよ!?」
そもそも皇后が蓮瑛を虐げていたのは、蓮瑛が無能な巫女だからというわけではない。蓮瑛が、女好きの皇帝の好みの容姿をしていたからである。
二年前、艶やかな黒髪に華奢で儚げな、まるで天女のような蓮瑛に、帝都の人々の心は奪われたのだった。その内の一人が皇帝だった。夫が蓮瑛を見つめる下卑な目とだらしなく伸びた鼻の下を、さぞ皇后は苦々しく見ていたことだろう。
醜い嫉妬という理不尽な理由で蓮瑛は虐げられていたのだ。
「その通りだ。そして、皇后は怒り狂い、皇宮を混乱させるだろうな」
明慧などは、恐ろしい未来を想像して震えているというのに、天曜は愉快そうに笑っている。
皇后は、ようやく憂いが消えたと喜んでいただろう。だが、眠れる獅子を叩き起こしてしまったのだから仕方ないと諦めてもらうしかないなと、明慧は今度こそ黙って旅支度を整えることにしたのだった。
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